著名人から学ぶリーダーシップ著名人の実践経験から経営の栄養と刺激を補給

元大相撲力士に学ぶ

伝えること、伝わること。相撲でも仕事でも、人は言葉で強くなる

元大相撲力士 舞の海秀平

相撲協会の検査基準に達しなかったため、手術でシリコーンを頭に埋め身長を高くして合格したというエピソードのある舞の海秀平氏。体格面のハンディを逆手に取り、「技のデパート」と呼ばれるほど多彩な技で相撲界を魅了した。引退後は相撲界にとどまらず、様々な舞台で活躍を続けている舞の海氏に、スポーツや仕事の世界で求められる姿勢について伺った。

相撲は無差別級の世界。小兵だからこそ工夫して戦ってきた

舞の海秀平

今年の初場所優勝、横綱昇進後直ぐの3月場所の劇的な優勝など、稀勢の里への期待は日本中で高まりましたし、もちろん私もかなり期待をかけていました。しかし、怪我がありましたからね。5月場所は左腕をほとんど使えず、途中休場となってしまい残念でした。

私も左腕を断裂したことがありますからよくわかるんですよ。力が入らないんですよね。左上腕部の筋損傷ということで、稀勢の里関も今後しばらくは怪我を抱えたままの相撲にならざるを得ません。

一部が使えないとなるとどこかでカバーをしなければならない。工夫が必要になるんです。私の場合は、左でまわしを取りたかったけど、怪我で力が落ちている。そこで左の腕力に頼らず、右で引きつけて、左を深くさすという相撲に変わりました。

どんな力士にも強みと弱点がある。それを見抜くことがまず重要ですね。自分の強みを相手の弱みにぶつけて、相手の強みを封じ込める。それが相撲です。

私の場合は上背がなかったということもあって、小兵なりの工夫を重ねました。それから「身体が小さいから負けたんだ」とは絶対に思わないようにしました。重量別階級制のある競技ではないですからね。小さいこと、軽いことを言い訳にするんだったら、最初から相撲の世界に入ってはいけないんです。

どういう稽古をするかも重要です。稽古を重ねていけば、身体が小さい力士も強くなると言われますが、大きい人と同じように稽古をしていたら、身体が壊れてしまいます。稽古は時間をかけ、何十番も取ればいいというものでもない。重要なのは稽古の質。稽古後はいつも自分と向き合って、正直に力を出し切ったか。ごまかしてなかったか、逃げていなかったか、と自問自答していました。少ない時間でもしっかり自分を成長させるような稽古を心がけていました。

もちろん、始終稽古ばかりしてはいられない。今日は集中力も高まらない、身体も動かないというときは、あえて稽古を休むようにしました。相撲の世界は厳しいとよく言われますが、上からガミガミ言われて強制的に稽古させられるということはないんです。むしろ自由裁量の部分が多い。稽古をサボりたいのならサボってもいい。だけど、それでは成長しない。強くなりたいのなら、自分を追い込んで稽古をする。結果はすべて自分が受け止めなくてはならない世界なのです。

尊厳をもって現場で叱り、褒めるときは間接的に──若手のモチベーションを高める指導者の哲学

舞の海秀平

力士の意識の高さと指導者の力量がうまくかみ合えば、いい力士が育ちます。けれども、かみ合わなければ指導者のひとり相撲になってしまうことも。また、その逆もしかりです。企業でも同じことが言えるのではないでしょうか。いくら人間的に素晴らしい上司がいても、部下の精神が屈折していれば、どれだけ教えてもダメでしょうからね。

そういうときに上司にできることは、気づきを与えることだけだと思います。私の師匠(元横綱の佐田の山、元出羽海親方の市川晋松氏)は叱るときはその場で叱るけれども、その場ですっぱり終わらせるような人でした。後まで引きずってぐちぐちと叱り続けるようなことはしなかったですし、人前で大声で叱りつけるようなこともなかった。誰にだって尊厳というものがありますからね。

こういうエピソードがあります。先輩力士が新弟子をしごいていたんですね。ヘトヘトで立てなくなった新弟子のちょんまげをつかんで引き上げようとした。そうしたら師匠は「ちょんまげは力士の命だ。それをつかむとは何事だ」と、先輩力士をたしなめたんです。そのとき、「ああ、この師匠は一人ひとりの力士の尊厳をちゃんと考えているんだな」と思いましたね。

その一方で、面と向かって褒めることをしない人でした。褒めるときはいつも間接的。「あんたの相撲がよくなったと親方が言ってたよ」と、周囲の人やおかみさんから聞くというようなことが多かったですね。そういうときは、「ああ、ちゃんと見ていてくれたんだな」と感動する。それが弟子のモチベーションを上げる、師匠なりの哲学だったんだと思いますね。

そんな中、みんなの前で私の良いところを指摘してくれた数少ない思い出があります。
「みんな聞け。舞の海のいいところは、相手につっぱられても、引きずられても、どういうときでも上目遣いで相手を見失わない、ちゃんと相手を追いかけている」と言うんですね。これは相撲ではとても重要なことなんです。

