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冒険家に学ぶ

人類にとっての挑戦だからこそ
私が最高峰・最高齢登山を目指すわけ

プロスキーヤー・冒険家 三浦雄一郎

1960年代からプロスキーヤーとして活躍してきた三浦雄一郎氏。いくつになっても冒険家としてのチャレンジ精神は衰えず、70歳、75歳、80歳の節目にそれぞれエベレスト登頂に成功した。86歳でのアコンカグア登頂こそ断念したが、今はそのリベンジに燃えている。なぜ山に登るのか。そのために日々どんなトレーニングをしているのか。山の上ではどんなチームワークが必要なのか――。三浦氏に話を伺った。

エベレストの山頂では20歳の人も90歳になる

三浦雄一郎

2019年1月、86歳で南米最高峰の山、アコンカグア(標高 6,962m)に挑戦しました。6,000mまでは登ったのですが、帯同したチームドクターの大城和恵先生(国際山岳医)からドクターストップがかかりましてね。今でもこれは不本意で、絶対に登れたと思うんですけどね。でも、主治医の言うことだからやむを得ない。渋々下山しました。これがとても残念だったので、90歳になったらもう一度、アコンカグアにリベンジか、新たな山を見つけて登ろうと思っています。

これまでは90歳でエベレスト登頂を目指すと申し上げてきましたが、最近のエベレストは人が多くて、混乱、渋滞、それが原因の事故も少なくない。それにエベレストは3回も登っていますから、もういい。キリマンジャロもありかなと思ったんですが、少し物足りない。そこでアコンカグアへのリベンジに目標を変えました。

よく、なぜその年齢で高い山にチャレンジするのかと聞かれますが、答えは簡単。私自身というより、人類の可能性を試したいからなんです。8,800mのエベレストの山頂では、20歳の登山家でも90歳になると言われています。プラス70歳の高齢化現象が現れるんですね。まず酸素が少ない。寒いときはマイナス40℃、暑いときはプラス50℃にもなります。テントは張っていても、実質、氷の上で寝ることになりますから、生活条件は極限状態、とうてい平地の比ではない。

それゆえ、高山では若者でも体力が低下し、お爺さんのようにしか動けないのです。年齢が70歳加算されるとすれば、私が80歳なら150歳ということ。現存の人類でそれだけ長生きしている人はいない。つまり、私が最高齢でエベレストやアコンカグアに挑戦し、その山頂に立つということは、人類の長寿の可能性を示すことにもなるんです。だからこそ是が非でも達成したいんです。

両足に重りを付け、20 kgのリュックを背負うトレーニング

三浦雄一郎

1985年、64歳のときに七大陸最高峰の頂上からスキーで滑降するという目標を達成しました。ところがその直後に、一種の燃え尽き症候群でしょうか、一時、人生の目標を見失っちゃうんです。食べたり飲んだり、不摂生な生活を送った挙句、生活習慣病になってしまった。子供の頃から心臓に持病がありましたが、あらためて不整脈や狭心症の症状も現れました。血圧も高い方が190もあった。医師からは余命3年、70歳まで生きるのは難しいとまで言われたんです。

原因は明らかに運動不足。それを解消しなければならないのですが、根っからのアスリート気質なんでしょうかね、運動するだけでは物足りない。それで、まだ登っていないエベレストに登ることを目標に立てました。それが65歳のとき。5年後の70歳でエベレスト登頂を果たそうというわけです。

高齢者の健康法には2種類あります。一つは軽い有酸素運動と規則正しい生活、食事で現状を維持する方法。食事はヨーグルト、納豆、蕎麦、海藻などが生活習慣病の改善にはいいと思いますよ。

ただ、これだけでは富士山さえ登れない。それで採用したのはもう一つの攻めの健康法でした。足首に重りを付けるなど、負荷をかけたトレーニングをして体力を増強するという方法。外出時には常に両足に重りを付け、20 kg近いリュックを背負うというトレーニングを再開しました。

低い山から少しずつ高い山を目指しましたが、当初は北海道の藻岩山(標高531m)登山ですら息切れするという体たらく。それでも諦めずに毎日トレーニングを続けました。最初の頃は私より上の年齢の人にも追い越されました。山路で通りすがりに「あれぇ、三浦さんじゃないですか」と声をかけられるのは少し恥ずかしかったですけどね(笑)。それでもトレーニングを続けると、富士山にも登れるようになりました。そうして2003年5月22日、世界最高峰のエベレストに世界最高齢となる70歳7カ月での登頂を果たすことができたんです。

