ハイレゾ音源は音楽再生を変革できたのか
~デジタル化がもたらした功罪を考える~

ユーザーファースト視点で考えるシステムの本質 [第6回]
2017年9月

執筆者:NPO法人 地域情報化推進機構 副理事長
ITエバンジェリスト/公共システムアドバイザー
野村 靖仁(のむら やすひと)氏

はじめに

夏の余韻を残しながら秋へ向かう休日の夜、久々にレコードが聴きたくなって、プレーヤーのスイッチを入れました。つぎに、アンプの電源をONにします。レコードライブラリーから取り出したのは、コレギウム・アウレウム合奏団のヴィヴァルディ ヴァイオリンのための協奏曲変ホ長調(ドイツ・ハルモニア・ムンディ原盤)。両手で優しくそっとターンテーブルの上に乗せます。

トーンアームをレコードの溝に合わせて、ゆっくりとカートリッジの針を下ろすと、かすかなサーフェイスノイズの中から、古楽器が奏でるしなやかな弦の音色が目の前のスピーカーの間に漂います。

このように「アナログレコード」を聴くためには「儀式」のような、一連の「所作」が必要になります。そして、その「所作」を体感することで、音楽を聴くという能動的な感覚が研ぎ澄まされていくのです。

今回のコラムでは、音楽再生のデジタル化を通じて、デジタルとアナログの特性やデジタル化がもたらした功罪について考えたいと思います。

デジタルとアナログの特性

楽曲のネット配信が主流になった現在、メディアの形態はCD(コンパクトディスク)などのパッケージから、インターネットによるサブスクリプション(定額聴き放題)へ移行しつつありますが、その一方で「アナログレコード(30cm LP Record)」が再び注目を集めています。

ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)では、アナログレコード人気の高まりを受けて、静岡県内のグループ企業ソニーDADCジャパンのディスク製造工場でアナログレコードの自社生産を約30年ぶりに再開し、今後は他社のレコード生産も受託すると今年6月に発表しました。

最近ではアルバムをCD・アナログレコード同時リリースするアーティストも多く、人気バンドのスピッツは結成30周年を記念して、過去のアルバムのアナログ盤を発売し、先月発売された桑田佳祐の6年ぶりとなるニューアルバム、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」の主題歌「若い広場」を収録した「がらくた」でも、アナログ盤LP Recordが同時発売されるなど、アナログレコードをリリースする動きが広がっています。

アナログレコードの全盛期を知らない10代、20代の若年層には、音質の良さだけではなく、CDより大きな30cm LPサイズのジャケットがコレクター気質や所有欲を満たす新たなメディアとして認識されるなど、私のような往年のオーディオマニアだけではない若い世代も注目するアイテムになりつつあります。

また、ネット配信が当然の時代に育った「デジタルネイティブ」な世代にとっては、先にご紹介した音楽を聴くまでの一連の「所作」や、リモコンで曲送りなど出来ない、スローライフを思わせるようなリスニングスタイルも、アナログレコードの魅力の一つとして新鮮に感じられているようです。

日本レコード協会の生産実績レポートによると、2016年に国内で生産されたレコードは過去10年で最多の79万9千枚を記録し、過去10年で最も生産数が少ない2009年の10万2千枚と比較すると約8倍に増加しています。

それでは、いま、なぜアナログレコードが再評価されているのでしょうか。レコードが奏でる音色には、CDなどのデジタル化によってそぎ落とされた「まろやかさ」や「温かさ」「ライブ感」など、リスナーが心地好く感じる質感が含まれています。

単にノイズがないことを良しとするのなら、間違いなくアナログよりデジタルの方が勝っています。しかし、リスナーが心地良いと感じる感覚はそんな単純なものではありません。

CDは人間の可聴周波数帯域に基づいて、20kHz以上の帯域をカットして作成されていますが、この高い周波数帯域の倍音成分を収録していないことが、音楽再生時のリスナーに影響を与えていることは以前から指摘されていました。

CDのように一定の周波数帯域をカットしない、原音のまま音を刻んだアナログレコードの方が、より自然で良い音に聞こえるのは当然であるともいえます。

いま、CDのスペックを超えるクオリティを持つ「ハイレゾ音源」が話題になっていますが、CDではカットされた高周波数帯域までが収録されてマスター音源に近く、「より高音質に音楽を楽しむ」という点では、アナログレコードと「ハイレゾ音源」が目指す方向性は同じだと思います。

音源による違いを確認するため、自宅でチック・コリアの「Light As A Feather」を、アナログレコード・CD・ハイレゾ、三つの音源で聴き比べてみました。

