システムの「旬」と次世代のSNSについて
~京都で旬の鮎を食べながら考えてみた~

情報化モデルとICTを巡るポリフォニー [第4回]
2015年7月

執筆者:NPO法人 地域情報化推進機構 副理事長
ITエバンジェリスト/公共システムアドバイザー
野村 靖仁(のむら やすひと)氏

鮎を食べながらシステムの「旬(盛り)」について考える

「鮎」の一生は短い、平安時代中期編纂の「和名類聚抄」では、「春生じ、夏長じ、秋衰え、冬死す。故に年魚と名づく」と記載があります。この「鮎」を食する、時は文月(七月)京都の盛夏、貴船の川床で「旬(盛り)」を味わいました。

最近は何を勘違いしたのか、飾り塩などして「鮎」を薄っすら焼いて出す料理人がいるが、これはいただけない。この時期の「鮎」であれば、しっかり焦げ目がつくまで焼いた熱々を、頭からガブリとかぶりつく、そして一匹丸ごと骨まで味わう。

合わせる酒は、日本酒はもちろんですが、私のオススメは「黒ビール」です。「鮎」のさわやかな苦味と香りの余韻を「黒ビール」のホロ苦さが引き立てる、正に至福の味わいが楽しめますので、一度お試しください。

日本の季節には、二十四の「節と気」、七十二の「候」があります。そして、その季節ごとに食べ物の最も美味しい時期「旬(盛り)」がやってきます。

古来より人は「初物(走り)」を珍重しますが、我々関西人は「旬(盛り)」と「季節の終わり(名残り)」をより尊重します。そして、それぞれの食材の季重なりを「出会い」と呼んで愛おしみます。

今回のコラムでは、システムの「旬(盛り)」について、メディアとコミュニケーションの観点から考えたいと思います。

ソーシャルメディアの現状

いまでは、誰もが利用しているソーシャルメディアは、急速にユーザー数が拡大した「旬(盛り)」から、システムの成熟期「季節の終わり(名残り)」の段階へと移行しつつあると感じているのは私だけでしょうか。

常にスマホ画面から目を離すことができない人々、ソーシャルメディアにドップリ浸かった「SNS依存症」の人達からは「いやいや、今が旬でしょ!」と言う声が聞こえてきそうですが、一方で「SNS疲れ」や「SNSに食傷気味」な利用者が現われているのも事実です。

「既読」表示がでる「LINE」では、コミュニケーション関係の悪化を懸念するあまり、それほど嬉しくないメッセージに対しても、果てしなくやり取りが繰り返される現状に疲れ切った人々が現れています。

また、SNS最大のユーザー数を誇る「Facebook」では、上司から「友達申請」が来たことを理由に退会した若者や、親が「Facebook」を始めた時点で利用をやめる子供たちの出現など「若者離れ」の話など昨今よく耳にします。

若者の目には、ユーザーが増え過ぎて、自分達の親世代もが利用するようになった「Facebook」は、もはや革新性のない新鮮味に欠けるメディアとして、映っているのかもしれません。

現実問題として、永遠に「いいね!」と言い続けることにもムリがあります。
若者達はよりニッチでコアな、新たなソーシャルメディアを求めて、ネット上を彷徨っていくのでしょうか。

「旬」のメディアとコミュニケーション

ここで、「旬」のメディアとコミュニケーションの観点から、歴史を遡ってみたいと思いますが、15世紀中頃に発明された活版印刷の技術は、情報をコピー・配布することを可能にしました。それまで情報を記録し伝えるためには、手で書き写す(筆写・写本)する必要がありましたが、「活版印刷技術」の出現によって、宗教改革やルネサンスに連なる社会的な変革をもたらします。

その後、人類は長い歳月を掛けて「印刷メディア」を進化させ、新聞や書籍・雑誌の産業を生み、その媒体に広告を掲載することで情報を継続的に発信することが出来る「メディアシステム」を作り上げました。

これに続く「メディア技術」の発明は、電報・電話に代表される電気信号を利用したメッセージ手法の確立です。この技術の登場によって、遠隔地の相手と双方向の情報交換(会話型コミュニケーション)が可能になります。

次に「記録メディア」が出現することで、写真やレコード・磁気テープなどに、映像や音を保存し、配布することができるようになり、情報メディアの活用価値は格段に広がりを見せます。

そして、ラジオやテレビの「放送技術」が登場しますが、この新たな技術を利用したサービスを成立させるには、情報を広く伝えるためのインフラ整備と、それを受信するための受信機の普及が前提になります。そこで、受信機に向けて情報を「放送」する時、「広告」を掛け合わせるビジネスモデルが考案され、「放送メディア」が社会的に普及し認知されていきます。

