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オリンピックメダリストに学ぶ

初めて自分で自分をほめたい、
この言葉に隠された真実
~自分を見つめるもう一つの目、それが指導者の役割~

元女子マラソン選手 有森 裕子

「マラソンが好きだから走り続けてきたわけでない」と語る有森氏。では、なぜマラソンを続けることができたのか。それは、辞める理由がなく、マラソンは生きるための仕事であったから。しかし、だからこそ、プロフェッショナルとしての誇りをもち、結果を出せたのだという。

練習とは、分からなかったことを発見するプロセス

子供のころ、両親に「自分の目のちょっと上、眉毛のあたりに目標をすえて、それを少しずつ達成しなさい」と言われたことがあります。その日に一生懸命頑張ればなんとか手が届くぐらいの目標を毎日クリアしていく。ただその目標は、自分が立てたからには全力でやりきる。このことだけはずっと心がけてきました。

私は、最初からオリンピックでメダルを獲るなんていう大きな目標を持っていたわけじゃないんです。マラソンを始めたのも、それが好きだったわけでも、得意だったからでもない。マラソンを辞めたら他にできることが何もなかったんです。

それでも毎日、頑張って練習を続けていれば、その日に出来たこと、出来なかったことが分かるようになります。なぜそれが出来たか、出来なかったのか、その理由を理解することが大切。何が良かったか、悪かったかが分からないまま、何となくいいタイムが出せたというのでは、次につながりません。

練習というのは、出来ることをコンスタントにやることではなくて、出来なかったことを出来るようにすること、それまで分からなかったことを発見するプロセスです。つまり、意識化することが大切なんです。その日の成果を意識し、それを基準にまた明日の目標を立てる。毎日その繰り返しです。

毎日の必死さや一生懸命が人生を組み立てていく

元女子マラソン選手 有森 裕子

マラソンは特にその日の天候に大きく左右される競技で、コースも大会ごとに違います。本番のレース途中に給水ボトルを落としたり、思わぬアクシデントで変調をきたすこともあります。そうしたあらゆる事態に臨機応変に対応するために、普段からの練習が欠かせません。

練習の中で、ランナーはさまざまなことを経験します。靴下を履かなかったら調子が悪かったとか、食べ物を変えたら走りが良くなったとか。そうした経験の積み重ねがレースで生きるのです。そういう経験をせずに、いきなり本番で優勝するなんていう奇跡はまず起こりません。

子供たちを指導する時に言うのは、何分というタイムを出しなさいということではなく、「その日のベストを尽くしなさい」「考えながら走りなさい」ということです。今日のベストは今日しか出せない。今日の練習は今日しかできない。そこをおろそかにしたら、明日になっても明後日になっても、何も見つからないよ、と伝えています。

私自身、練習を重ねるうちに、体育教師になるという人生の目標が、実業団でマラソンを続けることに変わり、そのうちだんだんとオリンピックという目標が見えてくるようになりました。毎日の必死・一生懸命・本気が人生を組み立てていく。自分の仕事はマラソンだと思い定めるようになってからは、辞めたいと思ったことは一度もありません。だってこれは私の仕事なんですから。

アトランタで銅メダル。あふれでた言葉の真意

とはいえ、バルセロナで銀を獲った後から次のオリンピックまでの期間は、私の人生の中で最もといっていいほど、辛い4年間でした。重圧があったわけではなく、「燃え尽きた選手」と思われ、誰も「次を狙え」なんて期待する人がいなかったんです。その頃のマラソン界はメダルを獲ったら引退か、以前と同じ環境や条件で駅伝から始めるか、それぐらいしか選択肢がありませんでした。アスリートの地位を高めたいなどと発言すると「天狗になっている」と批判されたものです。

そのうち足底筋膜炎で踵に痛みが出るようになりました。思うように走れないのは足が痛いからなのか、そんなことを考えているから足が痛くなるのか、自分でもわけがわからなくなるほどでした。2年半も迷った末、1994年に踵の手術を決意します。その時は手術に失敗したらマラソンを辞める、成功してまだ走りたかったら走ればいい、そんなふっきれた気持ちでした。