また、負けが込んできたときに、「お前、顔がしかめっ面になっているぞ。そんな顔を見ているとこっちまで暗くなる。山の頂上から見る景色もいいものだけど、谷底からてっぺんを見るのもいいものだぞ」と言われたこともありました。それでふっと気が楽になりました。

酒の席であるとき師匠がこんな話をしてくれたのも覚えています。「若くても怠惰なやつは年寄りだ。年寄りでもチャレンジする心のある人間はいつまでも若い」──第2次世界大戦の連合軍最高司令官マッカーサーの言葉だそうです。そういう名言を、自分の中でちゃんと活かしている人でしたね。指導者にとっていかに言葉が大切かということを、私も師匠から学べたのではないかと思います。

強くなったと思える瞬間。意識の高まりを見逃さない

舞の海秀平

相撲部屋に入門し、最初のころはその日の稽古を乗り越えることに精一杯でした。稽古と本番を重ねるうちにだんだん強くなってきた。大学時代にどうしても勝てない同級生に、プロに入って勝てるようになった。それは嬉しかったですね。

自分が強くなったと自覚する瞬間があるんですね。それは、これまで苦しかった稽古が苦しくなく感じるようになったとき。「心地よい苦しさ」というのでしょうか、それが感じられれば、意識が一段上がったということです。人はどんな仕事でも、意識が上がったときこそが強くなったときなんです。

だから弟弟子を指導するようになっても、弟弟子のモチベーションが高まっている瞬間というものを見るようにしました。モチベーションが下がっているときには、いくら言っても届かないですからね。そういうときは放っておいたほうがいい。こいつはいま、本当に強くなりたいと思っているのかどうか。意識の高まりを本人も感じているなという瞬間に、一言的確なアドバイスをすれば、その言葉はすっと心身に浸みていくはずです。

相撲でも、他のスポーツでも、もちろん一般の仕事でも、人は言葉によって育つのだと、つくづく思いますね。

相撲解説者として18年。「伝わる」ことが最も大切

1999年に引退して、NHK大相撲解説者となりました。仕事をいただいたときは嬉しかったのですが、これも一つの偶然。たまたまその時期に専任解説者の数が少なかったので、お話をいただけたのです。ただそのときは、世の中の仕組みや大きな経済の流れがあってはじめて、一人の人間が仕事をし、生きていけるのだとしみじみ感じましたね。一度引き受けたからには、生涯をかけて真摯に取り組もうと心に誓いました。

現役を引退したときは、ああ、これで明日の取り組みのことを考えずにゆっくり眠れると、ほっとしたものですが、解説者になると現役時代以上に、相撲のことを考えざるを得なくなりました。

解説は簡単な仕事ではありません。まず放送局のディレクターが何を求めて私を起用したのかを考えなければなりません。もちろん視聴者が私に何を求めているのかも。喋るのが仕事とはいえ、私だけが気持ちよく喋っていてはだめ。言葉が視聴者にちゃんと伝わっているのか、難しい専門用語に頼っていないか、そこに常に気を配る必要があります。たくさん喋ればいいというものでもない。何をそぎ落として、何を残すか。これって、喋るのでも文章を書くのでも同じで、とても難しいことです。

相撲解説の仕事を通して、「伝える」ことよりも「伝わる」ことを、真っ先に考えるようになりました。そして、人は言葉の中で生きているんだとあらためて思うようになりました。

いつも肝に銘じているのは、単に自分の感情にまかせて取り組みを批評することだけはしないでおこう、ということ。もちろん、解説者にも信念や主張は必要です。しかし、そこにはきちんとした裏付けがなくてはならない。思いつきでは困るのです。また、自分の考えがすべて正しいと思ってもいけない。相撲の伝統や歴史、力士一人ひとりの個性を踏まえて、わかりやすくこの一番を伝えることに腐心しています。

大事な一番だからといって、解説するのに緊張しすぎるのはよくないですね。また、これを今日言おう言おうとしても、その日はそういう流れになってこないこともあります。それよりも、ふわっとした自然体で、目の前の取り組みを簡潔に解説できればいいと思うんですが、これがなかなか……。

この仕事は今年で18年になりますが、その日の自分の解説を振り返って「これがベストだ」というのはまだありません。いつも放送が終わるとくたっと落ち込みます。ここは言葉が足りなかった、ここは言いすぎた、くどすぎたとかね。もしかするとベストな解説なんて、永遠にできないのかもしれない。それでも、試行錯誤を重ねながら、最高の解説を追い求めるしかない。そうやって、これからもずっと相撲と共に人生を歩んでいくんだろうな、と思います。

外から見てあらためて知る相撲文化の奥深さ

舞の海秀平

外から相撲を見るようになって、あらためて相撲の奥深さや面白さを理解できるようになりました。相撲が他の競技と一番違うところは、力士たちは職業生命を賭けて必死に相撲しているのに、枡席の観客は弁当をつまんでお酒飲んで、一種のお祭り騒ぎというところ。でも、それがまた相撲のよさなんですね。

