岸和田とだんじり祭
だんじりの街の観光担当者が語る、祭りだけじゃない岸和田 [第1回]
2016年4月

執筆者:岸和田市産業振興部観光課
辻 諭(つじ さとし)氏

はじめに

皆さん、初めまして。岸和田市観光課の辻 諭です。入庁し16年目、現在の観光課では3年目を迎えたところです。
今回、とある方とのご縁から自治体ポータルに寄稿させていただくことになりました。これまでこのような執筆経験もなく、どのような文章が書けるのか非常に不安を抱いているのですが、せっかく頂いた貴重な機会ですので、チャレンジさせていただこうと決心しました。恐縮ですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。

さて、このコラムでは、だんじり祭に埋もれがちな岸和田のまちの魅力を、現在取り組んでいる観光施策に触れながらご紹介していきたいと思います。

岸和田市の概要

「岸和田市」の名前は、皆さん一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか。「岸和田だんじり祭」の開催地としてのイメージが強いかと思います。最初に、本市の概要を紹介させていただきます。

本市は、大阪府の南部に位置する人口約20万人の特例市です。大阪府内では、大阪市、堺市に次いで1922年(大正11年)に市制を施行し、2012年(平成24年)には90周年を迎えました。戦後は大阪府南部「泉州地域」の主要都市として、煉瓦産業や紡績業、織物業で栄えました。

岸和田市は、実は城下町の一面も持っています。岸和田に城がいつ築かれたのか詳細は分かっていませんが、羽柴秀吉の時代には、天下統一の過程で紀州の根来寺や雑賀衆への押さえとして、強化されました。豊臣氏滅亡後は、明治維新まで5万3千石を有する岸和田藩として栄え、大坂の南の守りとして、幕府の西国支配に重要な役割を果たした歴史あるまちです。天守を有する岸和田城や石垣、江戸時代の面影を残す紀州街道の町家や遠見遮断の鍵型路地、寺町筋など、城下町の名残がまちの至る所に残っていて、まち歩きが楽しめます。

岸和田市

岸和田だんじり祭

岸和田だんじり祭と言えば、勇壮な祭りとしてスピード感や直角に角を曲がる「やりまわし」のシーンを思い浮かべていただける方も多いかと思います。

岸和田だんじり祭は、江戸時代中期、元禄16年(1703年)に岸和田藩主 岡部長泰公が、京都伏見稲荷を岸和田城内三の丸に勧請、五穀豊穣を祈願し行った稲荷祭がその始まりと伝えられています。以降約300年間、市民により連綿と受け継がれてきた「歴史と伝統を誇る」祭りです。

マスコミによく取り上げられるのは、敬老の日の前日、前々日に開催される9月祭礼(2地区34台)ですが、地区が異なる10月祭礼(6地区47台)も体育の日の前日、前々日に開催されています。だんじりは、1つの町会もしくは複数の町会の連合組織毎に1台所有しています。町の宝として非常に大切に扱われ、修理を重ねながら長いものですと100年以上、引き継がれていきます。

だんじり祭り開催地

岸和田だんじり祭の主催者は町会

岸和田だんじり祭についての問い合わせで気付くのは、市が主催する祭りと思っている方の多さです。
実は岸和田だんじり祭は、市民により「自主運営・自主規制・自主警備」という3大原則に基づき、町会組織で運営されています。だんじり祭は、地区毎に複数台のだんじりが集まり行われていますが、だんじりの曳行に係る各種申請書を関係機関に提出するのも許可を受けるのも、あくまで町会単位であり、だんじり祭の主催者は各町会ということになります。

各町会においては、子どもからお年寄りまでが各々「青年団(~20代前半)」「組(~30代後半)」「若頭(~40代後半)」「世話人(~50代後半)」等に所属し、だんじり祭の運営を支えます。歳を重ねるにつれ担う役割も変わり、運営ノウハウも引き継がれていきます。

このように、幅広い世代が町の宝「だんじり」を通じて関わりあうことができ、統制の取れた運営がされている点に、私も感心せずにはいられません。20万人都市である規模にも関わらず、岸和田において特に地縁の強さを感じるのは、この祭りを通じた関わりがあるからこそだと思います。例えば、地域の清掃活動や廃品回収には、多くの青年団の若者たちが参加しているのをよく目にします。

また、岸和田だんじり祭は、複数の町が集まり地区により開催されることから、地区の総括的運営は、各町から1人選出された「年番」が行います。だんじりを曳く時間やコースの決定、市や警察などの諸団体との折衝、事故やトラブルの処理などを分担するとともに、年番組織の代表となった「年番長」が最高責任者としてその年の地区の祭りを統括します。そして、祭りが終わると、1年間の任務が終了し新役員に申し送りされる仕組みが出来上がっています。この年番システムは、200年以上も続いているということから、その責任の重さが分かります。

市の役割は後方支援

岸和田だんじり祭には、日本全国のみならず海外からも観客がお見えになります。9月のだんじり祭の全観客数は開催日の2日間で約50万人にのぼります。「地元の祭り」であり「見せる祭り」ではなかった岸和田だんじり祭は、元来は観客が多い祭りではありませんでした。観客が増え始めたきっかけは、元来の開催日程であった9月15日が「敬老の日」で祝日となったこと、また昭和47年にはNHK「ふるさとの歌まつり」で、岸和田だんじり祭が全国的に紹介されたことにあると言われています。

その後、テレビでの放映等を通じて全国的に有名になり、観客が非常に増加した経緯があります。本市に限った話ではありませんが、観客が増加すれば、当然ごみ問題やトイレの不足問題が生じます。ましてや約50万人もの観客ともなれば、市民による自主警備により確保してきただんじりの安全曳行についても、危惧される状況となっていきました。

そこで、平成6年に9月祭礼・岸和田地区において、だんじりを曳く側、観客を警備する側、観客を受け入れる側等の関係団体の代表者が一堂に集まり、諸問題を検討、協議する「岸和田だんじり祭運営協議会」が設置されました。この協議会では、だんじり祭の円滑な運営を側面から支援するとともに、文化観光及び地域振興に資することを目的としています。

市は、同協議会事務局の一員を担っており、具体的な支援内容としては、市ウェブサイトにてだんじり祭の情報発信(注1)、だんじり曳行ルートマップや交通規制マップの作成、救護所や観光案内所の設置、仮設ごみ箱や仮設トイレの設置、民間企業・団体の協賛によるクリーンキャンペーンへの参加呼びかけ等を行っています。

平成27年岸和田だんじり祭パンフレット

また情報発信では、岸和田市観光振興協会公式ウェブサイト「岸ぶら」にも、観光情報や祭り当日の様々なシーンが、写真を交え紹介されています。

支援を行ううえで肝要な点は、「市民が自主運営する祭り」であるということです。特に3大原則「自主運営・自主規制・自主警備」に行政が立ち入ることになっては、これまで築いてきた伝統に大きな負の影響を与えかねません。市民の手により永代続けられていく祭りであるために、市は適切な距離感を保ってきましたし今後も保ち続けなければならないと考えています。

今年の岸和田だんじり祭開催まで早くもあと5か月。岸和田へお越しいただき、市民による祭りを一度体感されてみてはいかがでしょうか。

次回は、だんじり祭に隠れがちな岸和田の魅力発信の取り組みについて、触れたいと思います。

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