手術に成功し、病院で「有森さん、もう一回オリンピックで走るんだよね」と言われた時に気づきました。私は足が治ったら、もう一度オリンピックを考えてもいい、そういうチャンスに恵まれている人間なんだと。だったら走らなければならない。走るかどうかなんて、実に贅沢な悩みだったんだと気づかされました。

そして、アスリートの地位向上に向けた私の発言を、もう一度みんなに聞いてもらうためにも、アトランタでもう一度メダルを獲らなければならないと考えるようになりました。私の人生をもう一歩進めるためには、メダルが必要だったんです。つまり、悔しさがバネになった。負のエネルギーをなんとかプラスに変えていったんです。

元女子マラソン選手 有森 裕子

アトランタでの銅メダル獲得は奇跡でした。メダルよりも何よりも、もう一度オリンピックの現場に戻れたこと自体が奇跡でした。「ああ、自分はよくぞ戻ったな」という正直な気持ちが、レース後の「初めて自分で自分をほめたいと思います」という言葉になってあふれたんです。

アトランタの後、肖像権の自主管理などを訴え、プロ宣言を行い、CMにも出演しました。今はプロフェッショナリズムを自覚する競技者が増えました。私のプロ宣言が選手たちの環境を変えるのに一役買ったのだとすれば嬉しいことです。

昨今では、市民マラソンブームが到来し、随所で市民大会が開かれるようになりました。とても良い環境になったと思いますが、ただ一つ残念なのは女子も男子も、次のオリンピックで勝てるような世界レベルのトップランナーが若手に見当たらないこと。底辺は広がったけれども、頂点がいない。今こそ、世界を目指してみんなを引っ張るランナーを育てていく。その環境を整えることが、私の役目だと思っています。

初めは「ライスワーク」。それがいつか「ライフワーク」に変わる

昔から自分で決めて何かをやり始めたら、やり続けるのが当たり前。その何かが「好きだから」あるいは「嫌いだから」という理由で途中で辞められるとは、私には考えられません。

変に理想像をもつと、その姿にほど遠い自分の現状に焦ったり落ち込んだりして、その競技を放り出したくなる人もいるかもしれませんが、私の場合はそうではありませんでした。学生時代から陸上のエリート選手ではなかったし、実業団に入るときも無理矢理押しかけたようなものですから、誰かと比べるなんていうゆとりもなかった。ただマラソンが自分の仕事だとは思っていましたから、ひたすら努力して、昨日の自分より明日の自分というように、自分が伸びていく可能性に賭けるしかありませんでした。

おそらく世の中の他の仕事もそうだと思います。多くの人は、最初は食べるために仕事を選ぶのだと思います。それは人生を生きるためのスタートなのですから。私はそれを「ライスワーク」と呼んでいますが、食べるため、家族を養うための仕事だからこそ、プロフェッショナルとして関われるし、誇りをもてる。そのうち「ライスワーク」が「ライフワーク」に変わっていくということはあるでしょう。けれども、スタートはやはりライスワークだと思います。

仕事においては、好きとか嫌いとかを言う前に我慢が必要です。自分に合うものなんて、そんなもの一生探してもなかなかありません。合うものを探すんじゃなくて、自分が合わせる。それが大切なんじゃないかと思います。

自分が変わることが必要なんだと気づくためには、まず「変わらない」ものにぶつかっていくことですね。サッカーのボールは一つしかない。それがルール。だったらそのルールに合わせて、自分のスキルを磨くしかない。マラソンなんて最たるもので、雨が降ったり風が吹いたり、速い選手がエントリーしたり、その日の条件を変えることはできません。マラソンはまさに自分を切り替えることで、どれだけ早く現状を変えられるかを競うスポーツだと言ってもいいぐらいです。自分をいかにコントロールできるかで、勝負は決まってきます。

