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プロ野球解説者に学ぶ

野村監督から学ぶ――「人材を見抜く」リーダーの極意

プロ野球解説者 野村 克也

日本のプロ野球を代表する野球人の一人。現役時代は輝かしい成績を残し、引退後の監督でも多くのチームで好成績を収めた野村克也氏。野村氏が考える野球の真理とは何か。指導者、リーダーの条件と共に話を伺った。

「褒める」と「叱る」は同義語。愛情がなければ人は育たない

野村 克也

プロ野球の監督には何が大切かとよく尋ねられます。監督論に関心があるのは、必ずしもスポーツ関係者だけではありません。企業のビジネスパーソンや管理職の人たちを前に講演することも多く、やはりそこでも監督論を話してほしいと言われます。

部下の一人ひとりの能力を伸ばし、大勢の人を統制し、組織として成果を挙げるためにどうしたらいいか、会社で働くみなさんは日々考えていますが、私もそのことをずっと考えてきました。私は企業に務めた経験はないですが、半世紀にわたって考え続けてきた、プロフェッショナルな組織におけるリーダーの在り方というものは、企業で働く方々にとってもそれなりに参考になることが多いのだと思います。

例えば選手──企業でいえば部下との接し方です。選手は一人ひとり親も違えば育った環境も教育も違う。貧しい生活から抜け出すためにプロ野球選手の道を選んだ人が多かった(私もその一人)昔と比べると、そういうハングリー精神が今の選手にはない。みな今風の若者で、私の現役時代と比べればすっかり気質が変わってしまいました。しかし、監督はそういう人たちの心をつかみ、チームをまとめ、目標に向けて一致団結して前進しなければならない。それを課せられている職業なのです。

監督に最も大切なことは何か。一言でいえばそれは愛情だと思っています。

選手一人ひとりを、単に有能な選手というだけでなく、立派な人間として育てたいと思ったら愛情をもって接しなければなりません。何も褒めたり優しく接することだけが愛情ではない。直言したり、厳しく接したり、ときには叱ったりすることも立派な愛情だと思うのです。

私はよく、「叱る」と「褒める」は同意語だと言っています。本当は選手を褒めてやりたいのだけれど、そこをグッとこらえて、あえて叱る。いずれも根底に愛情がなければできないことです。

ただ、選手の前でむやみやたらに怒るのは禁物です。「怒る」というのは、リーダーが自分の感情に流され、それを制御できない証拠です。個人的な感情や欲望だけでは決して選手は育たず、チームもまた強くなれないのです。これは会社組織における管理職の指導法にも通じる、人間教育の基本だと思います。

私が南海ホークス時代の監督は鶴岡一人さんです。鶴岡監督は軍隊生活を体験したこともある人でしたから、いつも選手を怒鳴りつけていました。ライバルチームと常に比較され、ボロクソに言われるのは日常茶飯事。こんな風に毎日怒られてばかりでは、部下の側にも妬みやひがみの感情ばかりが育ってしまいます。

ただ、そんな私も一度だけ褒められたことがあるんです。入団4年目にホームラン王を獲得した後、球場の通路ですれ違ったとき「おう、お前、ようなったなあ」と言われたんです。それでますますやる気が湧きました。この経験が私の選手育成法のベースになっています。褒めるのはほどほどに。そして愛情をもって全力で叱れ、ということです。

精神野球から理論野球へ──野村ID野球の原点

野村 克也

鶴岡監督の時代は、野球は精神力でやるものだ、という考え方が一般的だったと思います。

こうした気合いと根性の日本のプロ野球を変えたのはダリル・スペンサー(阪急ブレーブス)とドン・ブレイザー(南海ホークス)という二人の大リーグ出身の選手、コーチでした。

スペンサーは「ドクター・ベースボール」と呼ばれるほど野球知識が豊富。投手が投げるたびにメモを取り、投手や捕手の癖を見抜く努力を怠らない人でした。

ブレイザーは、私が選手兼任で南海の監督に就任したときヘッドコーチに招へいしました。一緒に食事をしながら、米国人としては小柄な彼がどうしてメジャーリーグで生き残れたのかを熱心に聞き出しました。

