著名人から学ぶリーダーシップ著名人の実践経験から経営の栄養と刺激を補給

金メダリストに学ぶ

チームと個人を目標達成へ導く
リーダーシップ論
~自分一人では闘えない。ソウルの敗北から私が学んだこと~

柔道家 古賀稔彦

目標を持ち、目標を達成するためには自らの心とどう向き合うべきなのか。選手としてだけではなく、指導者としても様々な経験をされている柔道家の古賀稔彦氏に、ビジネスやスポーツにおいて欠かせないモチベーションの保ち方、目標達成のために必要なこと、指導者としての必要な思考や取り組みについてうかがった。

惨めな敗北の日。観客席に頭を下げる両親の姿を見た

若い頃は、自分が勝ちたい、自分が勝たねばならないという気持ちが強かったですね。柔道が個人競技だということもありますが、自分が勝ちたいから練習するのは当たり前だし、その姿を見てみんなが応援してくれるのも、当然のことだと思っていました。

「古賀さん頑張ってよ!」と声をかけられるたびに、「はいよ」と軽く受け流していた自分がいました。しかし、人から応援されるということは、決して当たり前のことではなく、本当はものすごく幸せなことなんだと、ある時気付きました。

それは忘れもしない1988年9月。ソウルオリンピック、71キロ級の試合でした。20歳の私にとっては初めてのオリンピックでしたが、マスコミは「金メダル確実」とはやし立てます。私はその時、柔道をやっていて初めて周りのプレッシャーから試合に出るのが怖いと感じていました。2回戦まではなんとか勝つことができたものの、3回戦を前にすでに抜け殻のような状態。案の定、そこで敗れました。

あの敗北は惨めでした。日本選手は7人いましたが、金メダルを獲ったのは重量級の斉藤仁選手1人。試合後、ソウルの表通りにある美味しい焼肉屋で食事できるのは、斉藤さんのみ。他のメンバーは、絶対に日本人が来ないような裏路地にある焼肉屋で食事をしました。敗北の責任感を感じ、申し訳なくて日本人とは顔を合わせるのも嫌だ、そんな気持ちだったんですね。

日本に帰ってからテレビでオリンピック特集番組を見ました。「日本柔道不振」をテーマにした番組でした。ちょうど私が敗れたシーンが映っていたのですが、試合が終わった瞬間、観客席を映すカメラには、わざわざソウルまで応援しにきていた私の両親の姿が映し出されていました。後ろの日本応援席に向かって、一生懸命に頭を下げているのです。その映像を見た時、一気に様々な思いが交錯しました。

柔道家として人のために自分を役立てる

柔道家 古賀 稔彦 それまでは、強くなるのも自分一人、世界大会に出るのも自分一人、そして負けるも落ち込むのも自分一人だと思っていたのですが、そうではなかった。両親も家族も、コーチやスタッフも、それこそ応援してくれる人々すべてが、私と同じような気持ちで闘ってくれていたのだと、その時改めて気付いたのです。

誰かしらに、「頑張ってね」「応援してます」という言葉をもらっていたことは、実は当たり前ではなくて、本当はものすごく幸せな環境だったということが分かるようになりました。その時から、一人ひとりの言葉や何気ないサポートをありがたく感じるようになり、人々の言葉や行動が、素直に自分の力に変わるようになりました。それはプレッシャーとはまた別の力なのです。

応援席にいる自分の両親をはじめ、私を応援してくれるすべての人たちに喜んでもらえるよう闘おう、そう思うようになりました。人々に恩返しをするために、自分はもっと強くなろう。そのためには何をどうすればよいのか、どういう練習をすればよいのか、そういう視点で自分の柔道を見つめ直すようにしました。

そのように考えていくうちに、今度は人に対する気遣いという点でも、自分の心構えが変わるのが分かりました。あの時、言葉をかけてもらって自分も助かった。これからは自分も誰かのために何かできないだろうか、たまには後輩たちにも技を教えてみようか、などと考えるようになったのです。

