経営に役立つコラム

【賢者の視座】日本ポリグル株式会社 小田 兼利

途上国の280万人へ
安全な水と水ビジネスを提供。
病気と貧困から人々を救う。

日本ポリグル株式会社
ポリグルソーシャルビジネス株式会社
小田 兼利

「安全に飲める水」を世界40カ国に提供し、BOPビジネス※の成功事例として知られる中小企業がある。
その日本ポリグル株式会社・小田兼利会長は途上国の人々の感謝と尊敬を集め、「今こそ人生の本番」と語る。
数多くの失敗を経て掴んだグローバルビジネス成功の秘訣とは?
※おもに途上国における年間所得3000ドル以下の低所得者層(Base of Economic Pyramid)を対象に、製品・サービスを提供するビジネス。

日本ポリグル株式会社 ポリグルソーシャルビジネス株式会社 小田 兼利

世界にその名を知られる日本ポリグルだが、本社があるのは大阪の商業地区の小さなビル。社員30数名の典型的な中小企業である。創業者の小田会長は自社の事業を説明する際、必ず水の浄化実験からスタートする。

実験といってもごく簡単なもの。ビーカーの泥水に少量の白い粉を入れ、かき混ぜる。すると、ものの数分で汚れが集まって固まりはじめ、水が透明に。汚れが沈殿したら脱脂綿で濾して取り除き、きれいな水のできあがり。最後に必ず小田会長はこの水を飲んで見せる。「数え切れないほどこの実験をしてきましたが、最後に自分で飲んで見せないと人は信用してくれません。川の泥水がきれいに生まれ変わったことを知ると、みな笑顔になって透明な水をキラキラした瞳で見つめるんですよ」

白い粉は小田会長が開発した水質浄化剤「PGα21Ca」。わずか1グラムで10リットルの水を浄化する性能を持つ。約40カ国で販売され、水を浄化するタンクがバングラデシュ、タンザニア、ソマリア、エチオピア、ブラジルなど各地に設置され、約280万人の人々がポリグルの水を飲んでいる。

水は命の源だ。毎日飲む水が汚染されていればさまざまな感染症を媒介し、乳幼児死亡率は高止まりし、人々の平均寿命も短いまま。水を巡る国際協力には古くから井戸掘り事業などがあるが、多額の資金と時間が必要なことが難点だった。その点、ポリグルの試みはわずか5日間でタンクを設置し、浄化剤の使い方を習得した現地スタッフが管理するというもの。タンクもスタッフもすべて現地調達で、日本から持ち込むのは浄化剤のみ。その浄化剤も水1000リットルあたり約1ドルという安さで、きれいな水を永続的に供給するビジネスが成立する。

ご存じのとおり、先進国からの支援は「施し」になりがちだ。ところがビジネスなら現地の人々に雇用をもたらし、自信と自立心が育つ。バングラデシュではじまったポリグルの水ビジネスは、訪問販売・集金を担当するポリグルレディと水運搬・販売を担当するポリグルボーイを生み出し、その数は今や800人。水による健康問題だけでなく、貧困からの脱却や女性の社会進出にまで好影響を与えている。

技術は完璧でも消費者が買えない価格では意味がない

日本ポリグル株式会社 ポリグルソーシャルビジネス株式会社 小田 兼利

誰も成し得なかった水ビジネスを急速に広めつつある日本ポリグルだが、ここまでの小田会長のビジネス人生は山あり谷ありだった。

空調機器メーカーの優秀なエンジニアだった小田会長は30代で独立。技術系コンサルティング会社を立ち上げ、製造装置の精度を高める「光電マーク」や、ナンバー式の「電子ロック」などを考案。当時としては画期的な発明だったにも関わらず、一度倒産の憂き目に遭う。

「私は商売がうまくない。発明品の特許も取得していなかったし、自信満々で売り出そうとした電子ロックも消防庁の許可が直前で下りず、資金繰りが悪化して持ちこたえられなかった。もともと根っからの技術屋なんですよ。

笑われてもいい。大きな夢を持て。

技術屋は理想を追いかけてもいいが、経営者は技術に注文をつけなくてはならない。技術が完璧でも、消費者が買えない価格では意味がない。だから途上国で浄化剤を売るときも、“いくらなら買える?”と現地の人々に尋ね、“1000リットル/1ドルなら買える”と聞き、そこから現在の仕組みが出来上がったんですよ」

転機が訪れたのは1995年の阪神・淡路大震災。水道がストップし、給水車の長い行列に並んでいた小田会長は、すぐ横にある池の水を見て、「あの水が飲めたらなぁ」と考えた。そのとき思い出したのが、約40年前の論文にあった「納豆のネバネバ成分・ポリグルタミン酸に水を浄化する性質がある」という一節。このわずか2行の記述が、小田会長の技術屋魂に火をつけた。数年間の試行錯誤を経て開発した水質浄化剤は過去最高の自信作となり、「これでひと儲けできるぞ」と日本ポリグルを設立。国内の自治体へ売り込んだが、設立間もない中小企業はまったく相手にされなかった。