例えば、ヒットエンドランのサインが出たときに、打者はどう対処すべきか。私は「フライと空振りは駄目。どうにかして打球を転がす」と答えたのですが、ブレイザーはもっと緻密に考えていました。内野の守備の動きを察知しながら、打球をどの方向に転がすのがいいか、様々なアイデアを披露してくれたのです。

野球には原理原則というものがあるが、そこから導き出される結論は一つだけでなく、いくつもある。選手はそのことを常に考えて、つまり頭を使ってベースボールをしなければならない。打席に入るときには、必ず目的意識を持て。漠然と投手と向きあってはいけない。その一つひとつの積み重ねがチームの勝利に結び付くのです。

この二人からはずいぶん影響を受けました。その後「ID野球」と呼ばれるようになった、私の「考える野球」の原点もそこにあると思っています。

実際、野球ほど休憩(間)の多いスポーツはないじゃないですか。しっかり考える時間があるんです。観客のみなさんだって、その間に次の投球や打者起用などを考えるでしょう。野球は誰もが監督になれるスポーツ。だから面白いんです。

弱点を補強し、万年下位のチームを再生させる

野村 克也

現役を引退し、1989年にヤクルトスワローズの監督として要請を受けるまでは、講演をしたり、テレビやラジオで野球解説をしました。この経験はその後の監督生活にも多いに役立ちました。人に語ることで、野球とは何か、捕手とは何か、試合に勝つとは何か、負けるとは何か、ということをとことん考えるようになったのです。

これは企業のビジネスでも重要なポイントだと思います。自分が率いる会社が、市場競争でライバルに負けている状況が続いているとします。どうやったら勝てるようになれるのか。起死回生のヒット商品など、そう簡単には生まれません。まずは自分たちの弱点は何かをとことん分析して、その部分を補強するための戦略を採るべきでしょう。

野球に置き換えていえば、私が監督に就任する前のヤクルトもまた、万年下位に甘んじるチームでした。野球とは相手を0点に抑えることができれば勝てるスポーツです。そこで私は、チームづくりの第一歩は投手を強化するという方針で臨みました。守備力を高めれば上位に浮上するチャンスが生まれます。伊藤智仁、岡林洋一、石井一久といったローテーションピッチャーをしっかり育てました。それがその後のヤクルト優勝の原動力になりました。

1992年のドラフト会議では投手の伊藤智仁を取るか、それともあの松井秀喜を採るか、首脳陣が迷ったときがありました。私はあえて伊藤を採る、という決断をしました。「野球はピッチャーだ」という信念があったからです。組織を強化するために、今どんな人間を採用すべきか。リーダーの信念と決断が問われる瞬間です。

当時、ヤクルトはアリゾナ州のユマでキャンプを張っていたのですが、これも効果がありました。周囲に遊ぶ環境なんて何もないので、選手たちは野球のことしか考えないようになります。ときには、こうやって選手たちを追い込むことも重要です。

最近は、選手と友達のように仲の良い監督もいるようですが、やはり監督は選手に畏敬の念をもって迎えられなければなりません。言葉を変えれば、「怖い監督」であるべきなのです。監督が甘い言葉ばかりささやいて、チームに緊張感がなくなったら終わりです。ビジネスの現場でもおそらく同じことがいえるんじゃないかと思います。

キャッチャーは野球というドラマの脚本家である

野村 克也

キャッチャーというポジションは野球の中でも独特です。投手の完投・完封でチームが勝利すれば、ヒーローは投手ということになりますが、私に言わせれば投手に完投させたのは、キャッチャーの力です。現役時代も、ベンチでプロテクターを外しながら、投手が「今日はよく球が走りました」とか、ヒーローインタビューで話すのを聞きながら、「何を言うとるんや。一球一球サインを出しているのは俺やないか」とぶつぶつ言っていたものです(笑)。

野球は筋書きのないドラマなどと言われますが、筋書きを書いている人はいるんです。それがキャッチャー。優れたキャッチャーはドラマの脚本家でもある。キャッチャーには、盗塁を刺すぐらいしか派手なファインプレーがないとも言われますが、打者の心理を読み取り、攻略法を綿密に計算して、投手に完投完封させることこそ、最高のファインプレーなんです。

