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サッカー元日本代表に学ぶ

都並流「失敗から学ぶリーダー論」
~「聞きすぎる選手」「言いすぎる監督」が創造性の無いチームにする~

サッカー元日本代表・元プロサッカー選手
都並 敏史

サッカー解説・指導者として活躍する都並敏史氏。クラブチームの監督としての経験もあるが、「失敗の連続だった」と本人は振り返る。競争と安定のバランスを保つ工夫、選手一人ひとりの個性に応じたコミュニケーションの在り方など、その失敗から学んだことは数多くあると言う。その話は、チームの活性化に悩む職場の管理職にとっても貴重なヒントになるに違いない。

時には監督の戦術にあらがうプレーを通して、自力で局面を打開せよ

2014年のワールドカップ・ブラジル大会に出場を決めたサッカー日本代表。ザッケローニ監督は長い予選を通して代表チームの基本をつくり上げてきました。これから来年にかけていくつかの親善試合があります。メンバーを固定してのトレーニングも始まり、来年6月までは、チームとしての仕上げを図っていく期間になります。

僕らの時代に比べると、選手個々の能力やチームとしての戦略ははるかにレベルが高くなっています。欧州でプレーする選手も増え、スピードのあるサッカーをするようになってきました。半面、南米型のプレーへの経験値が少ないのが課題。南米は個々の選手のテクニックはすごいし、かつ狡猾ですからね。

W杯本戦となれば南米やアフリカのチームとも当たりますから、欧州以外のプレースタイルにもこれからは慣れていかないといけない。しっかりとした基本の上に、さまざまなオプションを加えていく。つまり、引き出しをいかに多くしていくかが大切です。

一般に日本の選手は監督の言うことはよく聞くけれど、局面に応じた臨機応変のプレーができない、ということが以前からいわれていました。しかし、試合中は相手の状況を見ながら、時には監督の戦術にあらがうプレーを通して、自力で局面を打開していく姿勢も重要です。そうでないと選手自身もサッカーを楽しめないし、見ている方もつまらない。何よりそのような選手の自主的な判断に基づく臨機応変なプレーができないと、世界の強豪国には勝てないのです。いつでもすぐに引き出すことができるようなオプションをこれからどれだけ増やすことができるか、ですね。

のしかかるプレッシャーをいかにして跳ねのけるか

サッカー元日本代表・元プロサッカー選手 都並 敏史

W杯のような大きな大会になると、ピッチ上の選手にのしかかるプレッシャーは並大抵のものではありません。僕は本戦に出たことはないが、3度にわたってW杯予選を戦いました。僕自身、プレッシャーがかかると、ユニホームを腕まくりしてしまう癖がありました。ある時それに気づいて、腕まくりをあえてせずに自分の気持ちを抑えたこともありました。

試合開始の直前に冗談で選手の心拍数を測ったら、僕とキャプテンの柱谷哲二が一番高かったということもありました。「都並さん、意外とビビっているんですか」って笑われましたよ。ところがカズ(三浦知良選手)はそんな時でも通常の心拍数なんです。さすがカズは場数を踏んでるし、落ち着いているなと思いましたね。

選手の誰かが緊張していると、それが伝わってチーム全体の動きが硬くなります。それに気づいた選手の誰かが声を出す、体を動かす、ボールを回す、そうやって緊張をほぐしていくことが必要です。僕らの時代はよく「緊張したらスタンドに一発ボールを蹴り込んでおけ」なんて言っていましたけれどね(笑)。

チームの緊張をほぐすのは監督の役目でもあります。僕らの時代の日本代表監督であるハンス・オフトさんはそのあたりがうまかった。クラブから何人かずつ日本代表に選手を呼ぶんですが、クラブが違うとすぐにはなじめない。そこで潤滑油のような、例えば僕や武田修宏や中山雅史みたいな、人見知りしない、性格の明るい選手を間に入れて、コミュニケーションを取るんです。一種のムードメーカー的な役割を期待されていたんですね。

そういうことの重要さは、選手時代にはよく分からなかったけれど、監督になってみるとよく分かる。オフト監督はサッカーの技術だけでなく、心理的なものも含めてそのあたりをよく研究している人でした。後で聞いた話だけれど、代表の試合や合宿のたびに、毎晩トレーナーを呼んで、選手が今何を考えているか、チームの情報収集を行っていたらしいです。

