経営に役立つコラム

【賢者の視座】株式会社ヒロハマ 廣濵 泰久

何のために会社を経営するのか?
その答えを提示したとき、会社は変わった。

株式会社ヒロハマ
廣濵 泰久

身近な存在でありながら、意外に知られていない「缶」業界。
株式会社ヒロハマは、缶のパーツを製造する国内トップメーカー。
50年続いた「万年業界2位」から同社をトップシェアへと押し上げた廣濵泰久会長が、中小企業の成長と持続的発展について語る。

高い技術力とユーザ志向の追求。その積み重ねの先に業界ナンバーワンがある。

株式会社ヒロハマ 廣濵 泰久

株式会社ヒロハマは1947年、廣濵会長の父である重治氏により創業。以来、およそ50年間、キャップ・口金など缶の部品を製造する缶パーツ業界でシェア2位が定位置だった中小企業だ。廣濵会長は重治氏の長男として生まれ、ごく当たり前に父の会社を継ぎ、バブル景気が終焉を迎えた1991年に40歳で社長に就任。缶パーツ業界が縮小傾向にあり、新社長として新規事業の必要性を感じる時期だった。

「2代目ですから、先代に負けたくないという思いは当然ありました」と、廣濵会長は当時を振り返る。「それに私がオムツをしている頃から知っている社員がおり、面と向かっては決して口にしないけれど、“2代目は修羅場をくぐってないからな”という目で見ている(笑)。そこで今度こそ業界ナンバーワンに肩を並べるつもりで、新規事業を立ち上げたんです」

当時は開けた後もフタが缶に残るタイプの飲料缶が出回り始めた時代。しかし、製造機械が非常に高価で、中小の缶メーカーが各々購入するには無理があった。そこでヒロハマが代表する形で製造機械を導入し、中小缶メーカーへ製品を納入することになったのだが、導入直後に割安な外国製品が輸入されるようになり、価格が暴落。工場ラインなども含めて、4億5000万円の損失を計上した。幸い本業が順調だったため大事には至らなかったが、この出来事は廣濵会長にとって大きな転機となった。

同じ頃、廣濵会長は中小企業家同友会全国協議会(中同協)の活動で経営指針を作る勉強会を立ち上げ、「何のために会社を経営しているのか?」を経営理念にまとめる作業に取りかかっていた。

「ところが、いくら考えても答えが出ない。2代目ってね、この答えがない人が多いんですよ。ただ、自尊心を満足させるためではないことは明らかでした」

悩んでいた廣濵会長を救ったのが、ある経営者の言葉だった。「人間は人に喜ばれることに喜びを感じるもの。だから、人に喜ばれることをやれ。ただし、自分ひとりではたいしたことはできない。多くの人の力を借り、もっとも効率よく分業できる組織=会社はそのために存在する」

この言葉に衝撃を受けた廣濵会長は、改めて自分が喜びを感じる瞬間を整理したという。そして、(1)お客様に喜ばれること(2)社員が目を輝かせて働く姿を見ること、という結論に達し、これを「(1)缶パーツとその関連技術を通じて、缶の社会貢献を全面的に支援しよう」「(2)一人一人の持つ全ての能力を共にベストの形で花開かせよう」という経営理念にまとめた。そして理念通りに事業を推進したところ、同社の業績が目に見えて伸び始めたという。

悲願の業界ナンバーワンへ!

では、経営理念を実行することで何が変わったのだろうか?

缶パーツには必ず缶に取り付ける作業が発生する。客先は食品メーカーや石油メーカーなどだが、彼らが缶メーカーや缶パーツメーカーに期待することはたったひとつ、「とにかく製造ラインが調子よく流れてほしい」。製造ラインには缶にキャップをはめる工程があるため、以前からヒロハマも相談を受けると現場へ行き、自社製品に問題がないか調査を行っていた。そして「当社の製品に問題はありません」と回答していたわけだが、当然ながら客先は満足してくれない。

株式会社ヒロハマ 廣濵 泰久

ところが経営理念を掲げた後のヒロハマは、対応が180度変わった。いや、経営理念を守るために、変わらざるを得なかったともいえる。客先から相談があると、「待ってました!」とばかりに技術支援メンバーが全国どこへでも飛んで行く。自社製品に問題がなくても関係なし。キャップをはめる工程全体を調査し、問題を解決するため、客先から「ヒロハマさんと付き合っていてよかった」と感謝されるようになった。

技術支援メンバーは、当時の技術部長を営業所長に異動させることで対応。技術部長は技術全般を幅広く知っており、どんなケースでも相応の対処ができたため、続けるうちに徐々にノウハウや実績が積み上がっていった。今では専任の技術支援メンバーが3名在籍し、週4日全国の客先へ飛ぶ。缶に関して、ここまで徹底する会社は他にない。