しかしながら、キャッチャーはいつだって陰の存在。なかなかスポットが当たらない。もっとキャッチャーの存在をアピールしようぜと、巨人の森祇晶捕手とよく話したものです。

監督時代もどうしてもキャッチャーに目がいきました。キャッチャーにいつも言っていたのは「根拠のないサインは出すな」ということ。サインには一つひとつに意味がある。特にキャッチャーは打者に一番近いところにいるわけですから、打者の表情や気持ちの変化も読み取れる。キャッチャーは右目でボールを受けて、左目でバッターの表情を見ろと、いつも口を酸っぱくして言っていました。打者が考えていることを絶対に読み取ってやる、そういう執念がキャッチャーには欠かせないのです。

打席に立っても捕手の目を活かせば、必ず打てるようになる

私はキャッチャーをやりながら、打者をタイプ別に分けて、それぞれの対処法を常に考えていました。打者にはだいたい4つぐらいのタイプというか、癖があるものです。

  • A.ストレートに重点を置きながら変化球にも対応しようとするタイプ
  • B.内角か外角か、打つコースをあらかじめ決めているタイプ
  • C.右翼方向か左翼方向か、打つ方向を決めるタイプ
  • D.自分の好きな球種にヤマを張るタイプ

ちなみに、私は打者としては典型的なDタイプでした。プロ野球の選手が無数にいる中で、ヤマを張るんだったら私が日本一でしたよ。

私はよく「オールスターや日本シリーズなどの大きな試合に弱い」と言われてきましたが、言い訳じゃないけれど、大きな試合だから弱いのではなく、別のリーグのピッチャーに慣れていないから打てなかっただけなんです。ふだん試合をしていないから、情報が少ない。だからヤマも張れない。ヤマを張るということは、情報を分析しなければできないことなのです。

本来、キャッチャーというのは、いいバッターになる素質を持っているものです。なぜなら、投手がどんな球を投げてくるのかを、相手チームの捕手の立場になって考えることができるから。つまり、キャッチャーのセンスを打席でも活かせれば、必ず打てるようになる。打者を知りたいのなら、捕手のことを知れ。投手を知りたいのなら、捕手のことを知れ、なんです。ヤクルト監督時代も私はそれを指導しました。その考えをよく体現してくれたのが古田敦也捕手ですね。

打者のタイプ分けといいましたが、ときにはこうしたタイプ分けが通用しない、常識外れの打者もいるものです。王貞治選手がその典型でした。彼はコースに絞る、球種に絞るということを一切しない。来た球を打つだけ。合気道の精神です。ホームランバッターは外角を中心に攻めるのがセオリーですが、その常識が通用しない。ただ、ホームランバッターには珍しくインコースが弱いことを、私は彼がルーキーの頃から見抜いていました。

王選手は1シーズンのホームラン記録など、ことごとく私の記録を破り、私の価値を下げ続けてきた、にっくきライバル(笑)。その仇を返すのはオールスターしかない。オールスターでは「セリーグのピッチャー諸君、王選手はこうやって攻めるんだ」ということ見せるつもりで対決していましたね。

勝利のためのプロセス。負け試合から学べ

野村 克也

チームが優勝するためには、選手一人ひとりが優勝するぞと思っていなければ絶対にできません。しかし残念なことに、選手の中には個人記録にこだわってしまい、シーズンも中盤を過ぎる頃になると、チームの優勝は二の次になってしまう選手もいます。本来、個人目標とチーム目標はつながっていないといけないのですが、なかなかそうもいかない。「自己愛」で生きている選手たちをいかにまとめるかが、監督の難しさでもあります。

それともう一つ重要なのは、優勝するチームには、華々しい活躍をする主役以外に、地味ながらもコツコツと役割を果たす名脇役が必要だということです。ドラマだってそうでしょう。主役と脇役がいて、初めて面白くなる。そのいい例が、「V9」時代の巨人です。「ON(王貞治・長嶋茂雄)」があまりにもずば抜けていたから、他の選手は霞んでいるけれど、柴田勲、土井正三、黒江透修、森祇晶、高田繁など、そうそうたる“いぶし銀”がそろっていました。これぞ野球という見本。その伝統が今も引き継がれているとは残念ながら思えないのだけれどね(笑)。