自分を見つめるもう一つの目、指導者の役割

元女子マラソン選手 有森 裕子

選手をより速く走らせるための不可欠な条件の一つが、監督・コーチ・スタッフです。優秀な選手なら一人で走っても、ある程度のところまでは行くと思います。けれども、世界で闘うには一人では無理です。というのも、選手は自分のことをよく分かっているつもりでも、やはり世界で勝つためには、自分以外の目を持つことが欠かせないからです。

自分以外で自分の本質を見抜くことができる人。例えばそれを監督だとしましょう。優れた監督は、その日の選手の表情や走りを見ながら、練習のメニューを毎日変えていきます。故障している選手でも、この痛みなら故障を押してもう少し走れるぞとか、こっちが痛いのなら止めた方がいいとか、即座に判断できます。ある程度負荷をかけないと選手は成長しませんからね。その選手のことは、監督がいちばん分かっています。

小出義雄監督も、非常に繊細な気配りができて、走ることにものすごい執着を燃やす方でした。選手がオフの日、といってもマラソンランナーはジョギングで体を慣らすことを止めるわけにはいきませんから、基本的に完全休養はないんですが、そのジョギングの細かい内容を、見ていないようできちんと把握されていました。選手がフリーな日は、自分たちもフリーだなんていって、監督がゴルフなどをしていれば、絶対に勝てません。そういうやり方が今風の教え方だと言われても、私なら絶対についていかないです。

あなたはなぜ走るのか──問いかけで促す本人の自覚

私がもしマラソンの監督をするんだったら、同じようなことをすると思います。本当にその子を闘わせたいのであれば、「あなたを強くしたいんだ」とはっきり言います。それがはっきりすれば、やらなければいけないことは明確なので、ひたすら実行するだけです。

ただ、本人が「自分は強くなりたい」と思わなければ、厳しいです。その子に期待しているのは、監督や周囲だけではない。「自分自身が自分に期待している」ことに気づかせなければだめです。本人に気づかせるためには、問いかけがとても大事。指導者がすべきことは、何でも答えを先に言ってあげることではなくて、「何でここに来たの?何をしたいの?どうなりたいの?」と問いかけを続けることです。

たとえ勧誘されてやってきた子でも、そこに来たのは本人の意思であることをはっきりさせなくてはいけない。「ここに来たのはあなたの意思。だから、これから起こることは全てあなたの責任でもある。あなたの意思によって起こっていることなんだよ」とね。

元女子マラソン選手 有森 裕子

たとえ実業団でも、選手にプロ意識をもってもらうためには、お金のこともはっきり自覚させなくてはいけないと思います。趣味で走るのではなく、仕事として走るのだと。あなたが勝つことで、スポンサー企業は収益を生み出しているんだと。だから勝たなければならないんだと。

オリンピック選手がお金の話をすると嫌がられる傾向がまだありますけれど、そうじゃないと思うんです。自分のお金じゃない、人のお金を使ってでも競技をやらせてもらっていることは、実はとてもすごいこと。普通の人にはなかなか真似のできない素敵なことなんだと教えればいいだけの話です。

スポーツを仕事にする人が誇りをもち、見る人がその姿に勇気づけられる。そんなふうにスポーツ文化を高めていくことができればいいなと思います。(談)

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元女子マラソン選手
有森 裕子(ありもり・ゆうこ)

1966年岡山県生まれ。就実高校、日本体育大学卒業後、(株)リクルートに入社。1990年の大阪国際女子で当時の初マラソン日本女子最高記録を樹立。1991年の世界陸上代表にも選出され、一躍トップランナーに。1992年バルセロナ五輪で銀、1996年アトランタで銅メダルに輝く。引退後はアスリートのマネジメント会社ライツ「現:(株)RIGHTS.」を設立。
国際陸連女性委員会委員、日本陸連理事、国連人口基金親善大使などを歴任。2010年IOC女性スポーツ賞を日本人としてはじめて受賞。現在も、NPOハート・オブ・ゴールド代表理事、スペシャルオリンピックス日本理事長、日本体育大学客員教授、就実大学客員教授、日本陸連女性委員会委員などを務める。近著に『やめたくなったら、こう考える』(PHP新書)がある。

(監修:日経BPコンサルティング)