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元プロ野球監督に学ぶ

「強いチーム」ではなく
「いいチーム」が人を惹きつける
~チームは一つのファミリー。
けれど、ファミリーの一員でいるためには厳しい条件がある~

スポーツキャスター・東北楽天ゴールデンイーグルス初代監督
田尾 安志

中日、西武、阪神と現役時代は俊足巧打の外野手として活躍。新規参入の楽天の初代監督という重責も務めた田尾安志氏。選手の育成は監督・コーチの手腕次第ということを肌身で感じてきた田尾氏に、リーダーのあり方や組織のマネジメント、ドラフトや選手の育成方法などを伺った。

他人より少しでも多く練習するために、望んでファームに

小学校6年生からリトルリーグ、その後もずっと野球をやってきましたが、高校では甲子園に出られなかったし、大学も部員全員がベンチ入りできるぐらい小世帯のチームでした。そのような環境でも私は日米大学野球で代表に選ばれたことで、社会人野球やプロ野球の球団から誘いがありました。

その時に同志社大学の監督に言われたのは「指名されたら12球団どこへでも行け。誘いのあった企業にはちゃんとお断りをしろ。プロのスカウトと交渉する時は、球団を辞めた後の保障とか付帯条件は一切つけるな」ということでしたね。今振り返ると監督が伝えたかったのは、社会人としてけじめをつけるということと、退路を断って前へ進めということだったんですね。

中日は私をドラフト1位に指名してくれましたが、「田尾はアンダースローの投手に対する交替要員」と監督が話している新聞のコメントを見てガクっと来ました。そこから、甲子園経験者に負けるものか、交替要員に甘んじていられるかと、それを発奮材料にしました。

中日ではすぐに投手から野手に転向しましたが、学生時代はずっと投手だったので、守備や走塁の基本ができていませんでした。なので、自分から望んでファームでトレーニングを受けました。みんなより早くグラウンドに行ってウォーミングアップや簡単な練習をしたりして、少しだけ人より多く努力をしました。

プロになったからには自分をアピールする必要があります。企業でもそうだと思いますが、1年目の社員はなかなか「チームのために」なんて考えられません。ただ、それは年数が経つにつれて少しずつ変わっていきます。ある程度結果を出して、選手会長になってからは、チームのためにという気持ちが生まれるようになりました。ただその思いが先走ることもありました。

後輩の牛島(和彦氏・現野球解説者)が、成績はいいのに給料がなかなか上がらないので、社長の自宅まで行って「牛島の給料を上げてやってほしい」と直談判しました。ですが、今振り返れば一選手として取るべき行動じゃなかったですね。

歳をとるうちにだんだん分かってきましたが、プロ野球の球団といってもフロントはサラリーマンですから、立場もあるし、気持ちの余裕なんてないんです。私は選手会長としてズバズバ言う方でしたが、言われる方の立場だったらたまったものじゃないですよね。上に直言するにしても、言葉一つでニュアンスが変わってきますから、もう少し気を遣えばよかったな、と今になって思います。

チームはファミリーだが、厳しく接する必要もある

スポーツキャスター・東北楽天ゴールデンイーグルス初代監督 田尾 安志

現役引退後は解説者を経て、新規参入の楽天の初代監督に就任しました。わずか1年でしたけれど、監督時代の経験は本当に得がたいものでした。

3年という契約でしたが、1年目は最下位になってしまうことは戦力からみて内心覚悟していました。しかしその3年間でプロのレベルの中で戦えるだけの組織にするというのが私のミッション。そのレベルにしてから次の監督に手渡すのが私の仕事だと定めました。

チームは一つのファミリーだと考えていました。地元のファンの方々も私たちに向けて、ファミリーのように温かい声援を送っていただけましたが、弱い1年目こそをぜひ見ておいてほしいとお願いしました。2年目、3年目と必ず強くなっていきますからと。自分の応援する球団がだんだん強くなっていくところを間近に見られるって、これほどファンとしては幸せなことはないですよ。