現役の選手というのは、普通はなるべく自分のことしか考えたくありません。せいぜい自分の親しい人間とか自分のチームのことだけしか考えられない。それが、同じ柔道家として自分が何か役に立つのであれば、喜んで人の役に立とう、と考えられるようになりました。そんな気遣いができると、気遣ってもらえた人が、またこちらに気遣ってくれたり、応援してくれたりという相乗効果も生まれます。それが繰り返されることで、ある意味、ものすごい数の人々から応援されるようになったのです。

バルセロナオリンピックで金メダルを獲ったこと以上に、ソウルオリンピックで敗れたことが、柔道家としての私の今を形作っているのだと思います。

あらためて自覚する「精力善用・自他共栄」の精神

2000年に現役を退き、指導者の道に入った時、周囲への感謝や気遣いを忘れないよう心に決めました。今は、川崎市で「古賀塾」という町道場を開き、そこには主に小学生が通ってきています。大学では女子チームの総監督を務めています。

柔道は勝ち負けをはっきりさせる競技でもありますが、同時に、嘉納治五郎先生の言葉「精力善用・自他共栄」を基本理念にして、身体と精神を鍛錬するスポーツでもあります。「精力善用」とは、自分が持つ心身のエネルギーを最大限に使って、社会に対して善い方向に用いること。「自他共栄」は、相手に対し、敬い、感謝をすることで信頼し合い、助け合う心を育み、自分だけでなく他人と共に栄えある世の中にしようとすることを意味しています。

これらは、人が日常生活を送る上では、実に当たり前のことなんです。ただ、この当たり前のことがなかなかできない社会がある。子供社会だけでなく、大人の社会でもそうですね。柔道を通して、嘉納先生の代弁者として、この理念を伝えていくことが、現在の私の役目だと思っています。(談)

教え子が100人いたら、100人に対応できる指導者になろう

指導者になった時には、教え子が100人いたら、100人に対応できる指導者になろうと思いました。そのためには、自分の知識を増やしていく必要があります。自分の心の器ももっともっと大きくしていく必要があるのです。

もちろん、教え子たちとは毎日一緒にいるわけにはいかない。なかには、出先で教えることもあって、その子たちには一度しか会えないような場面もある。その一期一会に、どれだけのものを彼らの心に響かせることができるかが重要だと考えています。

そのためには、やはり指導者が真剣にならなければならない。決して自己満足的な教え方ではいけない。未熟な指導者にありがちなのは「俺はこれだけのことを教えている」「これだけの知識を持っている」とつい傲慢になってしまうこと。でも、それは単なる自己満足であって、指導とはいえません。

むろん柔道は勝負事でもありますから勝ち負けがある。選手が負けた時は「何やってんだ、バカヤロー」ではなく、なぜ負けたのかを一緒に考えます。選手が負けたのは指導者である自分の責任でもある。指導方法の何かに課題があったのだ、というふうに捉えます。敗戦を自分以外に責任転嫁するのは簡単。しかし、自分の課題として捉えていかないと、指導者もまたなかなか成長できません。

よき話し相手であると同時に、優れたボス猿

柔道家 古賀 稔彦

どのような場合でも、指導者が目標を頭ごなしに押しつけるのはよい方法ではありません。まずは、一人ひとりに柔道に対してどういう気持ちでぶつかっているのか考えさせるようにしています。

教え子との対話では、よき話し相手、相談役になるよう努力しています。彼らの話をとりあえずは全部受け入れた上で、間違いを正し、しっかりとリーダーシップを発揮する。そして、彼らの目標を把握した上で、目標に自己責任を持つように仕向けていくことが大切です。

話し相手といっても、単なる都合のよい先生になってしまってはダメ。チームをまとめていくには、やはり「ボス猿」的な存在も必要で、それも指導者の役割だと思います。「この先生にはとても敵わない。でも、そのボスが自分の話を聞いてくれている」という関係を作ることが重要です。

