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オリンピック金メダリストに学ぶ

「剛毅木訥」
私の人間性を育ててくれた柔道

柔道家 鈴木 桂治

大外刈りなどの足技を得意とし、内外の重量級を制覇、2004年アテネオリンピックでは100kg超級で金メダルを獲得するなど、日本の柔道を背負ってきた鈴木桂治氏。現在は母校・国士舘大学の柔道部監督など、後進の指導に当たっている。柔道人生でつかみ取ったものを伺った。

人は強くなるためには、謙虚でなくてはならない

柔道家 鈴木 桂治

私が生まれた茨城県常総市は、柔道が盛んな町です。兄の影響もあって3歳から街の柔道場に通うようになりました。小学生の全国大会で2位になり、柔道界からいち早く注目されるようになります。人に勝ちたい、日本一になりたいと思う気持ちは実はその頃からなんです。柔道に全身全霊打ち込もうと、自らの意思で中学校から国士舘中学校へ進み、柔道部に所属、寮生活を始めました。

ですが、まだ子どもだったのでホームシックにかかることもありました。ただ、柔道部と寮の集団生活は、礼儀や対人コミュニケーションなど、人間としての基礎をつくってくれました。もし親元にずっといたら、つい甘えてしまって、小さなときからそうした人間性が身につくことはなかったと思います。

中学・高校時代は川野一成先生(現・国士舘中学校・高等学校校長)の指導を受けました。柔道家としての心構えを徹底的にたたき込まれたし、自分自身も人間として大きく成長することができました。先生はよく「剛毅木訥(ごうきぼくとつ)」という言葉をおっしゃるんですが、これは、今でも私の座右の銘になっています。その意味は「本当に強い人間は意志が強く、常に謙虚で飾らず、素直な気持ちを持ち続けるもの」というもの。この言葉を柔道に引き寄せて言えば、「柔道がいくら強くても、それは人間としての強さではない。人に対する思いやりや配慮ができた上での強さでなければならない」ということになるでしょう。私は、単に柔道家としてだけでなく、人間としての生き方の根本は、この言葉にあると思い、常にその意味をかみしめるようにしています。

斉藤先生にしごかれたら、他には何も怖くなくなる

柔道家 鈴木 桂治

将来もずっと柔道家としての道を歩もうという決意が固まったのは、国士舘大学の学生時代でした。全日本学生柔道体重別選手権大会など主だった大会で何度も優勝を果たすことができ、柔道でやっていけるという自信がつきました。だからこそ、より高みを目指したいと思うようにもなりました。

当時、大学柔道部を指導されていたのは、2015年1月に54歳で亡くなられた斉藤仁先生です。ロサンゼルスとソウルオリンピックの男子95kg超級金メダリスト。山下泰裕氏と共に日本の柔道重量級の黄金期を担われた方です。

斉藤先生は、実際は優しい方なんですが、指導の現場では厳しかった。学生が「今日はケガしているので練習を休みたい」と申し出ても、すんなり許してはくれない。「やれと言ったらやれ!」と一言で選手を突き放すんですね。確かにケガはしているんだけれど、実際は練習に支障を来すほどのものではない。どこか心の中で、ケガにかこつけて練習を休みたいという甘えがある。先生は選手の心の中の甘えを見抜いていたんですね。

もちろん、骨折のような重大なケガをしている選手のことは、選手が申し出なくてもしっかりとわかっていて、そういう選手に無理やり練習をさせることはありませんでした。日ごろから選手の体調や心理面をよく観察されていたのだと思います。

斉藤先生にはこんなエピソードがあります。真剣に怒り出すと、歌舞伎役者の見えを張ったときのような、ものすごい形相になるんです。それを部員たちは「歌舞く」と呼んで恐れていました。斉藤先生の「圧」に触れ、厳しく指導いただいたおかげで、その後、柔道や人生の中でどんなにつらい経験をしても「先生の指導に比べたら楽」と耐えられるようになりました。