このトレーニングの効果は、エベレスト登頂だけじゃなくて、お釣りもあったんですよ。まず骨が丈夫になりました。76歳のときに、スキーで骨折して、2カ月入院したんですが、病院では10代の快復力と言われました。半月板損傷で軟骨がすり減りましたが、それも快復。厚みが1mmもなかった軟骨が、約4mmに増えた。もちろんサプリメントも摂っていましたが、やはり負荷をかけた運動がよかったのでしょう。その様子は後期高齢者の骨折からの快復症例の一つとして整形医学学会で発表されたりしました。お医者さんたちはみんな不思議がっていましたけどね(笑)。

登山をどうやったら面白く、楽しくできるかを考える

三浦雄一郎

自身のトレーニングの経験から、たとえ高齢者でもある程度の負荷をかけた運動を継続すれば、筋肉も骨も蘇ると思っています。最近「サルコペニア」という言葉をお聞きになったことありませんか。加齢や疾患により、筋肉量が減少すること。筋力低下でスピードが遅くなる、杖や手すりが必要になる。つまり高齢者がよろよろ歩く、あの状態です。トレーニングは、サルコペニアを未然に防ぐ効果もあったんじゃないかと、素人考えでは思っているんですけどね。

ゆっくり無理せず登れば、周りの景色もゆっくり眺められるし、登山自体を楽しめるという利点もあります。私たちは高山のベースキャンプでも、手巻き寿司を作ったり、蕎麦を打ったり、ステーキを焼いたり、ティーパーティーをしたりするんですよ。登山をどうやったら面白く、楽しくできるか、そればかりを考えている。こうして気力を養えば疲れない。夜もしっかり眠れます。だから高山病にかからないのです。

近年は高齢者登山が人気ですが、時々事故が起こりますね。それは若いときと同じペースで登るからなんです。無理しちゃうんですね。私はよく「年寄り半日仕事」と言うんですが、若い自分に1日でできた仕事を、年寄りは半分できればいいんです。歩く距離も登る距離も半分。丸1日登り続けるのではなく、半日登ったら半日は休む。それをゆっくり繰り返せば、必ず登れるようになります。山で若い人に追い越されても焦ったり、悔しがったりする必要はない。大きな目標を立てて、少しずつ、マイペースで近づいていく。目標があればこそ、人は健康で長生きできるんです。

病気にはそれを治す「楽しみ」がある

実は、アコンカグアから帰ってきた2019年3月。軽い脳梗塞で入院したんですよ。アコンカグアに登れなかった不燃症候群に遠因があるのかもしれない。なんかもやもやしたものが残った。それでアルゼンチンでは、ワインをがぶ飲みしたりしていた。そのまま日本に帰国し、仕事に忙殺されていました。あるとき、道を歩いていて、真っ直ぐ歩けない自分に気づいたんです。スキーの急斜面は滑れるのに、緩斜面で転ぶ。そういう前兆もありましたね。おかしいなと思って病院で脳のMRIを撮ったら脳梗塞と診断され、即入院です。幸い、重篤ではなかった。リハビリを含めて1カ月半で退院することができました。

三浦雄一郎

病名は「ラクナ梗塞」です。ラクナはラテン語で「小さな窪み」のこと。脳の深い部分にできた直径1.5cm以下の梗塞をそう呼ぶんだそうです。私はそれを「楽な梗塞」と読み替えて、それなりに楽しい入院生活を送っていましたよ。病気は病気だけれど、そこから少しでも快復の兆しがあったら、嬉しくなるじゃないですか。病気には治す楽しみがあるんです。

病気はかかってしまったものは仕方がない。これが一番底だと思って、後はよくなることだけを考えればいいんです。病院なんて、強風の吹きすさぶエベレストの8,000mの生活に比べれば、ぜいたく極まりない、天国のようなものですよ。そんなふうに発想を転換したほうが、治るにしても治らないにしても、儲けものじゃないですか。

何事もね、生きるうえでは希望を持つこと、幸福感を感じることが大切なんです。私も骨折後、寝返りが打てたり、トイレに行けるようになると嬉しかった。少しのことが貴重になる。いわば小さな成功体験の積み重ね。それが人生の希望につながり、希望が楽しみにつながるんです。

