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【歴史編】「榎本武揚/前編」 元NHKアナウンサー 松平定知 歴史を知り経営を知る

元NHKアナウンサー 京都造形芸術大学教授 松平定知 連載 「榎本武揚/前編」編

榎本武揚は留学先のオランダでの授業で、それまで見たこともない本を手にしています。『万国海律全書』
̶̶̶国際法について書かれた本です。

その本に書かれてあることは、みんな、榎本の知らないことばかりでした。でもこの本に出会えたことがその後の彼の人生を決定づけました。例えば、国際間で戦争が起こったとして、その戦に日本が勝ったとしても、国際的に定められた共通のルールである国際法を守らなければその勝利は国際的には認められない、なんてことが書いてあるのです。多くの日本人には「何それ?」のレベルの話でした。

時、恰も日本は、攘夷か開国かで大いに揺れ動いている真只中。そんな時、幕臣の次男として生まれ学問に秀でていた武揚は徳川幕府が正式に送り出す、最初の「留学生」に抜擢されました。文久2年(1862)9月のこと。開国に向けて積極的に動いていた井伊直弼が桜田門外で暗殺された2年半あとのことでした。榎本の留学先はオランダ。その頃のオランダは小国にもかかわらず優れた海運力で、一大貿易国として世界に名を馳せていました。優秀な留学生は、この国で砲術、航海術等近代海軍の最新技術を学び、幕府海軍のリーダーになってもらうことになっていました。

抜擢された榎本武揚はもちろん優秀な若者でしたが、そうした若者を選び出し、彼らをオランダに派遣した当時の幕臣上層部にも、極めて優れた者がいたと言わざるを得ません。彼の地で最新の技術と知識をため込んだ榎本は、およそ4年半の留学生活を終え、幕府が買い付けた最新鋭の軍艦・開陽丸に乗って帰国します。然しそのほぼ1年後、徳川将軍・慶喜は大政を朝廷に奉還します。さらに、2か月も経たないその年の師走9日に朝廷は幕府の廃絶を宣言し、徳川の領地の返上を命令するという「大号令」を出します。開けて慶応4年の正月3日、京都郊外で旧幕軍と新政府軍がついに激突します。鳥羽伏見の戦いです。その、初期というか、いくさ冒頭の陸上戦で幕府軍は新政府軍に押されまくります。

「榎本武揚」元NHKアナウンサー 松平定知

そして敵方に「錦の御旗」が翻っているのを見た慶喜は、「そんなはずはない。我々は朝敵ではないのだ」と、戦闘を放棄して、そのまま大阪城に入ってしまいました。その頃榎本は大阪城の慶喜を援護するため、開陽丸以下5隻の幕府軍艦を率い大阪湾に出動しています。途中兵庫沖で薩摩藩の軍艦3隻を発見。開陽丸の威力で薩摩艦を蹴散らします。薩摩艦は一隻が沈没。他の2隻は一目散に逃亡してしまいました。旧幕府艦隊はすぐさま大阪湾を封鎖・制圧します。「陸上はともかく海上戦は大丈夫」と榎本は慶喜の前で今後の作戦を検討するため大阪城に入りました。が、そこはもぬけの殻だったのです。なんと慶喜は、兵を戦場に残し大阪城を出て大阪湾に急ぎ、係留中の開陽丸に乗って、江戸に脱出したのでした。榎本は急いで大阪湾に向かいました。そこで見たものは、自分が乗ってきた開陽丸が慶喜をのせてゆるゆると陸を離れていく姿でした。その後ろ姿に榎本はこう語ったといいます̶̶̶「幕閣、諸老の無策に益々驚き慨嘆。もはやなすべき道無し。徳川家の運命これまでなりと血涙止まらず。」

西郷が慶応4年3月の勝との二日連続交渉で、自分たちが主張してきた効果絶大の威嚇・江戸城総攻撃を撤回したことで、その無血開城はひと月後に実行されることになりました。その陰にイギリス公使パークスのこの警告がありました。̶̶̶「江戸近くの横浜には外国人の居留地があることを忘れずに。その安全を確保する方策を取らずに戦争を始めることは国際法に違反する行為になりますぜ。江戸城総攻撃を実行に移したら、その日からあなた方の敵は幕府だけではない。私たちもだァ」̶̶̶当時、日本と国交を結ぶ6か国は日本での「内乱」に対しては中立を守っていました。新政府軍と幕府軍、どちらも勝利が確定しないうちは正式な政府としては認められません。つまりそれが国際法で、国際法上は二つの団体ともに、「交戦団体」と呼ばれていたのです。

̶̶̶国際法。留学時代、榎本が懸命に勉強した「このこと」が、榎本の前にいま、はっきりと形を結びました̶̶̶「交戦団体と認められれば、明治新政府だけが日本の政府ではなくなる。交戦団体になれば、日本国内に二つの別な政府が出来る、目指すのは、そこだ!」「徳川側の大将は逃げて行ってしまったけれど、私も父も誇り高い『幕臣』。幕府軍が消滅することによって路頭に迷うことになる30万人の幕臣とその家族の行く末が心配でならない。今なら、開陽丸を中心とした圧倒的な海軍力で新政府に圧力をかけられる!」̶̶̶そう思った榎本は8月19日、忽然と、東京から姿を消します。(7月17日。江戸改称)

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元NHKアナウンサー 京都造形芸術大学教授
松平定知

1944年東京生まれ。69年早大卒。同年、NHK入局。「連想ゲーム」や「日本語再発見」を経て、ニュース畑を15年。「ラジオ深夜便 藤沢周平作品朗読」を9年。「その時歴史が動いた」を9年。「NHKスペシャル」は100本以上。2010年、放送文化基金賞を受賞。元・理事待遇アナウンサー。