一般の社会人の方もそうだと思いますが、若い頃に厳しい指導を受けて、耐性をつくっておくと、後の人生の幅が広がるんじゃないかと私は思います。

自分の専門から逃げてはいけない。戻るのはいつも柔道

よき指導者に恵まれることに加え、もう一つアスリートが飛躍する上で欠かせない条件があります。それはよきライバルの存在です。私の場合は、100kg級には2歳年上の井上康生氏がいて、なかなか勝てませんでした。井上家は兄弟が柔道選手で、私は兄にも弟にも負けることがあった。憎き井上兄弟です(笑)。次第に「井上家だけには負けたくない」という気持ちが強くなっていきました。

井上康生氏が正義の味方だとすれば、私はさしずめそこに立ちはだかる悪のヒーロー(ヒール役)だったのでしょう。世間もきっとそういう目で見ていたのではないかと思います。私自身も、そういうイメージを自分の中に描いて、ぶつかっていきました。そうやって自分の役回りを考え、それに徹したことがよかったと思います。2003年には全日本体重別選手権の決勝で初めて、井上康生氏に勝つことができました。

2004年は私にとって初のオリンピック。アテネオリンピックの100kg超級の選手として出場しました。注目選手が他にいたこともあって、自分自身はあまりプレッシャーを感じず、リラックスしてやれた。それが金メダルにつながったのだと思います。

もちろん、勝負の世界ですから常に勝つとは限りません。2008年北京オリンピックでは連続金メダルという日本中からの期待は感じていました。しかし、我ながらふがいない戦いぶり。初戦で敗退し、その後の敗者復活戦も1回戦で敗れてしまいました。

アスリートは負けが込んでくると、発想の転換のために、新しいトレーニング方法を取り入れたり、違うスポーツをやってみたくなるものです。私もウエートレーニングをやったり、エアロビクスのリズム感やサーフィンのバランス感覚を学んだこともあります。私としては、柔道以外で行われているトレーニング方法が、自分の柔道に新しいスキルを加えてくれるのではないかと思ったからです。

ただ、そのことが自分の専門の競技(柔道)からの逃げであってはいけない、ということは自覚していました。結局、いろいろなスポーツを体験することで、私は改めて柔道の面白さ、奧の深さを感じることになった。回り道しながらも、戻るのはいつも柔道だったのです。(談)

選手の「勝ちたい」という欲をどうすれば引き出せるか

柔道家 鈴木 桂治

2009年から国士舘大学体育学部の専任講師に就任し、柔道を教えるようになりました。2012年7月からは柔道部監督、同11月からは全日本男子の強化コーチも務めています。今後、自分が現役選手として大きな試合に出ることはまずないでしょう。今私の頭の中にあるのは、国士舘の柔道、そして日本の柔道をいかに強くするかということだけ。選手たちの指導に120%力を注いでいます。

柔道部監督になってから既に3年たちました。今は、私がかつてご指導いただいた斉藤仁先生のような、一見、押しつけにも見えるような厳しい指導はなかなかできない時代です。選手の自主性を重んじて、いかにしたらやる気を出させることができるかを、いつも考えています。しかし、これこそが鈴木流の指導だというような、納得のいく方法は見つかっていない、というのが正直なところです。

ただ、自分なりにわかっていることは、「欲」のない選手はどんなに丁寧に指導しても、絶対に勝てないということ。選手の欲を引き出すためには、様々な刺激を与えることが大切だと思います。

同時に、大学の柔道部を強くするためには、小中高時代からもともと「欲」の強い子をスカウトし、引っ張ってくることも重要です。つまり、若いときからその選手の素質を見抜くことも、指導者の重要な役目なのです。

技をかけてみろと言うと、何でも器用にこなす選手はいくらでもいます。テクニックという意味での技量は備わっている。ただテクニックだけでは、試合で勝てるとは限らない。試合で勝つためには、「勝負感」のようなものが不可欠なのです。そうした感覚が備わっているかどうかを見抜き、選手の3~4年後の成長をイメージしながら指導するようにしています。