戦力外になりそうなベテランと、未知数の若手の混合チームでしたので、どうやって強くしていくか悩みました。2月のキャンプで選手全員を集めて「ベテランも若手も全部同じスタートラインでやるぞ」と宣言しました。そしてどうやったら一軍でプレーできるか、その条件を具体的に示したんです。先発ピッチャーなら2試合分きっちりゲームを作る、中継ぎや抑えのピッチャーなら、1イニングを3試合分抑えること。これが一軍昇格の条件としました。

来季もファミリーの一員でいたいのなら、必死で頑張ってほしい。打ったら一塁まで全力疾走する。塁に出たら一球一球スタートを切る。守備についたら必ず誰かをバックアップしてカバーする。これはやろうと思えば誰でもできることです。ヒットを打て、と言ってもなかなか打てないけれど、全力疾走やバックアップなら誰でもできる。だから、それはきっちりやろうと。それが、あれだけボロ負けのゲームをやっても応援してくださるファンに対する最低限の義務だと考えていました。

勝負の世界なので負けることはある。しかし、野球の面白さは全力プレーからしか生まれない。そこが一番大切なポイントだと思いますね。

新人発掘は難しい。素質さえあれば正しい指導法で選手は伸びる

もちろんチームが強くなるには選手補強は欠かせません。いい選手を補強することができるかどうかは重要です。そのための手立ては若手育成・トレード・ドラフト・外国人獲得しかありません。もうすぐドラフトですが、若い選手、とりわけ高校生の資質を見極めるのは大変に難しいことです。私が監督1年目の時のドラフトではダルビッシュ有選手がいました。私も興味があったのですが、彼は腰が悪いという話が伝わってきて採るのをやめました。蓋を開けてみたら、あの成績です。わからないものですよね。

新人を選ぶ時は、まず「体が大きくて、足が速くて、肩が強い」選手を選べと私はよく言います。肉体的な資質ばかりは、教えても変わりませんから。ただ、後の技術はしっかりしたコーチがいれば鍛えることができます。重要なのはやはり指導者です。

私もときどき少年野球教室に顔をだしますが、私が見るのは子どもたちではなくて、指導者。指導のポイントを正しく理解しているのか、それを見ます。もし迷っていることがあったらどんどん質問して下さいと。指導者がきちんとしていれば、子どもたちはちゃんと育っていくものですよ。

ファンが末永く応援したくなるチームの条件とは

スポーツキャスター・東北楽天ゴールデンイーグルス初代監督 田尾 安志

2013年はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開催されます。日本代表はこれまで2度優勝していて、今度もそれを当然のように期待されていますが、私に言わせればこれまでの優勝は奇跡のようなもの。紙一重の勝負に運も味方して勝ったのだと思います。それほど今は、各国の野球にレベルの差はありません。

やはりこれからは野球もサッカーのように、ジャパンの監督を専任で据えるというのがいいでしょうね。4年に1度のWBCだけでなく、プロの国際大会をもっと開いて、野球の醍醐味を広く世界に伝えていく。そういうことも必要だと思います。そうすればいつかはオリンピックへの復帰の道も開かれるんじゃないでしょうか。

そうやって考えると、野球の面白さをいかに伝えるか。選手時代も監督の時も、もちろん現在の解説者としての立場でも、ずっとそのことにこだわってきたように思います。

楽天の監督時代のことですが、私のチーム運営の基本方針は、強いチームを作ることが一番ではなくて、いい組織を作るということにありました。ファンに愛されるいいチームをつくる。そうすれば必ず強くなる、という確信がありました。

他球団で育ったスター選手を補強すればたしかにチームは強くなります。しかし、それで果たして面白いか。やはり自軍のファームで育った選手が一軍でレギュラーになり、野球界を代表する選手に育って行く。その過程を応援するのがファンとしては楽しいんじゃないでしょうか。そうすれば1人の選手で20年は楽しめることになりますからね。

