著名人から学ぶリーダーシップ著名人の実践経験から経営の栄養と刺激を補給

【歴史編】「三好長慶/前編」 元NHKアナウンサー 松平定知 歴史を知り経営を知る

元NHKアナウンサー 京都造形芸術大学教授 松平定知 連載 「三好長慶/前編」編

2019年のNHK大河ドラマ「いだてん」の最終回の視聴率は7%台だったと聞いた。1987年放送の「独眼竜政宗」の「年間平均」視聴率が39.7%だったことを思うと隔世の感がある。これは、スマホやWEBなど、われわれを取り巻く「視聴環境」の激変と無縁ではないが、それだけに今年の「麒麟がくる」放送が19%超えで始まったことは、NHK・OBとして大いにホッとした出来事であった。が。私が今回、本欄で書きたかったことは、その大河ドラマのことではない。また、独眼竜政宗のことでもない。「三好長慶のこと」である。では、なぜ、独眼竜政宗に態々触れたかと言えば、彼は、巷間「遅れてきた天下人」と言われていたからであり、これから書く三好長慶は「早すぎた天下人」と言われているからである。

政宗の場合、たしかに、信長が1534年生まれ、秀吉は生年不詳だが、まあ、37年くらい、家康は43年、政宗は67年だから、戦国ビッグ3とは20年から30年、つまり、世代が二つ三つ違うのは事実だが、私は、政宗のことを「遅れてきた人」とは思っていないし、本人もそうは思っていなかったろうと思う。小田原城攻防をめぐる、対北条戦での秀吉から参戦要請を受けながらあえて大遅刻をし白の死装束で謝りに行ったり、家康の眼を気にしながら、自軍の勢力を伸長させるために、後方での一揆をちょこちょこっと扇動したりといった風に、その場その場で、「あんたたちの言うなりにはならないよ」といった気概を、年下でありながら随所に示していた。政宗が天下を完全に諦めたのは、自分が造らせた船でヨーロッパに派遣した支倉常長が帰国して、ローマ教皇からの日本協力の意思を確認できなかったという報告を受けて以降である。彼は、信玄や、信長、秀吉、家康といった、それまでの諸先輩とは全く違う方法で、つまり「外国人勢力の力を借りて」、天下を狙おうとしていた。だから彼・政宗は「遅れてきた人」では断じて、ない。そして、三好長慶もまた、決して「早すぎた人」ではない。それを言うなら、彼は、「信長に先んじた天下人」というべきだろう。

「三好長慶/前編」元NHKアナウンサー 松平定知

1558年から1560年くらいまで、つまり永禄年間初期の三好長慶の勢力圏を列記する。山城、丹波、和泉、摂津、播磨、淡路、大和、阿波、讃岐、近江、伊賀、河内、若狭など。今の府県名で言うと、京都、大阪、兵庫、徳島、香川、滋賀、三重、福井――ざっくり言うと、畿内に四国の半分を加えたエリアである。京を中心にして、これだけの広い地域を同時に掌握した武将は、当時、いない。三好長慶とは干支一回り下の、あの「天下の信長」は、まだこの時期は弟の信行を倒して尾張一国を確定したぐらいの時期。27歳の信長が、当時の大大名今川義元に無謀にも戦いを挑み、まさかの勝利を得てその後、天下人の道を進み始めたのが1560年のことだったことを考えると、三好長慶との「格」の差は歴然としている。当時の三好長慶の勢力に匹敵する大名は相模の北条氏康くらいであるが、それでも、畿内と関東とでは、あの頃は文化的にも政治的にもその「内容」や「質」に大きな差があったため、長慶の方が明らかに優位に立つ。つまり、彼こそ、当時、まごうことなき、武将の「日本一」だったのだ。

彼は、阿波(徳島県)三好市で生まれた。三好家は、将軍家・足利一門に連なる阿波国の守護、細川家の家臣という家柄だった。長慶の父・元長は、当時の室町幕府ナンバー2の、管領・細川晴元に仕え、晴元のために畿内の戦場を駆け巡り、大いに戦果を挙げていた。そのころ、細川家は一家の中で内乱が起きていて、そのいざこざも、この三好元長が収めた。つまり、晴元の仇敵・細川高国を滅ぼした大功労者であった。結果、三好元長の存在感は大きくなり、その勢いは都にも波及した。1527年には、晴元と一緒に、足利義維を擁して堺に上陸。晴元は三好元長の力を借りて、義維をトップにした、所謂「堺幕府」を作り、それを支えたりもした。三好元長は晴元にとっては「最大の味方」であった。しかし、この元長の働きが顕著で、その存在感が次第に大きくなればなるほど、晴元は「このままの状況」にいては、やがては自分の立場が希薄になってしまうと思ってしまう。それを避けるために晴元は、周りを巻き込んでわざわざ地域限定で政情を不安定にし、一揆をおこさせるという「策」をとった。その混乱の中で三好元長には死んでもらう、という「戦略」だったのである。そして、まさに、晴元の思惑通り、その(一向)一揆で、元長は自死に追い込まれてしまう。嫡男の長慶は危険を逃れるため、母と一緒に阿波に逃げた。三好元長は死に、三好家は一家離散。晴元の目的は達せられた。

「三好長慶/後編」はこちらから

その他の【松平定知の歴史を知り経営を知る】を見る

歴史編 一覧へ

元NHKアナウンサー 京都造形芸術大学教授
松平定知

1944年東京生まれ。69年早大卒。同年、NHK入局。「連想ゲーム」や「日本語再発見」を経て、ニュース畑を15年。「ラジオ深夜便 藤沢周平作品朗読」を9年。「その時歴史が動いた」を9年。「NHKスペシャル」は100本以上。2010年、放送文化基金賞を受賞。元・理事待遇アナウンサー。