力士自体が、他のアスリートと違って、相撲を取り終えたらその日のことはすっかり忘れてしまうタイプの人が多い。くよくよと悩んで引きずるよりは、三歩歩いたら忘れるくらいがちょうどいいんです。

そもそも力士はみな通常の人よりも体がでかくて力持ち。その日その日を自分の腕っぷしだけで開いていく個人事業主です。一般の人たちからすれば浮世離れした世界に見えるかもしれない。でも、そこがまた人々が相撲に興味を惹かれる点だと思います。

だいたい、相撲の人気というのは、世の中の好不況とはリンクしていませんからね。面白い取り組みが続いたり、有望な力士が登場すれば、人気が出て、お客さんが会場に足を運んでくれますが、だからといって、その波は日経平均株価とは連動していませんからね(笑)。だから、力士はみんなおおらかにやっていける。業績に一喜一憂する企業の経営者さんとは、ここが違うところです。

とはいえ、角番を迎えた力士が、次の星を取れるかどうかというときには、人生がかかっているわけですから、もう真剣です。そこで勝てる力士と勝てない力士が当然いるわけですが、私に言わせると、ここ一番のところで、はったりを効かせることができるような強気の力士のほうが、やはり分があるような気がします。控えめな性格だと、たとえ相手より技量的には上回っていても、肝心なところで力が発揮できないということはよくあります。

大らかな世界ではありますが、その一方で、相撲というのは本当にしっかり考えられた競技だとも思います。狭いようで広い、広いようで狭い、あの土俵の大きさ。誰が考えたんだろうというぐらい、絶妙にできています。あのスペースだからこそ、熱戦が生まれるんです。

長い歴史のなかで自然に定着した、しきたりもたくさんあります。あるとき、行司の独特の振る舞いの理由を「なぜそうするのか」と聞いたことがあるんですが、行司さんたちに聞いてもわからないというんです。なんだかわからないけれど、ずっと守っていると。伝統って面白いですよね。

もちろん奉納相撲が示すように、相撲には古来からの神事としての性格もある。ただ、日本の八百万の神様って、いいことをした神様もいるし、困った神様もいるわけですからね。そういうのも全部含めて神様に奉納しちゃう(笑)。そういうところに、私は相撲という文化の奥深さを感じるんですね。

朝の9時。館内にこだまする行司の声。新しい相撲の楽しみ。

舞の海秀平

最近は「相撲女子」とかいって若い女性の相撲ファンも増えてきました。嬉しいことですね。コアなファンの方はご存知ですが、大相撲って実は朝の9時ぐらいからやっているんですよ。もちろんそんな時間帯だとお客さんはちらほら。館内には若い行司の甲高い「のこった、のこった」という声しか聞こえない。でも、この静かな時間もまた楽しいものです。

やがて昼にかけて土俵まわりがだんだんにぎやかになっていきます。午後の1時頃に、幕下上位、その後十両の取り組みがあります。このあたりからNHK-BS1で中継が入りますから、ぜひ一度は観ていただきたい。特に千秋楽ともなると、取り組みは幕下と十両の入れ替え戦の様相を呈してきます。ここで勝って十両に昇進できるか、幕下のままで終わるかは、力士にとって人生の境目。なかにはパーンと十両に上がって、とんとん拍子で出世する力士もいれば、何度挑戦しても十両の壁に跳ね返され、結局は相撲界から去っていく人もいる。そういう姿をみると、哀愁を感じて、切なくなることもあります。いろんな力士に話を聞きましたが、今までで一番嬉しかったのは、十両に昇進できたことと答えた人が多かったですね。十両から「関取」と呼ばれ、給料が出ますし、やっぱり、十両に昇進するということは力士にとって本当に大きなことなんだと感じましたね。

幕下や十両のなかには、若くてイキがよくて、なおかつ見映えのする力士もいる。例えば、貴源治関(貴乃花部屋)は実力、人気ともにこれからの相撲界を担うかもしれない逸材かもしれません。こういう若手に早い段階から目をつけて、その出世を応援するというのも、相撲の楽しみの一つです。

私は、相撲解説以外にも、バラエティ番組や紀行番組などいろいろテレビに出させていただいています。これからも、どんな仕事でも選り好みせずにやっていくつもりです。そこで得られる感性や知識や交友が、きっと相撲の仕事にも活きてくると思いますし、何より色々な仕事に挑戦するということは、自分の人生を楽しむためにも欠かせないことですから。(談)

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舞の海秀平

1968年生まれ。青森県立木造高校、日本大学経済学部で相撲部に所属。高校教員採用試験に合格していたが、一転、大相撲出羽海部屋に入門。1990年5月場所で初土俵を踏んだ後は順調に関取に昇進。類まれな相撲センスと、体格差をハンディとせず多彩な技で大型力士を圧倒する取り口から 「技のデパート」、「平成の牛若丸」 と呼ばれ、一躍スターダムに上り詰めた。1999年の引退後は日本相撲協会に残らず、大相撲解説者、スポーツキャスターとして活躍。