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【歴史編】「北条早雲/前編」 元NHKアナウンサー 松平定知 歴史を知り経営を知る

元NHKアナウンサー 京都造形芸術大学教授 松平定知 連載 「北条早雲/前編」編
「北条早雲/前編」元NHKアナウンサー 松平定知

戦国三梟雄という言葉があります。これは、北条早雲、斎藤道三、松永久秀の3人のことを指す、と学校の歴史の授業で習いました。 梟はふくろうのこと。梟は活動時間が昼間よりは夜という習性があるため、「裏」とか「闇」とかいった、ダーティーな意味で使われる場合が多いのです。この三人は、それなりに歴史に名を残したものの、「正々堂々」ではなかった、というレッテル貼りです。一体、誰が言い出したのか。とりわけ、「北条早雲」については、大いに不満です。「三大何とか」と言っていれば、人々の耳目を集めるだろう程度の、余りにも安易な考え方だと思います。そりゃあ確かにこの三人は、(1)素性がはっきりしない(2)主家を乗っ取ってのし上がって(3)国盗りに成功した(4)他国者、という共通点はありますが、それでも、特に早雲は、他の二人と比べて、かなり事情が違います。

早雲は素性は確かに不明で、出身は備中だ、大和だ、京都だと、説は様々。本人は「伊勢新九郎」を名乗っていたことがあったようで、「長氏」だと、伊勢の豪族・関氏の出、という人もいるし、一転、「いやいや、彼は大泥棒よ」という人もいます。早雲の妹に北川殿(姉説もあり)という人がいますが、彼女の夫は駿河の守護・今川義忠(あの今川義元の祖父)です。つまり、そういう家格であった、ということも事実です。要するに、ずっと長く、西国を本拠としていたらしい彼にとって、妹のいる東国は、都から遠い「異国」同然。東国は、妹のこと以外は無関係、というか無関心の場所でした。つまり、彼が野心ギラギラで、「妹をエサに東国にでも押しかけて行って一旗揚げて、どうせなら国盗りまでしちゃおうか」なんてことは、毛の先ほども考えていなかったと思うのです。そのことは、あとでちょっと触れますが、後年「北条王国」を作った彼が、一度たりとも今川家を乗っ取ろうという動きを見せなかったことでご理解いただけるかと思います。彼が東国にやってきたのは、この妹の存在がありました。妹の夫の義忠が戦死してしまったのです。

「北条早雲/前編」元NHKアナウンサー 松平定知

戦死した夫との間の子を抱えて途方に暮れる北川殿をよそに、その亡夫に代わって今川家の家督を狙おうとした小鹿範満という亡夫の従兄弟を、妹・北川殿の要請に応えて懲らしめるためにやってきただけの話です。妹を補佐する立場で今川家の客将になり、東国に初めて足を踏み入れた彼が、今川家乗っ取りを画策した小鹿を屠り、代わって、正当な後継者である自分の甥(妹・北川殿の息子・龍王丸)を今川家の当主に迎えることに成功したのですが、それがそんなに「おぞましいこと」でしょうか。駿河の守護、今川家の当主だった亡き義忠にしてみれば、従兄弟より、自分の息子の方が血は濃いわけですから、自分の死後、自分の妻の要請を受けて、妻の兄が、自分の息子の龍王丸のために動いたという行動の正当性は、小鹿範満より早雲の方にあることは明らかです。

これで「梟雄」と言われる筋合いはないと、私は考えます。この龍王丸が長じて今川氏親を名乗ります。その三男が、あの義元です。要するに、今川家は当時、日本の中心にいた家格です。龍王丸を今川家当主にした功績で、早雲は57歳の時に興国寺城という城の城主になります。これが、早雲、初の城主、です。「人生五十」と言われた時代に、なんと、57歳の戦国デビューでした。

このあと、早雲は堀越御所の内紛に乗じて、伊豆公方の足利茶々丸を滅ぼして、「韮山城」の城主にもなり、伊豆を獲ったのが60歳。そのあと、大森藤頼から小田原城を獲ったのが64歳、相模国岡崎城の三浦義同を攻め、鎌倉を手にしたのが81歳、新井城にその三浦を滅ぼして、85歳の時に相模国を平定するのです。そのやり方に多少謀略めいたことや無理筋があったとしても、それは戦いというものは大なり小なり「そうしたもの」で、早雲のことだけを殊更にあげつらうのはいかがなものかと私は思います。私の目には、恐ろしく遅咲きの、然し、武略・知略に長けた傑物と映ります。もっとも、最近、彼の年齢は干支二回りほど若いのではないかという説も出ているようですが、全ては、彼の素性がいまいちはっきりしないことに起因します。

「北条早雲/後編」はこちらから

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元NHKアナウンサー 京都造形芸術大学教授
松平定知

1944年東京生まれ。69年早大卒。同年、NHK入局。「連想ゲーム」や「日本語再発見」を経て、ニュース畑を15年。「ラジオ深夜便 藤沢周平作品朗読」を9年。「その時歴史が動いた」を9年。「NHKスペシャル」は100本以上。2010年、放送文化基金賞を受賞。元・理事待遇アナウンサー。