経営に役立つコラム

【賢者の視座】スペック株式会社 石見 周三

守るべきところは守り、変えるべきところは変える。
「不易流行」でないと、企業は生き残れない。

スペック株式会社
石見 周三

東京都中央区に本社を置くスペック株式会社は、大手音響機器メーカーのOBが集まって立ち上げた“親父ベンチャー”。
創業当初の平均年齢52歳という同社を率いて10年。
代表取締役社長石見周三氏に起業の道のりとベテラン集団ならではの強みを聞いた。

音響機器に夢を描く“親父ベンチャー”50代からの挑戦

スペック株式会社 石見 周三

石見社長は1975年、大手音響機器メーカーに入社。営業マンとしてキャリアを築き、2008年販売子会社の取締役に就任した。ところが翌2009年、親会社がプラズマテレビ事業で設備投資を繰り返した末に価格競争に巻き込まれ、業績が悪化。全世界で1万人のリストラ計画を断行することになり、石見社長も販売子会社で80人のリストラを命じられた。そこで多くの社員に面接したが、みな石見社長と同様に音楽を愛し、自社のオーディオ機器に誇りを持つ人ばかり。「どうして私なんですか?」「私が何か間違ったことをしましたか?」と声を絞り出す社員に、「申し訳ない」としか言えず、ともに涙する日が続いた。この「人生でもっともつらい経験」が半年続いた後、希望退職者が80人に達した時点でリストラは終わる。しかし、その途上で石見社長自身も幹部としての責任を感じ、退職を決意していたという。

当時、石見社長は57歳。将来に向けて何かできることはないかと起業を考え、音響機器メーカーを退職した仲間に声をかけると10数人が集合。神奈川県の三浦半島にある合宿施設で3日間の合宿を決行することになった。

「声をかけたのは、会社にいた頃から優秀で、僕に共感してくれていた人たちです。例えば、製品技術部門で400人の部下を持ち、レーザーディスクを開発した技術者。営業部門では支店長だった人。僕は取締役としていろいろな工場や支店とつきあいがあったので直接声をかけた人もいますし、紹介を受けて来た人もいました。ちなみに、我々のコアコンピタンスは、(1)新しい音響デバイスを開発する力と選択する耳を持っていること。(2)経験に基づいたスキルとノウハウを持っていること。つまり、全員がエキスパートなんです」

3日間の議論の末、やはり原点に戻り、高品質なオーディオ機器を社会に提案することが決定。石見社長が「退路を断って新会社に来てほしい」と仲間に告げた結果、10人の同志が新会社に参加することになった。

苦境を救ったベテラン技術者のアイデア

こうして新会社スペックがスタートしたが、ほどなく資金繰りに行き詰まる。スペックはメーカーとして製品を企画・開発・製造するわけだが、1号機が完成したのは起業から9カ月後のこと。当然ながら、1号機が売れるまでは1円の売上も見込めない。しかも、メンバーは前職でそれなりの給料を受け取っていたエキスパートばかり。前職ほどではないにせよ、彼らに給料を払い続けると、手持ち資金は2~3カ月後に底をつく。その後は金策に走り回る日々。わけもわからないまま政府系金融機関に飛び込んで融資に漕ぎつけたこともあったという。

「当時、取締役は僕を含めて6名いたんですが、全員役員報酬はゼロ。みな、前職の退職金や貯金を取り崩して食いつなぎました。僕はもともと楽天的な性格で“ギブアップするまでは倒産ではない”と思っていましたが、さすがに眠れない夜もありました。だって明日支払う金がないんですから」

この厳しい時期に、技術責任者の役員があるアイデアを出す。アンプの中の回路を取り出し、10cm程度の小箱に入れてアンプの後ろにつけると、ベールを1枚も2枚も剥ぐように音がクリアになる。このリアルサウンドプロセッサーを45,000円で売り出したところ、大ヒット商品に。アンプ1号機が完成するまでの糊口をしのぐことができた。

「とにかくキャッシュが入って来ることがうれしくてうれしくて(笑)。1号機はおかげさまで好評を博し、9年経過した今もコンスタントに売れています」

不況のときこそ新参者にチャンスがある

スペックが製造するのは、徹底的にリアルサウンドを追求したハイエンドなオーディオ機器。例えば、国内外合わせて15機種をラインナップするアンプの価格は35~600万円。一般向けに発売されているオーディオ機器は、高域音を伸ばしたり、低域音を強調するなど音に加工が施されているが、スペックが目指すのは「音楽の源流に近づける音」。コンサート会場やライブ会場で耳にする本来の音だ。