落胆する小田会長を救ったのは、2004年スマトラ沖地震直後にタイ政府から受けた支援要請だった。さらに2007年、サイクロン被害のバングラデシュでも被災地に安全な水を供給し、現在のビジネスモデルへとつながった。「当社から現地へ浄化剤を送るコンテナ費・内陸輸送費・関税などを考えると、水1000リットル分の浄化剤にかかるコストは1ドル弱。現地の家庭が払う金額が月300リットルで1ドルなので、現地での粗利益率は60%前後。ポリグルレディなどの人件費もここから出せる。深く原価計算をしたわけではないが、立派に現地ビジネスが成り立ち、今やバングラデシュのスタッフがタンザニアに飛んでビジネスを拡げていますよ。日本から技術者を派遣する10分の1程度のコストで、立派な成果を挙げています」

現地へ足を運び、現地の資源を活かす

グローバルビジネス、しかもかつて誰も試みなかった水を取り扱うBOPビジネスと聞けば、さまざまな困難が思い浮かぶ。多くのグローバル企業が苦心する現地スタッフの育成や治安リスクなど、数え上げればきりがない。ところが小田会長は「現地スタッフとの交流がいちばん楽しい」と顔をほころばせる。「ポリグルレディは、きれいな水を見た現地の女性たちが“離れた集落へ売りに行きたい”と言い出したのが出発点。“ボートやリヤカーに載せてもっと遠い集落へ売りに行きたい”と集まったのが、ポリグルボーイ。いずれも私が意図的にはじめたシステムではありません。タンザニアでは水タンクの周りに多くの屋台ができ、奥地の集落へ運ぶ水売りの人たちが自然発生的に現れた。要するに、きれいな水の周りには人が集まるんですね」

こうした成功の背景には、先人たちが築き上げてきた日本人や日本の技術への信頼感がある。「日本人だというだけで、私はどこへ行っても歓迎される。海外で頑張った先人たちの努力を決して裏切ってはいかんよね。我々が背負っているのは自分の技術や会社だけではない、日本のイメージそのものなんだから」

さらに現地に何度も足を運び、現地の事情を知ることが、ビジネス成功の鍵となる。「スマトラ沖地震支援で初めてタイへ行ったとき、欧州有名メーカーの2000万円ぐらいする浄水機械が埃を被ってほったらかされていました。彼らは設置だけしてすぐに帰国してしまい、現地の人々は複雑な機械のメンテナンスができない状態。これでは本当の支援にはなりません。私が極力現地の資材を使うのは、現地の人たちが修理しながらずっと使い続けられるからですよ」

そして小田会長は次のように付け加えた。「それと当社にお金がなかったから。だからうまくいった。お金があったら、日本から高価なタンクを運ぼうという発想になっていたでしょうから

治安リスクも当然避けては通れない。アフリカでは2度に渡って強盗に遭い、口の中へ拳銃を突っ込まれたこともある。IOM(国際移住機構)の要請で訪れたソマリアでは、武装兵士に護衛されての活動だった。設置したタンクのうち、ゲリラに2カ所を破壊されたが、翌日には現地スタッフが修復させたという。

60歳を過ぎて自分が生まれてきた理由がわかった

75歳にして1年の半分を海外で過ごし、安全な水の普及を図る小田会長。今やBOPビジネスのトップリーダーとして安倍首相が演説で取り上げ、CNNやBBCが番組で放送し、それを見た世界中の人からメールが届く。開発当初の「ひと儲けできるぞ」という考えはいつのまにか消え、世界中から届く子どもたちの笑顔の写真や感謝の言葉が仕事の原動力となっている。

「いろいろな失敗をしてきたが、この事業を成し遂げるために今までの経験があったのだと、私は今、はっきり言い切れる。60歳を過ぎて、なんのために自分が生まれてきたのか悟った。自分の命の使い方がわかったんですよ。私が元気で動けるうちに世界中の人が安全な水を飲めるようにしたい。本当にできる気がするんですよ」

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ポリグルソーシャルビジネス株式会社
代表取締役会長 小田 兼利

1941年熊本県生まれ。大阪大学卒。カリフォルニア工科大学で博士号を取得。大阪金属工業(現・ダイキン工業)に入社し、エンジニアとして活躍後、技術コンサルティング会社を起業。2002年日本ポリグル株式会社を設立。2012年、公益事業を専門とするポリグルソーシャルビジネス株式会社を創業。深刻な水問題の解決のため、1年の半分は海外を駆け回る。NPO法人国際ボランティア学生協会の特別顧問も務め、学生とともに環境保全活動にも取り組む。