著名人から学ぶリーダーシップ著名人の実践経験から経営の栄養と刺激を補給

箱根駅伝優勝監督に学ぶ

青学陸上部はなぜ強くなったのか、
ビジネスマン出身監督の指導論

青山学院大学陸上競技部監督 原 晋

2017年の第93回箱根駅伝で3年連続の総合優勝を果たした青山学院大学陸上競技部。同校を連覇に導いた原晋監督に、指導論や駅伝への思いを伺った。(2015年7月の取材記事です)

伝説の営業マンから大学陸上部監督に転身

原 晋

中学から社会人までずっと陸上の選手でしたが、社会人チームを引退した後は、中国電力で営業をしていました。大学で監督をする上で、選手としての経験以上に活かされたのは、このビジネスマンとしての経験です。駅伝で優勝することも、ビジネスで成功することも、そのプロセスは全く同じだというのが私の考えです。

青山学院大学(以下、青学)の陸上部監督のオファーがあったのはあるきっかけからでした。最初は、私の高校時代の後輩である青学陸上部のOBに話があったのです。彼は仕事を辞める気はなかったので、私に相談が持ち込まれました。

当時の私は、提案型営業を武器にかなりの実績を上げていました。しかし、電力会社では営業は主流とはいえず、この先の出世を考えると、サラリーマンとしての限界は目に見えていました。選手時代に陸上競技でやりきれなかった後悔もありました。「今度は監督としてもう一度、陸上界で頂点を目指そう」。そう思って、その話を受けることになったのです。

最初は会社から出向という形で行こうかと思いました。しかし、ある人に相談すると、「退路を断って行くべきだ」と言われました。私も、これが自分の場所と思えるところで、選手たちと真剣に向き合いながら、形のある仕事をすべきだと思うようになりました。妻を帯同して東京に赴任し、選手と共に寮に住みながら指導を始めたのも、退路を断つという思いがあったからです。

当時の青学陸上部は、スポーツ推薦入学という制度ができた頃。合宿所も新たにつくるし、強化費も出してくれるという。とはいえ、当時は自前のグラウンドもありませんでした。もちろん、グラウンドは欲しいと要望しましたが、それがないから弱い、という言い訳だけはしたくなかった。与えられた環境の中で最善を尽くそう。無い物ねだりはしたくなかったのです。

ビジョンと目標という2つの方法による管理

原 晋

箱根駅伝の優勝は一朝一夕に成し遂げられたものではありません。中長期的な計画とその実践がありました。赴任当初に取り組んだのは、部の方針やキーワードを部員全員に徹底させることでした。陸上競技で何にもまして重要なキーワードは「規則正しい生活」です。特に駅伝は自分の身一つで走って、速さだけが評価の基準になります。そのためには規則正しい生活を送りながら体をつくることが欠かせない。その徹底に3年間かかりました。

部員たちにはこれまでの同好会的な意識からの切り替えを求めました。「大学を挙げて箱根駅伝を目指すんだ」と私は語りかけました。そこを理解できない選手の中には退部する者もいましたが、残った選手は理解してくれたと思います。

指導者としての将来ビジョンや哲学、行動指針を浸透させつつ、与えられた環境と人材の中で達成可能な目標を定めました。つまりビジョンと目標という2つの方法による管理です。部としての目標を数値化し、期限を切って、毎月・毎週・毎日の目標にし、さらに一人ひとりの選手にまで落とし込んでいく。こうした仕組みづくりは、サラリーマン時代の経験が活きています。

目標を持つことで、選手一人ひとりにも責任意識が生まれるようになりました。人間は記憶する動物ですから、成功体験を積み重ねることで前進することができるのです。どんな小さな目標もクリアできれば、それが競技を続けるモチベーションになります。

チームカラーに合う選手を集め、新しいトレーニング方法を導入

私たちがやっているのは単なる陸上のための陸上ではありません。学生スポーツは社会に出る前の知識を身につける場でもあります。社会があって初めて陸上界があるのです。つまり、陸上競技部で身につけたことは、社会に役立たなければいけないと私は思います。