いつの時代もオーディオファンには音楽の本質を追い求めるマニアが存在する。あまり知られていないが、音響機器業界には少人数の「ガレージメーカー」が数多く存在し、手作りでこだわりのオーディオ製品を生産しているという。スペックもまた、「指揮者の意図まで見える音でなくてはいけない」と音質にこだわり、国内外のマニアに製品を届けている。

「ご存じのとおり、スマートフォンなどで音楽を聴く人が増え、我々のような音響機器のマーケットは年々縮小しています。しかも起業の時期がリーマンショック直後で、今後市場がどう動くのか読めない時代。しかし、だからこそ僕はチャンスだと考えました。音響機器が好調な時代なら販売店は新しいメーカーを必要としないが、市場が縮小している時代なら目先を変えたい、新たなものを訴求したいと考えるので新参者が入り込む余地がある。実際、そのとおりでした。ハイエンドに絞り込んだことも正解で、スペックは国内ではあまり知られていませんが、海外では評価が高いんですよ。ぜひ試聴して体感していただきたいです」

スペック株式会社 石見 周三

コロナ禍において、同社でも海外販売に向けてさまざまな取り組みが続く。これまでは海外の展示会に出展し、実際にリアルサウンドを体験してもらって販路拡大を図ってきたが、パンデミック下ではほぼ不可能なため、WEBサイトやYouTube上での「体験」コンテンツを企画中だ。また、展示会への出展コストが不要になった分、海外の代理店へ無料のサンプル提供を行い、「展示会での体験」から「現地代理店から販売店への売り込み」へと仕掛けを変えたという。

「そもそも僕の営業スタイルや生き方は“面授口訣”。顔を合わせて自分の言葉で言わないと何も伝わらないと、ずっと考えてきました。しかし、今やコロナ禍でそれはできない。ならば“不易流行”で、自社のフィロソフィーなど守るべきところは守り、変えられるところはどんどん変えていく。時代に合わせてスタイルを変えていかないと、企業も生き残れませんから」

経営者に夢がないと人はついてこない

創業から10年を経て、一部の役員が高齢や親の介護を理由に退任したものの、今も同社の社員は同じ音響機器メーカーのOBのみ。2020年2月にも社員を1名採用したが、これもOBのベテランだ。「10年前に私自身がリストラに関わりましたから、ひとりでも多く救いたい。新卒社員を採用するという発想はないですね」

ではエキスパートばかりが集まった組織を運営するとき、心がけるべきこととは何か?この問いに対する石見社長の答えは明確だ。「まず、経営者自身がオールマイティでないことを自覚すること。ベテランには任せられるところは任せ切る。相手への信頼に疑問を持たない。口も出さない。ただし、エキスパートというものは複眼的にものを見るのが苦手ですから、そこは経営者の役目。商売のタネがあるか、どのタイミングで打ち出すか、社会や業界の空気を含めて全部読み取ることが僕の役割。そして夢を語ることですね。経営者に夢がないと人はついてきてくれません」

10年前、合宿して起業プランを練ったとき、石見社長は「夢を買ってください」と仲間に呼びかけたという。役員報酬も払えない時代が続いたが、彼らはそれにも耐えて、会社という運命共同体は続いている。

「そのためには仲間の前では裏表のない人間であること。10人の社員の背後には数10人の家族がおられるわけですから、その生活を支える社会的責任感を持ち続けること。そして社会に貢献すること。そのスタイルがなければ、経営者は続きません」

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代表取締役社長 石見 周三

1952年、三重県生まれ。明治学院大学法学部卒業後、パイオニア株式会社に入社。営業所に配属され、山形、新潟、東京・立川の営業所長を歴任。1995年、ホームエンタテインメントカンパニー(HEC)九州地区販売部長。2008年、販売子会社のパイオニアマーケティングの取締役営業本部長に就任。2009年、社内のリストラを指揮した後、自らも退職。2010年1月、スペック株式会社を設立。同10月、アンプ1号機を世に送り出す。自然素材を使ったDクラスアナログアンプなど、他メーカーにはない独自性のある製品づくりを得意とする。