選手っていうのは監督の前では何も言えないんですね。それがトレーナーにマッサージしてもらっていると、つい愚痴っちゃう。だからトレーナーに聞けば、本当の情報が集まるんですよ(笑)。

プロは、誰かが手を差し伸べてくれるのを待っていてはいけない

サッカー元日本代表・元プロサッカー選手 都並 敏史

僕は子どものころから何よりサッカーが大好きでプロになった男ですが、プロになって初めて「好きだから」だけではやっていけないこともあることに気づきました。先輩も後輩もすべてライバル。親切に手を差し伸べてくれる人ばかりじゃない。成長するために自分は今何をしたらいいか分からなくなって、孤独感にとらわれることもありました。

プロというのは、誰かが手を差し伸べてくれるのを待っていてはいけないんです。自分で解決しないといけないし、それができないなら、自ら教えを乞いに行かないとだめ。僕の場合はそれがラモス瑠偉選手でした。彼につきまとっていろんな技術を盗みましたね。

若い選手の中でも、そういう気迫のある人はやはり伸びます。ヴェルディの現役時代は試合が終わるとよく反省会と称して飲み会を開いていたんですが、サッカーの話題が尽きると女性の話になったり、カラオケに流れたりする人もいた。でも、後輩の中村忠(ヴェルディ川崎、浦和レッズなどを経て現在はサッカー指導者)なんかは、最後まで先輩に食らいついて、ずっとサッカーの話ばかりなんですよ。案の定、彼はその後日本代表でも活躍しました。

プロになって初めてみんなプロ意識の重要さに気づくんですが、高校生ぐらいでもプロに負けないぐらい意識の高い選手もいます。「あそこで3バックに変えたから負けたんじゃないですか」とか、僕の戦術に真っ向から意見するような高校生を教えたこともありましたね。

個々の選手のプロフェッショナルとしての意識が、結果的に組織としての強さにつながる──そのことを強く感じた現役時代でした。(談)

J2クラブの監督経験。「あと3年ある」は甘かった

サッカー元日本代表・元プロサッカー選手 都並 敏史

現役を引退してから、ヴェルディのユース監督を経て、ベガルタ仙台、セレッソ大阪、横浜FCと、いずれもJ2のクラブチームの監督を務めました。ただ、J2ではいずれもシーズン終了後あるいは任期途中で解任されています。監督としては失敗の連続でした。しかし、その経験から学んだことは大きく、リーダーはどうあるべきかについて、いくつもの貴重なヒントを得ることができました。

2007年に監督就任したセレッソ大阪の話をしましょう。J2に降格したチームを立て直すのが僕に与えられたミッション。チームがJ1に返り咲くためには、土台を作り直すことが不可欠です。そのためには、安いお金でもちゃんと働く選手をたくさん抱えることが重要。なので、若い選手にチャンスを徹底的に与えようとしたのです。

練習ではディフェンスのコンビネーションづくりに時間をかけました。守備はよくなり、引き分けに持ち込める試合は多かったけれど、どうしても勝ちきれない。それでも次第にチームは安定するだろう。すぐに昇格できなくても、2、3年目でそれを果たすことは可能だ。そういう中長期プランだったんですが、この判断は甘かったですね。「3年ある」と思っていたのに、シーズン開始から3カ月足らずで成績不振による解任です。プロの世界の厳しさをあらためて感じました。

ベテランをいかに活用するか。選手は監督のロボットではない

サッカー元日本代表・元プロサッカー選手 都並 敏史

僕がここで悟ったのは競争と安定のバランスがいかに重要か、ということです。チームを強くするためには、選手を競争させることが不可欠です。しかし、その一方で競争が激しすぎるのもまずい。チームが不安定になり、最後には崩壊してしまう。

セレッソでは、ベテラン選手にも競争させてしまいました。それがだめだったんですね。今思えば、"幹"はもう少し安定した方がよかった。ベテランのプライドをくすぐりながら、そのモチベーションを引き出す。「お前ぐらい金もらっていたら3点取ってこい」と叱咤激励をする。そうすれば監督の言葉を意気に感じたベテランが奮起して、チームを引っ張ってくれる。若手もあの人のために頑張ろうということになる。こうなればチームはうまく機能していくんですがね……。