ついでながら言えば、監督は外野手出身よりも内野手、できれば捕手出身がいいと思います。外野出身だとどうしても、野球に対しておおまかな見方しかできない。それが捕手出身だと、細事小事に目が届く。野球が細かく進化する時代には、細かいことまで考える監督がやはりいいと思います。

むろんこうした条件をそろえても、絶対に優勝できるとは言えない。プロ野球は結果がすべての世界。結果を出すためにはやはり毎日のプロセスが大切です。その一つが今日の試合を反省すること。私も家に帰っては毎日、試合を振り返り、なぜ打たれたのか、なぜ負けたのかを考えていました。勝った試合より負けた試合にこそ学ぶべきことは多い。「失敗」と書いて「成功」と読めるからです。「勝ちに不思議の勝ちあれど、負けに不思議の負けなし」とも言うじゃないですか。

勝負というものが存在する限り、「孫子の兵法」が言う「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」は常に真理です。まずは相手を知ること。そこから戦いが始まる。これはスポーツだけでなく、ビジネスの世界でも同じだと思うんです。

ポジションを変えることで、素質が開花する──野村再生工場

野村 克也

監督の仕事を集約すると、選手を「見つける」「育てる」「活かす」ということに尽きると思うんです。選手個々の適性・能力を見つける、選手の悩みをよく聞く、適切なポジションに配してその能力を活かす、そういうことなんですよ。

せっかくの才能も、配置された部署が悪いから伸びないということは、一般の会社でもよくあることでしょう。やはり、人間は適材適所なんですよ。野球で言えば、ポジションをコンバートすることで、潜在能力を開花させるわけです。それをよくやったので、「野村再生工場」などと呼ばれましたけれどね。

ヤクルトの監督は1989年のオフに引き受け、翌年のキャンプから直接の指導にあたったわけですが、キャンプでは一、二軍問わず足の速いのを全員集めてくれと頼んでおきました。その一人が当時、正捕手の八重樫幸雄選手のポジションを狙っていた飯田哲也選手です。足が速いんで、ポジションはどこかと聞くと、キャッチャーですという。キャッチャーミットをいつも手放さない。

でも私はね、「おまえな、キャッチャーをやるとどんな俊足選手も鈍足になるぞ。オレがいい例だ。せっかくの財産をなくしちゃもったいない。そのキャッチャーミット、オレが買ってやるから、外野のグローブ持ってこい」とミットを取り上げたんです。

フロントには外野手でホームランを打てる選手の補強をお願いしていたけど、格好の選手がいなかった。それもあって、飯田を外野にコンバートするわけです。彼は、センターだけでなくショートもやり、捕手登録でベンチ入りしたこともありました。俊足を活かしたマルチタレントとして育ったんですね。

神宮球場が外野のフェンスを高くしようとしたとき、真っ先に反対したのは飯田です。ともかく練習熱心で、フェンスによじのぼってホームランを捕る練習をよくやっていました。それができなくなると言うわけですよ。結局、フェンスの高さばかりは私の権限ではないので、フェンスは高くなり、飯田には申し訳ないことをしたけれど。

阪神にいた江夏豊選手が南海ホークスにトレードされたときも、色々あった。彼には当時、血行障害があって、50球も全力投球すると握力が小学生並みにがくんと落ちるんです。これでは先発完投は無理だろうなと思いました。

ところが、本人はあくまでも先発にこだわっている。リリーフ専門なんてピッチャーとして恥だとまで言う。しかし、これからプロ野球は分業の時代が来る、と私はずっと思っていましたからね。普段はそんな言葉は使わないんだけど、ふと“革命”という言葉が頭に浮かんで、「おまえ、リリーフの分野で革命を起こしてみろ」と江夏に言ってやった。

江夏は「革命か……」としばらく考えて「わかった、やる」とぼそっと言いました。“革命”という言葉が彼を奮い立たせたんでしょう。実際、彼はその後、リリーフピッチャーとして見事に再生し、野球界に革命を起こしました。

指導者が部下に何かを伝えるとき、言葉の持つ力が効いてくる

選手というのは、常に監督の言葉に敏感になるものです。ましてや、ポジションのコンバートという、プロにとってきわめて重要な変更を告げるときには、本人のやる気を起こす言葉が必要なんです。選手に「このリーダーは奥が深いな、自分のことをよく知っているな」と思わせることが大切なんです。これは、会社で上司が部下に配置転換を告げるときも同じだと思いますよ。