だからこそ球団はファームでの選手育成を大切にしなければなりません。楽天時代に、一軍と二軍とでコーチの給料を一緒にしてくれと頼んだことがあります。一軍のコーチは勝負するコーチですが、二軍は育てるコーチ。仕事の重要性はどちらも変わらないのです。

若手が伸びないのはコーチの責任。コーチの学習意欲は選手にも伝わる

野球の場合は企業と違って、成績が悪ければすぐ戦力外になる。一軍で使われなければ選手もそれが分かって、自分から辞めていきます。だからこそ、在籍している間は、選手の能力を最大限引き出すために全力を尽くすことがコーチ、監督、フロントの務めです。グラウンドの整備一つとっても選手が力を発揮しやすい環境づくりということを意識しながらやらないといけません。

実際に今の野球界を見ていますと、もったいないなっていう選手が沢山います。そもそもコーチが教え方を知らないので、技術を身に付けられない選手が多い。いい選手だからいいコーチになれるというのは間違いで、コーチになるためには指導法をしっかり勉強しないといけないんです。コーチ自身が学ぼうという気持ちがないと、選手には何も伝わらないですね。

素質はあるのに指導法が行き届かないばかりに伸び悩んでいる選手をみると、プロ野球界としても損失ですから、解説者席から降りていって、手取り足取り教えたくなってしまいます。本当は組織の中に、指導法が綿々と受け継がれていくことが大切ですが、それがなかなかできていない。特に結果を残した選手、監督は一匹狼が多いですから。10人いたら言うことがみんな違うので、どれが自分に合っているのか見極めるのが難しい。逆にいえば、どれを選択するか、選手側の目利きも能力の一つとはいえます。

それでも高校野球などを見ていると、やはり甲子園にたびたび出場するチームというのは、その背景にしっかりとした指導法があるのだろうと想像できます。今の高校野球の上位校はどこも優秀な選手を集めていますから、選手の差はそんなにない。違いはやはり指導者ということになります。

度量の広いフロントの一言が、選手のモチベーションを駆り立てる

スポーツキャスター・東北楽天ゴールデンイーグルス初代監督 田尾 安志

プロ野球の球団でもう一つ大切な要素は、フロントの力です。選手も監督もプロですから結果を残せなければ球団から去ることになる。それは当然ですが、辞めていく人に対してフロントに何ができるか。それを見ていると組織の度量というか、強さ・弱さが見える瞬間がありますね。

私が西武時代の坂井代表(保之氏・現評論家)は、辞めていく選手たち一人ひとりにスーツをプレゼントしたという逸話があります。そこには、「よく頑張った。これから社会人として新しい人生を切り拓きなさい」という意味合いが込められていたと思います。

坂井さんは、私が不甲斐ないシーズンを送った西武1年目の契約更改の時も、「あの10対1で負けたゲーム、あの時の田尾くんのホームランはすごかった。夏休みで球場に大勢来ていた子どもたちすごく喜んでいたよね」という話から始めるんです。何を言われても仕方がない、年俸大幅切り下げもやむを得ないと恐縮していたんですけど、結果として年俸は下がりましたが、想像していたより下げ幅は少なかった。でも、あの時の坂井さんの言葉で、西武でやっていこうと決意を新たにしました。

選手の気持ちを駆り立てる監督やフロントの一言。これは大切です。ときにはオーナーとの間に入って、クッションになってくれる。そういう、人としてのゆとりや大きさが結果として組織を強くしていくんだと思いますね。(談)

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スポーツキャスター・東北楽天ゴールデンイーグルス初代監督
田尾 安志(たお・やすし)

1954年生まれ。同志社大学卒。1975年ドラフト1位で中日ドラゴンズ入団。その後、西武ライオンズ、阪神タイガースを経て、1991年引退後に、スポーツキャスターとして活躍。2005年東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督に招聘されるも、1年で解任。現在は「プロ野球ニュース」などを中心に野球解説を行う。バッティング解説の著書が多数ある。

(監修:日経BPコンサルティング)