監督は選手の人事権を握っていますから、時には選手が監督の顔色ばかりうかがって、ロボットのようになってしまうケースもあります。J2に降格したばかりのチームには特にその傾向がある。家族を抱えながら、J1で戦力外通告を受けてやってきた選手も多いですからね。クビになったら路頭に迷う。だからこそ、監督の言っていることだけを守る。でも、そんな創造性のない選手ばかりだとチームはだめになるんです。

性格が真面目すぎる人の場合も扱いが難しい。言われたことを忠実にやろうとして、かえってギクシャクしてしまう。僕がヴェルディからセレッソに連れていった柳沢将之選手(その後、サガン鳥栖、横浜FCを経て2012年に引退)もその例。何度言っても僕の言う動きが試合でできない。カチカチなんです。ところが、僕が辞めた後はとてもいい動きをするようになっていた。やっていることは、僕が監督の時に教えた通りの動きなんですよ。

理由を後で聞いたら、後任の監督であるレヴィー・クルピ氏の教え方がうまいんですね。図を描きながら「サイドバックとしてお前のエリアはここだ。ここで抜かれるのは困る。ただ、エリアの中でお前がどう守るかはすべて任せる。方法論はお前が考えろ」って。

選手が監督の指示を聞きすぎるのも問題だけれど、監督が選手に言いすぎるのも問題。選手と監督の信頼関係ができている3年後ならいいけれど、まだ選手とコミュニケーションが取れていない最初からチクチク言われたら、かえって本領を発揮できません。

シンプルなことを徹底的に言い続けることができるか

サッカー元日本代表・元プロサッカー選手 都並 敏史

選手とのコミュニケーションの取り方では、一人ひとりの個性に応じた気遣いが必要です。僕はわりと心配性だから、週の半ばに徹底した戦術を、試合前日のミーティングでもくどくど念押ししてしまう癖がある。ところが、これを嫌がる選手もいるんですね。横浜FC監督の時、カズ(三浦知良選手)に言われてそれに気づきました。

「戦術確認を最後にやるのだけはやめてほしい。最後の日は体を動かした状態で家に帰って寝ないと、頭ばかりがさえて、試合本番で体が動かない」って。カズのように、論理というより感性で動くようなタイプの選手は特にそうなんでしょうね。

優れた監督というのは、シンプルなことを徹底的にずっと言い続けることができる人。直接言うだけでなく、コーチやゲームキャプテンを通して間接的に伝えることも効果的。そしてチーム内の競争と安定のバランスを常に考えることができる人です。

その意味で僕が最も尊敬できる監督は、ヴェルディ時代に指導を受けたネルシーニョ氏(柏レイソル監督・2013年11月時点)です。采配の緻密さはもちろんのこと、チームの雰囲気づくりがうまかった。30人選手がいたら、30番目の選手にもどこかで出場機会を用意してくれた。「たとえ出番がなくても、チームのために尽くせ。逆にスタメンも周りの選手やスタッフを尊重せよ」。そういうことを徹底した監督でした。

現在僕のメインの仕事は、サッカー番組の解説です。常に新しい勉強をしていないと、持っている知識を吐き出すだけに終わってしまうので、時間を見つけては試合や練習の現場に行っています。また、東京ヴェルディの普及育成アドバイザーとしては、少年スクールの指導や選手のセレクトをやっています。この夏東京で開催された「U-12ジュニアサッカーワールドチャレンジ」では、大会選抜チームの監督としてFCバルセロナの少年チームと戦いました。欧州のチームはさすがこの世代でも強いけれど、日本にもたくさん有望な少年たちがいます。ぜひ彼らを見守って、応援して欲しいなと思います。(談)

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サッカー元日本代表・元プロサッカー選手
都並 敏史(つなみ・さとし)

1961年東京都生まれ。小学4年生の時にサッカーを始め、10歳から読売クラブに所属。19歳で日本代表入りし、左サイドバックのスペシャリストとして活躍。1981年、1985年、1993年と3回のW杯予選で日本代表に選ばれる。国際Aマッチ出場数は78試合(2013年9月時点で歴代9位)。ヴェルディ川崎、アビスパ福岡、ベルマーレ平塚を経て、1998年に現役引退。その後、ベガルタ仙台、セレッソ大阪、横浜FC監督を歴任。現在は東京ヴェルディ1969の普及育成アドバイザーを務めるほか、サッカー解説者として活躍。

(監修:日経BPコンサルティング)