記憶に残してもらうための発想と行動
「何ができる・何がしたい」を求めて~歴史と伝統の岸和田から~ [第3回]
2016年9月

執筆者:岸和田市教育委員会 生涯学習部郷土文化室 室長
小堀 頼子(こぼり よりこ)氏

記憶と記録

ある人と何気ない話をしていました。

「私、いつも何だかんだ悩みがあるねん。・・・。いつも何かに困ってるねん。」と話したところ、
「・・・・ところで小堀さん、昨年の今頃は何に悩んでた?何に困ってた?」ときかれ、
「・・・う~ん・・・」
答えがすぐに出てきませんでした。

その人には、「人の記憶はそんなもんやで」といわれてしまいました。

人の記憶というのは、実は頼りないものです。一生懸命覚えたことも、30分たつと40%は消滅し、1日後には66%、3日後には75%、30日後には80%が消えてしまうそうです。

人の記憶に留めたい、人の記憶に残すことが、歴史や文化、文化財保護の中でもよく出てきます。
「記憶」に残すための手法、それと関連して、「記録」に残すための手法、どちらも情報技術が有効活用できる分野ですね。

攻める

人の記憶にとどめたい文化的・歴史的な財産。それらを保護し守り伝えることが文化財行政の一義的な使命です。現在・過去・未来と変わることのない価値を保ち、新しい何かを付加していくことによって新たな意味が生まれ、より「人の記憶に残る」ことになるのではと思っています。人の記憶に「残す」積極的な「攻め」の姿勢の情報発信であったりPRをすることよって、人々の間に共有できる情報を増やしたいですね。

それには、ひとつ、「経験」を付加することはどうだろうかと思います。人は、何か「経験」をすれば少なからず記憶に残ります。その人自身に影響を与える経験なら、なおさらです。岸和田だんじり祭りを軸に、岸和田らしさの何を経験することが記憶に残っていくのでしょうか。

「経験の共有」をたとえば、スマホを使って、だんじり祭りアプリといった感じで何かできないでしょうか。○○町の曳行コースを○○町の皆さんと体験できる、朝の曳き出しの風景(この瞬間は本当に感動的)、昼間の疾走、夜の灯入れ曳行の体験・・ 八陣の庭には、砂紋が描かれています。お絵かきソフトで、八陣の庭にあなたも砂紋を描いてみませんか・・・こんなアプリって・・おもしろくないですか・・・岸和田限定かなあ。

ひらめいた!

ひらめきは、情報と情報の結びつきです。試行錯誤というのはいろいろな方法を試し、失敗を繰り返しながらも、適切な行動を選択しながら問題解決に向かうことです。すでに得ている情報と情報が関連づけられたり、統合されたとき、問題解決に向かって「ひらめいた!」となります。

ドイツの心理学者ケーラーの実験ですが、チンパンジーを檻の中にいれ、短い棒と長い棒を置き、檻の外の手の届かないところにバナナを置きます。チンパンジーは手を伸ばしたり、棒でバナナをとろうとしますが取れません。一度はあきらめて、2本の棒で遊んでいたチンパンジーが2本の棒を連結させて、バナナを取ることに成功しました。バナナ、短い棒、長い棒が連結・・・。3つの情報が関連付けられ『バナナがこうすれば取れる』と問題解決につながったという話があります。

コンテンツの連結と関連づけで、みえないものをみせていく積極的な情報提供がしてみたいです。

見えないものが見える面白さ その2

本市にある道の駅に、市内の農家の方が野菜を出しています。スーパーでも珍しくなくなりましたが、「○○さんちのトマト」「△△さんの作ったほうれん草」など顔写真いりで生産者が見えるPRというか情報提供があります。何だか親近感が湧き「この人が作ったのか・・・」と写真を見ていると土を掘り起こしている様子や朝露にぬれたトマトを収穫している姿までも思い起こして想像してしまいます。

実際私は、○○さんがトマトを収穫している姿や△△さんがほうれん草を土から掘り起こしている様子などを見たわけではないのですが、その1枚の写真と野菜と「○○さんちのトマト」の表示が連結して親近感というか温かな気持ちになりました。

たとえば、文化財の保護も「日頃はこんなメンテナンスをしています」とか「雨の日でもこのように発掘調査が行われました。」とか、人の感情や記憶に働きかけるような情報提供をするだけでも愛着や親近感が湧くのではないかと思いました。(日頃のメンテナンスや雨の日の発掘調査などは、なかなか情報提供するような表舞台にはでてきません)見る人の共感や理解が深まり、見方が変わるのではないでしょうか。

スーパーの棚に整然と並んでいるトマトをひとつ手に取るときと、「○○さんちのトマト」を手に取るとき違った感覚を持つのは私だけでしょうか・・・・・。

日頃、見えていない情報を連結させて、何かを生み出す、チンパンジーのように「バナナをとる」ことをコンセプト(目的)に、短い棒・長い棒といったコンテンツをどう使うか、私たち行政マンには、少ない発想かもしれません。

クランボルツの『計画された偶発性』理論

この理論は、今、私が一番支えにしている理論です。

目標が定まっていなくても、行動を起こした結果、予期せぬ出来事に出会い、それがキャリア形成に役立つこともあるというものです。つまり、偶然の掘り出し物に出会うためには、そのための行動があって、その行動を起こすためには、目標がいるのだということを意味しています。

偶然を生かすため、(=必然にするため)日々、折れない心とこれでもかという発想、提案が必要なんだと私の心の支えにしています。

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