このように、15世紀に登場した印刷技術による「印刷メディア」と、20世紀の「放送メディア」を共存させながら、メディア社会は進展を続けてきました。そしていま、ネットワークというシステムを手にした我々は、500年間の変化以上の変革をわずか数十年の内に経験し現在もその激変の潮流の中にいます。

かつて、電報・電話は「1:1」の情報交換が基本であり、印刷や放送は「1:N(不特定多数)」に向けて、一方通行の情報発信を続けてきました。しかし、新たに登場した「インターネット技術」は、この「1:1」と「1:N」の関係を同時に一つのメディアの中で共存させることを実現し、互いが情報交換することも可能にしたのです。

また「ソーシャルメディア」では、「1:N」の関係を「N(不特定多数)」ではなく「1:S(セグメント)」独自の価値観・ライフスタイルを持つ、セグメント化された個々の集まりに向けて情報を発信し、メッセージを交換することも実現していきます。

このように、従来の画一的概念では把握することができない、カテゴライズされた価値観を共有する集団に対してメッセージが届き、個々からのフィードバックが得られる仕組みが形成されたことが、「ネットメディア」の特性であり、メディアとコミュニケーションの観点から見ても興味深いところです。

次世代型メディアの予想

我々は「新たな製品・サービス」、「革新的メディアテクノロジー」などの表現をよく見聞きしますが、本来の意味での革新的発明や変革はそう多くは存在しません。「ラジカセ」が、「ラジオ」と「カセットレコーダー」の組み合わせであったように、大半が既存の要素技術の掛け合わせや応用なのです。革命的なパラダイムシフトは、複数のテクノロジーの融合によって誕生しています。

今後、「出版・放送などの旧来型メディア」と「ネットメディア」が互いに影響を与え合い、融合していく混沌とした状況の中から、次世代SNS等のメディアが創生していくのでしょうか。そのような「次世代型メディア」が生まれるとすれば、そのキーワードは「濃い関係性」に基づく「共感するコミュニティー」の形成と、情報の「共有・拡散」であると考えます。

これまで、成功したと言われているSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は、コアでマニアックな排他的コミュニティーと、オープンで汎用的なサービスとの絶妙なバランスの上に成り立っているのが特徴です。

写真共有サービスの世界では、スマホによる自撮り(Selfie)というムーブメントを発生させ、当初は主流であった「PhotoShare」はコアなコミュニティーの維持に執着するあまり、一般のユーザーには排他的なサービスとなり、「写真の共有」というコアコンテンツを前面に押し出し「Facebook」や「Twitter」への拡散を前提にした戦略の「Instagram」に敗れる結果を招きます。

この二つのサービスの異なるところは、「iTunes ストアで最も人気の写真共有サービス」と呼ばれ、コアでマニアックな「濃いコミュニティー」の運営に終始した「PhotoShare」と、当初から「Facebook」や「Twitter」と連携するオープンなソリューション展開を目指した「Instagram」の手法の違いにあります。「Instagram」はこの後、大型買収の形で「Facebook」に買収されますが、この動きは「写真共有サービス」が若者達のコミュニケーションツールのデファクトになり、一大勢力となる前に自分達の陣営に取り込みたい「Facebook」の思いが表面化したものです。

このような状況から予見されるのは、近い将来、より過激で先鋭化した「コミュニケーションサービス」が登場することです。そして、その新たなサービスが若者の利用するコミュニケーションツールの主流となりそうな時点で、「Facebook」によって買収される未来図です。

食の世界で「旬(盛り)」と季節の食材の「出会い」を愛でるように、今後マニアックな層を中心とした「コアで濃い」コミュニケーションサービスが台頭し、「Facebook」等の汎用的SNSと互いの特性を活かしながら融合することで、機能を拡張していくようなシステムのマリアージュを我々は体験することが出来るのでしょうか。

今回のコラムでは、システムの「旬(盛り)」について、メディアとコミュニケーションの観点から考えてみましたが、このコラムでは、今後もこのような独自の観点から、システムのあり方や、その先にあるビジネスモデルなどについて、考察したいと思っています。

最後に美食家「北大路魯山人」の言葉をご紹介して、今回のコラムを終わります。

「飽きるところから新しい料理は生まれる。」

それでは、次回をお楽しみに・・・

ユーザーファースト視点で考えるシステムの本質

執筆者:NPO法人 地域情報化推進機構 副理事長
ITエバンジェリスト/公共システムアドバイザー
野村 靖仁(のむら やすひと)氏

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