言葉の大切さについては、評論家の草柳大蔵先生によく教わりました。生きた辞書みたいな人でしたからね。私が南海の監督を解任されたとき、もう現役を引退したほうがいいかと相談したら、「君はまだ若い。人間は、“生涯一書生”だから、ずっと勉強を続けるべきだ」と言われました。それが私の「生涯一捕手」という言葉になったんです。

自分の言葉を磨くためにも、野球のことをもっともっと勉強したくなりました。勉強なしに人は言葉を豊かにすることができませんから。それに、野球のことならなんでも知っている「野球博士」になるのが私の夢でしたからね。

自費で大リーグの教育リーグに参加したこともあります。南海コーチのドン・ブレイザーの紹介で、向こうでは監督やコーチの話を熱心に聞きました。現役時代にワールドシリーズの真剣勝負を一度見たいなと思っていて、日本シリーズが終わるとすぐに飛行機に飛び乗ったこともありましたね。

やはり野球の本場だから、学ぶことは多かった。大リーグはバントなんかしないと思われていたころなのに、ノーアウト2塁走者というチャンスに、4番打者にバントをさせたことに驚きました。ワールドシリーズともなると、勝負への執念が半端ではないのです。

夢と希望がなければ鈍感になる。鈍感は最大の悪だ

野村 克也

当時の大リーグは、日本のプロ野球選手にとって夢の舞台。フィールドにたくさんの夢が散らばり、それを選手が必死で追いかけていました。そこでぶつかる選手同士の気合いが、観客を楽しませるんです。

やはり、人間は夢や希望がないと鈍感になる。鈍感は一番の悪だと思うんですよ。今の日本の野球選手を見ていると、「おまえの将来の夢ってなんだ?」と聞いてみたくなる連中ばかりだね。あまりにもプレイに気合いを感じない。恵まれすぎているのかな。平和ボケかな。夢の持てない時代のせいなのかな。

私は監督時代にベンチの前にわざとボールをポツンと置いておくということをよくやった。守備から帰ってくる選手たちが、ボールを拾ってちゃんとしまうか、ボールを跨いで平然としているか、そこで適性を見ている。ボールに気づかないような鈍感な選手は、野球に取り組む姿勢がなっていないという意味で、基本的に駄目だね。

監督も、夢と哲学を持って、選手に真正面から接してほしい。現在の12球団の中でそこがちゃんとできている監督は、残念ながらゼロだなぁ。テレビで野球を観戦していても、私は「何やってんだ」とヤジってばかりだから(笑)。

私は母子家庭の貧乏育ちで、ずっと母親の苦労を見て育ちました。大人になったら金持ちになって母親を楽にさせてやりたいという一心で、中学時代は歌手になろうとしたこともあるんですよ。声を一度潰すと高い声が出るようになると聞いて、海に向かって叫んだりもした。結局声は潰れたままで、無駄な努力だったけどね。実は映画俳優を目指したこともあるんですよ。理由はこれも金持ちになりたいから。あるとき自分の顔を鏡に映して、こりゃだめだと気づいたけれど(笑)。

で、結局残ったのは野球しかなかったんです。でも野球は道具をそろえるのにお金がかかるじゃないですか。道具を買ってくれと母親に言えない。中学のときの野球部の集合写真では私一人だけユニフォームを着ていない。試合のときは下級生のユニフォームを借りたものです。

それでも、強烈な夢と野望があった。文字通りのハングリー精神ですね。今は少年たちが夢を持てない時代。だからこそ、社会が、あるいは会社が仕事を通して、彼らに夢を持たせるべきだと思うんです。そうでないと大人も子供も鈍感になるばかりですからね。(談)

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野村 克也(のむら・かつや)

1935年生まれ。南海ホークスで球界を代表する捕手として活躍。1970年には選手兼監督に就任。チームを黄金期に導く。現役引退後、ヤクルトスワローズなどの監督を歴任。現在は、野球解説者・野球評論家として活躍。

(監修:日経BPコンサルティング)