最近ではキャップそのものではなく、キャッピング機械や充填機械の相談も増え、他社製品が使われている現場の調査にも入るようになった。とりわけ缶メーカーからの相談の場合、客先へクレーム報告書を提出しなければならず、早急な原因解明と報告書作成が必須だ。その点、ヒロハマはその日のうちに原因を究明し、翌日には報告書を提出するため、非常に喜ばれるという。このように徹底してユーザ志向を追求し、客先の要望にこまめに応えるうちに業界シェアも上昇。経営理念策定の5年後、ついに業界ナンバーワンシェアを獲得する。

離職率ゼロの職場の作り方

経営理念の2つ目「社員一人一人の能力をベストの形で花開かせる」職場づくりも、働き方改革が叫ばれるはるか前から、着々と進めてきた。ヒロハマでは平成不況の最中の1994年から新卒採用を始め、以来25年間、平均4名程度を一度も欠かさず採用し続けている。しかも、この10年間は新卒社員の離職者がゼロ。そこには大きな理由が2つある。

1つ目は、公平な人事評価ができる職能資格制度を整備したこと。職種ごとに等級を設け、等級ごとにできなければならない職務の職能資格要件表を設定。これを「製造3級Aで〇歳なら基本給はいくら」という具合に基本給表と連動させた。すると社員は「給料を上げるためには何が必要か」を自覚し、自発的に努力を始める。事実、同社の社員の約半数は製造業関連の国家資格の勉強に取り組んでおり、仕組みが機能していることを実感するという。

2つ目は、自己申告制度と面接制度だ。社員は年1回、「どんな仕事につきたいか」「どんな目標を持っているか」などを自己申告書にまとめて会社に提出。これに基づき、本人と直属の上司、所属長、社長が面接を行う。そこでまずは社員がささいな理由でやる気を失くしていないか確認し、そのような事態があれば速やかに解消する。さらに、社員の成長に合わせた仕事や課題が与えられているか、本人や直属の上司と擦り合わせ、本人の希望も踏まえて異動などの調整を行う。「こうした制度を始めてから、社員がほとんど辞めなくなりました。上司一人ひとりが本人の考え方や方向性を確認し、きちんと擦り合わせると、社員の顔の輝きが違います。もちろん、会社のための制度ではありますが、本人のためでもある。そのことを真摯に伝えると、社員の心に響くんですよ」

経営者が本音でぶつかれる場を

さらに廣濵会長の経歴を語る上で欠かせないのが、中同協での活動だろう。同会に加入する中小企業はおよそ47,000社。47都道府県に約700支部が存在し、廣濵会長は全国協議会の会長を務める。各支部では、前述の経営指針をはじめとしたさまざまな勉強会を月1回開催。ほかに複数の専門委員会があり、例えば共同求人委員会では合同企業説明会の開催を担当する。まさに中小企業の経営者が学び合い、協力し合う組織で、会員同士が歯に衣着せず、本音で物事を論じ合えることが特徴だ。

株式会社ヒロハマ 廣濵 泰久

「経営者は裸の王様になりがちです。その点、中同協は会員の会費だけで運営する自助組織なので、“そんなことやってたら、おまえの会社潰れるぞ”と平気で言い合える(笑)。こんな本音の場はなかなかありませんよ」

最後に廣濵会長に企業の持続的な発展に欠かせないものを尋ねたところ、数多くの中小企業を見てきた経営者ならではの明快かつ論理的な答えが返ってきた。

「その答えの切り口は3つあります。1つ目は世の中の役に立ち、必要とされる社会貢献性。2つ目は社員一人ひとりが大切にされる人間性。人間性が欠けていると、ある時期から優秀な人材がどんどんいなくなり、会社は潰れてしまう。私はそんな事例をたくさん見てきました。そして3つ目は効率的に収益を上げる科学性。3つがバランスよく、つねにレベルアップしている企業が、持続的に発展できるでしょう」

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株式会社ヒロハマ
代表取締役会長 廣濵 泰久

1951年、東京都生まれ。1974年、慶應義塾大学卒業後、三重県にある缶メーカーに就職。数年間経験を積んだ後、父が創業した株式会社ヒロハマに入社。1990年、専務取締役時代に、中小企業家同友会全国協議会に加入。1991年、社長に就任。業務改革を実行し、数年後に同社を業界トップシェアへと導く。2008年、社長の座を譲り、取締役会長に就任。2017年、中小企業家同友会全国協議会会長に就任。企業の繁栄を目指す中小企業経営者とともに勉強会を続け、行政への政策提案なども行う。