「どんどん緊張しろ。どんどんピリピリしろ」

柔道家 鈴木 桂治

勝負感を育てるには、やはり一定の練習量が欠かせません。柔道に本気で向き合い、自分の全精力をそこに注ぎ込もうという気持ちは、長時間練習するうちに培われるものです。よく柔道では「腹を割る」という言い方をしますが、建前ではなく本音で柔道に取り組む姿勢という意味です。ちょっとやそっとの練習量では、選手は「腹を割って」柔道に取り組むようにはならない。

もちろんそうした厳しい練習に、ついてこられる者とそうでない者が出てくるのは致し方のないこと。ついてこられる者を引き上げる一方で、他の選手が柔道をやめないような気配りも、学生柔道の監督としては必要です。

大きな大会になればなるほど、選手はプレッシャーやストレスを感じるものです。それは「勝ちたい」と思う気持ちに正比例する。最初から「勝てなくてもいい」と思っているような選手が、試合前に緊張するということは、私の経験上あり得ないことです。

だから、試合前に緊張で震えているような選手には「どんどん緊張しろ。どんどんピリピリしろ。もっとストレスを感じろ」とあえて言うようにしています。ストレスから逃げるのではなく、それを受け入れることが大切なのだ、と。

緊張で震えるからこそ、それに立ち向かうからこそ、選手は本来の力、いやそれ以上の爆発的な力を発揮するものなんです。例えて言えば、バネですね。薄い金属片に圧力=ストレスをかけるとたわみますが、そのたわみが反発力として返ってくるからバネなんです。バネの強い力を得るためには、一定のストレスが必要。それと同じことがアスリートにもいえます。

2016年リオ五輪で、自分の指導者としての真価が問われる

柔道家 鈴木 桂治

柔道の国際大会をテレビで見ている方はお気づきだと思いますが、柔道のルールというのはよく変わります。例えば、1994年からは、審判員を監督する立場の審判委員(ジュリー)制度が設けられ、2007年からはビデオ判定も本格的に導入されるようになりました。2012年のロンドン五輪では、ジュリーの強い権限で判定が覆るのをご覧になった方も多いと思います。

ルールだけでなく、技の解釈や評価基準にも変化があります。私自身も、これまでなら有効だった技が評価されずに敗れ、悔しい思いで引き下がらざるを得なかったことが何度かありました。

ただ、これに文句をつけても仕方がない。ルール変更は日本の柔道が世界の「JUDO」へと成長するために、避けては通れないものだからです。

私が見る限り、海外の選手は日本の選手に比べ、柔道のルール変更にも柔軟に対応できているように思います。日本の選手以上にハングリーで、柔道に人生を懸けている選手が多いので、ルールの枠の中で最大限できることをやろうという、ある意味、実利的な対応ができるんだと思います。この点は日本の選手も学ぶべきではないでしょうか。

これからは、まず国士舘を大学日本一の座に返り咲かせることが自分の役目です。全日本の強化コーチとしては、今後の世界選手権などの大会に向けて100kg級、100kg超級の代表選手を鍛え、メダルを取ることが目標になります。選手たちを指導する過程で、私が代々受け継いできた、熱気ほとばしるような「柔道マインド」をいかに選手に注入できるか。それが私の課題になります。

2016年のリオ五輪が、私の指導者としての真価を問う大会になるという予感があります。「絶対に勝つ」「絶対にメダルを取る」という気迫で、これからも指導者としての道を全うしたいと思っています。(談)

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柔道家 鈴木 桂治(すずき・けいじ)

1980年茨城県出身。2004年アテネオリンピック100kg超級金メダリスト。世界選手権では2003年に無差別級、2005年に100kg級を制覇。全日本選手権では4度優勝している。諦めない柔道と飾り気のない言動で幅広い層に人気がある。国士舘大学大学院修士課程修了。2012年から、同大柔道部の監督、全日本男子の強化コーチを務める。2013年、全日本柔道連盟アスリート委員会の委員に選出。

(監修:日経BPコンサルティング)