社会で求められるのはまずコミュニケーション能力でしょう。寮でみんなと食事をするときも、静かに黙々とではなく、何でも話すようにしました。

これは競技にも大きな影響を与えます。普段からコミュニケーションをしておけば、「こいつを裏切れない」という人間関係ができます。それが駅伝レースでは特に重要なんです。坂道でしんどくなっても、あいつのためにタスキを渡したいという気持ちがあれば、もうひと踏ん張り利くようになる。レース中に思い浮かぶのは監督の顔ではなく、仲間たちの顔なんです。

トレーニング方法も改善しました。陸上競技から10年ほど離れて、指導の場に戻ってきたとき、トレーニング方法が昔と全然変わっていないのに驚いたからです。選手にはいいフォームと悪いフォームの選手がいて、しなやかなフォームの選手は鍛え上げれば強くなります。だったら、フォームを変えればよい。つまり走りのパーツを変えていくべきなんです。そのためには、体操そのものも変えるべきだと思いました。

そこで動的ストレッチやコアトレーニング方法を取り入れ、補強トレーニングの内容も変えました。陸上界以外で普通に行われている方法を取り入れたのです。

大学校内の練習場にクロスカントリー走路を取り入れたのも、私が最初かもしれません。平地を走るよりはアップダウンを走った方が、筋力のトレーニングになるし、故障も少ない。実際のレースの駆け引きにも対応できる。結果として、箱根駅伝に対応したコースになりました。今は他の大学でも取り入れられています。

箱根駅伝で優勝するようなチームは、学業そっちのけのプロ集団と思われがちですが、そんなことはありません。青学では運動だけやっていても単位はもらえないのです。学業もしっかりというのが大前提です。それが青学のチームカラーでもあります。そんなチームカラーに合うような選手を選んできました。もちろん、大学によっては違うチームカラーもあるでしょう。チームカラーに合う選手を育てることが、最も効率的であるというのは、企業でも同じことが言えるんじゃないかと思います。

ステージを一歩ずつ上っていく。組織と個人の成長をどう組み合わせるか

原 晋

2009年、青学陸上部は33年ぶりに箱根駅伝に出場することができました。チームはこれまで4つのステージを上りながら目覚ましい成長を重ねてきました。

第1ステージは私からの一方通行の指示。第2ステージではリーダー制度をつくり、選手自身のリーダーシップを養いました。第3ステージは私が就任してから7~8年目ごろ。私からは答えを出さずに自発性を待つようにした。ティーチングからコーチングへと指導方法が変わったのです。そして現在は第4ステージ。私は選手やコーチらの後ろに構えているだけ。オブラートで包むような形での指導です。これが成熟したチームの姿だと思います。

陸上部には毎年新人が入ってきます。そのたびに最初から指導のやり直しではないかと思われますが、そうではないのです。組織の変化を受けて成長した上級生が、新人を指導するので、毎年組織としてのレベルが上がっていく。組織と個人の成長をどう組み合わせるかが重要なのです。

これは企業にも通じる話だと思います。カリスマ的な社員がいたら、そのとき業績は急激に上がるかもしれません。しかし、その人が辞めたら下がってしまった、というのではダメなんですね。個人に任せず、組織としての仕組みづくりや土壌づくりをしていけば、個人に依存しない強い組織ができます。

そうした組織をつくり上げるためには、人事評価の在り方も根本から見直す必要があるかもしれません。短期的な成績で個人を評価するだけでは、決して組織の変化を促すことができないと思います。

選手の言葉を聴き、雰囲気を感じ取れ。土壌づくりと監督=管理職の役割

原 晋

土壌づくりというのは大変な仕事です。その達成度は必ずしも数字だけでは表されないからです。ただ、よい土壌ができている職場は、そうでない職場と比べて雰囲気が違う、というのはよくあることだと思います。