山は一人で登るものではない。チームワークと感謝の重要性

エベレスト登山のころから、リーダー、サポート、山岳ガイド、カメラマン、チームドクター、遠征ロジスティックスなどでチームを編成して、登っています。とりわけ2018~2019年のアコンカグアは、これまでの登山チームから精鋭を選抜した「ドリームチーム」でした。チームリーダーは次男の豪太がやってくれました。いつ頂上にアタックするか、今日はどれだけ登るか、もちろん私の希望は聞いてもらえますが、その前提としてチームの専門家とのコミュニケーションは欠かせません。みな登山家ですから、自分が未踏峰の山なら登りたいのはやまやまでしょうけれど、チームでは自分の役割を心得ています。一人だけ我がままを言うような人はいませんね。

三浦雄一郎

高峰への挑戦は準備も含めると数カ月の時間がかかります。ベースキャンプで過ごす時間も長い。テクニカル面での信頼に加え、私と気が合う、我慢強い、一緒にいて楽しいなど、人柄の部分も重要です。

よく聞く話ですが、ベースキャンプで喧嘩が起こるとか、隊長がメンバーからつるし上げられるとか、私はそういう経験はないけれども、それでも、上からモノを言うようなタイプの人と一緒になったことはありますね。下山時に荷物を置いて、さっさと自分だけ降りてしまう人などもいました。これでは信頼関係が築けない。通常のビジネスでも、こういう人がひとりでもいると困りますよね。

ヒマラヤではシェルパ族の人たちにお世話になります。シェルパ族の優秀な山岳ガイドや荷物運び(ポーター)を抜きにしては、ヒマラヤ登山は成功しません。参加してくれる彼らの今後のキャリアのためにも、登頂を成功させることは大切なんです。シェルパは登頂経験で、その後の給料も変わってくる。息子のような若い人を連れてきて、「今度はこいつに登頂を体験させてくれ」と言われることもあります。いずれにしても、彼らにきちんと感謝の念を伝え、仕事に見合うだけの報酬を支払うことが欠かせません。

「夢、挑戦、達成」は若者だけでなく、自身のモットーでもある

90歳でのアコンカグア登頂でリベンジを果たし、最高齢記録を塗り替えることが私の次の目標です。その前にスキーもガンガン復活させたいですね。来年の夏はオーストラリアで仲間たちとスキーツアーをやろうと考えています。食べる、飲む楽しみも忘れたくない。医者は節制を言うし、薬もいろいろくれるけれど、すぐ飲み忘れちゃう。標準体重、血圧、血糖値の標準値というのがあるけれど、これは人によって違うしね。私には自分の標準値というのがあるから、それに従うまでです。

脳梗塞でいったん中断しましたが、最近はスキーとアコンカグアのためのトレーニングを再開しました。片足に2kgずつ、背中に15kgのリュックを背負って、札幌から東京への移動、地方での講演などをこなしています。最寄り駅からはタクシーを使うことが多いですが、会場ではエレベーターではなく階段を使います。そうした日常生活での積み重ねがトレーニングになるんです。

三浦雄一郎

私たちの会社(ミウラ・ドルフィンズ)には、低酸素トレーニングの施設もありますが、これを使ったトレーニングは、もう少し登山計画が具体的に動き出してからですね。

1992年に広域通信制の「クラーク記念国際高等高校」が設立され、私が校長を務めています。クラークの名はもちろん、私の母校・北海道大学(札幌農学校)で教えたクラーク博士からいただきました。最近では野球部が甲子園に出場してその名が全国に知られるようになりました。

校長といっても校長室にはいないんですよ。ただ、私がメディアを通して話すこと、山に挑戦すること、それが子供たちを勇気づけるのだと思っています。「夢、挑戦、達成」が学校のモットー。生徒一人ひとりが自分のやりたいことや夢を見つけて、その実現のために頑張るのを応援したい。それは若い人だけでなく、私自身のモットーでもあるのです。(談)

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三浦雄一郎 プロスキーヤー・冒険家

1932年青森市に生まれる。1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。1970年エベレスト世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げ、その記録映画 [THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST] はアカデミー賞を受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年、2008年、2013年と3度にわたって、エベレスト世界最高年齢登頂記録更新を果たす。