環太平洋大学では、私が総監督で、私の下には私がこの人こそと思って連れてきた監督がいます。元東芝の柔道部の監督で、人事部の経験もある人。だから、適材適所の人材配置ということがよく分かっている。学生の間にもキャプテンがいたり、マネジャーがいたり、いろいろ役割があります。別に柔道が強くなくても、このポジションにはこの選手が必要なんだと、個々の選手の存在をしっかりみんなに認めさせることが大切です。それぞれに自覚と責任を持たせることが、チームワークの基本だと思います。これは会社の組織作りにも共通するところで、就職を控えた学生たちにも大いに勉強になるはずだと思っています。

総監督と監督との間のコミュニケーションは密にしています。時には「私は厳しくやりますが、監督は後から優しくフォローしてください」と、二人で役割を分担して事に対処することもある。二人とも同じような攻め方をすると、学生たちは逃げ道がなくなってしまいますから。組織のトップは、親分肌で大胆でいいと思います。ナンバー2の人が賢くフォローできる人であるという前提ですが。これは柔道チームに限らず、どんな組織にも言えることかもしれませんね。

古賀塾のほうも町道場とはいえ、一つの会社組織の形態をとっています。指導にあたる専任コーチはみな社員です。私の中では私のやり方をできるだけ組織化して教えたいという思いがありましたから、コーチにもきちっと柔道を仕事として取り組んでもらおうと考えています。自分がやりやすい子だけを教える、面倒な子は避けるというのはダメ。子供たちの目線に立ち、一人ひとりを何とかしたいという決意をもってもらう。そのためには、コーチ自らが勉強して、工夫を重ねながら教えることが欠かせません。

コーチたちはまだ若く経験も浅い。彼らをどういうふうに育てていくかも、私の仕事です。コーチも今の子だから、けっこう打たれ弱い。ガーンと言うと落ち込んでしまう人もいます。「厳しいことを言うけれど、それはお前を育てていくための言葉なんだからな」と常にフォローを入れながら、指導するようにしています。

世界の人々にとって魅力ある日本柔道の精神を伝える

柔道は日本で始まったものですが、今や世界中の国々でやっていて、世界大会ではもうどの国が優勝してもおかしくないほどレベルが上がっています。体力や技だけの勝負では日本はなかなか勝てなくなりました。ただ、日本柔道としてしっかりと表現していかなくてはならないのは、礼儀を重んじる武道としての性格です。先ほどから言っている「精力善用・自他共栄」の精神。これがなくなったら、日本柔道が終わってしまいます。

日本柔道の伝統を知って、世界の人々が「日本柔道っていいな」と憧れてもらえるようにしたい。そのためには、単に強いだけでなく、魅力ある柔道家がもっと育たなければならないと思います。

東日本大震災でも改めて気付いたのは、「精力善用・自他共栄」の精神の重要性でした。これまでの日本は、どちらかと言えば、自分の子さえよければ、自分さえよければ、という雰囲気がありました。しかし、震災では世界からたくさんの支援を受け、国内でもたくさんのボランティアが活動を始めています。まさに自分の力を社会のために生かす、助け合う社会を作ることの大切さを改めて感じます。一人の柔道家として、これからもその精神を社会の隅々に行き渡らせるお手伝いができればと思います。(談)

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柔道家
古賀 稔彦(こが・としひこ)

1967年佐賀県出身。日本体育大学進学後、全日本選抜体重別選手権、世界選手権などで活躍。92年のバルセロナオリンピックでは金メダル、96 年アトランタオリンピックで銀メダルを獲得。2000年に現役を引退した後、全日本女子柔道チーム強化コーチを5年間務めた。03年4月、川崎市に町道場「古賀塾」を開塾。IPU・環太平洋大学(岡山県)の体育学部教授兼女子柔道部総監督も努める。

(監修:日経BPコンサルティング)