まずは、アナログレコードから聴きます。チック・コリアのピアノがスピーカーとスピーカーの間に現れます、それにフローラ・プリムの歌っている唇が見えるようなヴォーカルが重なり、厚みのある演奏とヴォーカルがそれぞれ個性を主張しながら、ライブ感をともなって溶け合うように聴こえます。

つぎに、最も聴き慣れたCDを再生します。やはり思ったとおりで、ポップなサウンドが聴きやすく耳に響きます。しかし、チック・コリアやフローラ・プリムはスピーカーの間に定位するものの、アナログレコードと比較すると、音の抜けは弱く音の輪郭もやや甘い、演奏されている「場」の空気感のようなものが感じられません。

続いて、ハイレゾ音源(FLAC 96.0kHz/24bit)を聴きます。ライブ感・空気感はアナログレコードに負けていません。そして音の粒立ちについては、ハイレゾ音源の方が際立っています。ただその反面、ピアノのアタック音に続く余韻の「やわらかさ」や、ヴォーカルの湿度を感じさせるような「温かさ」など、音の質感においては、アナログレコードに一日の長があると感じました。

デジタル化がもたらした功罪

音楽再生の分野は、アナログからデジタルへ転換していく中で、何か大事なものを置き忘れてしまったのでしょうか。

オーディオの世界では1982年のCD登場を境に、レコード市場の衰退が始まり、それとともにプレーヤーやカートリッジなどレコード関連市場も縮小していきます。

1990年代になると「オーディオ市場は死んだ」と言われ、それに代わって登場したのが「デジタルオーディオ」です。このデジタル化によって「誰もが簡単に良い音を得られる」新たな市場が誕生します。

しかし「誰もが簡単に良い音を得られる」環境が構築されたことで、オーディオ機器は機種ごとの差異が無くなり、どの製品も没個性的な性能・機能の機器ばかりになった結果、オーディオ市場はかつての「趣味嗜好品」から「コモディティ化」した市場へ変貌します。

MP3などの圧縮音源が主流の時代になると、デジタルコンテンツで音楽を再生する際に、リスナーが趣味的に介在する余地は限りなくゼロに近くなり、オーディオ機器はデジタルコンテンツを再生する、単なる「再生機器」になっていきます。

この「コモディティ化」したデジタルオーディオ市場では、アナログオーディオの時代に存在した重要な要素、リスナー自らが少しでも良い音を聴くために行う「創意工夫する余地」が消失したのです。

たとえば、レコードプレーヤー単体でも、プレーヤー本体の材質、構造や重量、MM・MCなどカートリッジの種類、アームの形状や品質、アームにカートリッジを取付ける際のリード線の材質、ターンテーブルの材質と重量、ターンテーブルを駆動するモーターの制御方法やベルトの種類、テーブルシートの材質やレコードを固定するスタビライザーなど、様々な要素が複雑に絡み合って、音質に影響を与えています。

オーディオマニアは、こうした要素の組み合わせの中から自分にとってのベストプラクティスを選び出し「創意工夫」することに無上の喜びを感じていたのです。

しかし、デジタルオーディオの世界では「誰もが簡単に高品質を得られる」とのうたい文句によって、リスナーが「創意工夫」する楽しみを失わせ、ユーザーが何も関与できない面白味のない世界を作り出してしまったのです。

こうした状況の中、パソコンとUSB接続することで、アナログレコードをCDの上位互換である「リニアPCM形式(192kHz/24bit)」や、SACD(スーパーオーディオCD)の上位互換「DSD形式(5.6MHz)」のハイレゾ音源として、再生した音楽を録音・保存することができるレコードプレーヤー「PS-HX500」が市販されています。

この、アナログオーディオとデジタルオーディオ両方の長所を兼ね備えた、ハイブリットとも言えるプレーヤーの登場は、往年のオーディオマニアだけではなく、デジタルネイティブな世代にも、より良い音の再生に向かってその過程を趣味的に楽しむ喜びを体現させてくれる可能性があります。

1960年~70年代のオーディオブームを経て、1982年に登場したCDから始まる音楽再生のデジタル化が「誰もが簡単に良い音を得られる」環境をもたらした反面、再生までの過程で、様々な試みを繰り返し「創意工夫」する楽しみを消し去りました。

いま、私達はかつて体験したことのないテクノロジーや、新たな要素技術を我が物にしていますが、これらの技術・仕組みをどのように活用して役立てるのか、その先にどのような感動や喜びを作り出すことが出来るのか、我々はそんな時代の分岐点に立っているのかもしれません。

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執筆者:NPO法人 地域情報化推進機構 副理事長
ITエバンジェリスト/公共システムアドバイザー
野村 靖仁(のむら やすひと)氏

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