雰囲気、風土など「目に見えない」ところを感じ取るのは管理職の仕事です。今すぐ芽が出ない社員についても、次の可能性を見てあげることが大切です。陸上でもその大会の結果だけを見て、監督が「もうオマエはダメだ」と突き放してしまったら、選手も腐るし、組織も腐っていきます。突き放す前に選手の言葉を聴くことが大切です。

企業においてもそうじゃないでしょうか。管理者にこれから求められるのは、部下の言葉を大切にすることだと思います。部下のアイデアを「前例がない」「できっこない」と頭ごなしに否定するのはよくない。そんなことを言われると、部下は萎縮するし、口を閉じてしまう。そんな萎縮した環境では、優れたアイデアは出てきません。

組織の中に自由な発想が渦巻くときに、初めて組織として大きな新しい仕事ができるのだと私は思います。管理職といったって、大した能力があるわけではない。特に新しい知識という点では若い人にかなわない。ただ、管理職が持っているのは判断能力。だからこそ、管理者が上から蓋をしてしまったら、そのチームは決して管理者以上の仕事はできないのです。

一方、部下に当たる社員の方は、一度や二度の失敗を恐れず、何度もくらいついていってほしいものです。自分がめげなければ、いつか時代が自分に味方をしてくれる。自分の提案もいつか通る。そう思って私も仕事をしてきました。

例えば、中国電力の広島支店総務担当だったとき、当時は社内での喫煙が当たり前だったのですが、それに迷惑する社員も大勢いました。そこで私は「たばこ撲滅作戦」を提案し、展開しました。私の提案は各方面からすごいバッシングを受けましたが、しかし1年後には分煙が世の中の流れになっていました。営業にいた頃、空調システムを初めて小学校に導入したときも、学校の人には「夏場は夏休みで生徒がいないから、空調機はいらない」と言われました。普通に考えれば納得できる理由です。しかし、私はそこでめげなかった。「これは単なるクーラーではありません。省エネや環境について学ぶ教材なんです」という提案をしたんです。そういうひねりや発想力が営業には必要、特に新規市場を開拓する若い営業の方には必須だと思います。

東京五輪では「駅伝」を公開競技に

原 晋

箱根駅伝は日本陸上界の宝です。他にも駅伝競技では全日本選手権などがありますが、首都・東京の街並みや、富士山、箱根の温泉街など有数の観光資源を走り抜ける箱根駅伝の知名度にはかなわない。箱根駅伝は日本の冬の顔なんです。

9年後には100回大会を迎えますが、それをめどに参加資格を広げて全国区にすべきだというのが私の持論です。現在は、関東学生陸上競技連盟に所属する大学チームでないと参加できません。それをどの大学でも参加できるようにするのです。

現状の制度だと、箱根駅伝で走ってみたいと考えている地方出身者の選手は、みんな関東の大学に進学してしまいます。地元に残っても全国大会で活躍できるような仕組みが必要です。それができれば、関東以外の地域の大学の活性化につながるし、地元にランニングクラブなどができて、地域のスポーツ振興にも役立つはずです。

2020年には東京にオリンピックがやってきますが、オリンピックではぜひ箱根駅伝のコースを使って、公開競技として駅伝をやるべきだと思います。現時点では残念ながら話題にもならないのが不思議ですが、温泉など日本の文化も世界にPRできるよい機会だと思います。日本の宝を世界の宝へ。そんな夢を抱きながら、これからも学生たちの指導を続けていきたいと思います。(談)

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原 晋(はら・すすむ)

1967年広島県生まれ。世羅高校では全国高校駅伝準優勝。中京大学でも日本インカレ5000mで3位入賞。89年に中国電力陸上競技部に入部。5年で選手生活を終え、その後は営業などで活躍。2004年から青山学院大学陸上競技部監督に迎え入れられ、15年には同校を箱根駅伝初優勝に導いた。

(監修:日経BPコンサルティング)