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元フリースタイルスキー女子モーグル日本代表に学ぶ

私はいつも「雪の人」でいたい。
20年間のモーグル人生を支えたもの
~命令通り動くのではなく、自分の頭で考えないと人は伸びない~

元フリースタイルスキー女子モーグル日本代表
上村 愛子

なぜモーグル選手として20年間も活躍できたのか。その理由は、自ら悩み、考えてモーグルと向き合ってきたからだと上村愛子氏は言う。そして、選手としてのレベルアップの背景には、素晴らしいコーチとの出会いがあったとも。後編では、引退後のスポーツへのかかわりを含めてお聞きした。

「なんで一段一段……」、バンクーバーの悔しさを胸に

2010年の冬季オリンピックの開催場所、バンクーバーは私にとって思い出深い場所でした。中学生の時に旅行に行ったカナダで、モーグルのワールドカップを見学したことが、それまでやっていたアルペンスキーからモーグルへと転向するきっかけになったからです。

それまで、1998年長野7位、2002年ソルトレイクシティ6位、2006年トリノ5位と順調にオリンピックでの入賞順位を上げていましたから、周囲の期待も大きかった。

けれども、結果は4位。「なんでこんなに一段一段なんだろう……」とつぶやいた言葉は、本当にあの時の実感だったんです。

燃え尽きかけていたのかもしれません。目標に向かっている時はいいのですが、それが終わると一瞬目標を見失います。そこからもう一度自分を奮い立たせるのが大変。バンクーバーの後、約1年間を休養に充てました。

結論からいえば、この1年間がとても貴重でした。選手として人として、自分は何をすべきなのか。メダルを取りたいという気持ちは、私自身のものなのか、周囲の人々の思いなのか。そんなことを考えるうちに、やっぱり「私はメダルを取りたいんだ」と、心底から願っている自分を再発見しました。

“よろい”を脱ぎ捨て、立ち向かった最後のオリンピック

元フリースタイルスキー女子モーグル日本代表 上村 愛子

挑戦せずに後悔だけはしたくない。自分はもう一度闘える。そう思い込んだら、走り出せます。とはいえ、1年間を休養に充ててしまいましたから、残りは3年しかありません。しかも、30歳すぎという自分の体。ソチ大会の頃には34歳になっています。30代のモーグル選手がオリンピックでメダルを目指す。当然のことながら、私自身にとって未知の領域です。30代以降の体づくりを改めて考えました。トレーニング、栄養管理などできることは何でも取り入れて、1年間のブランクで落ちた筋力を取り戻すところからの再スタートです。

バンクーバーまでの自分は“よろい”を身につけて闘っていたようなものです。「肉体的にも精神的にも強い人間にならないと、チャンピオンにはなれない」とずっと思い込んでいました。けれども、ソチに向かって練習する日々の中で、だんだん気持ちが変わってきた。ガチガチの“よろい”を脱ぎ捨てて、素のままで闘おう。自分らしく闘おうと改めて思うようになりました。

オリンピックへの全力集中ということも、初めての経験でした。これまでは、オリンピック以外にも、毎年のようにワールドカップや世界選手権大会があり、いつも全力投球でした。必ずしもオリンピックの時が最高潮というわけではなかったのです。今回は、最後のオリンピックという思いがありましたから、そこに集中しました。悔いのないようにあらゆる準備をして臨みたい。それだけを考えていました。調整はうまくいき、体の動きはこれまでにないほどの仕上がりをみせていました。

ソチでのメダルへの期待と大会直後の笑顔のワケ

元フリースタイルスキー女子モーグル日本代表 上村 愛子

ソチでもメダルには届きませんでした。競技が終わった時、オリンピックのメダリストにはなれなかった、これで全てが終わったんだな、という実感がありました。それでも後悔はなかった。なぜなら、メダルを目指すために必要なこと、最善のことは全てやり切ったと考えていたからです。現役をやめた今でも、後悔はありません。

よくアスリートたちが「大会を楽しむことができました」と感想を述べることがありますよね。改めて私にはその気持ちがよく分かる。「楽しむ」というのは、準備してきたことを出し切れた人だけがようやく感じることができます。私もそうでした。初めてといっていいほど、ソチでは心の底からオリンピックを楽しめたのです。

インタビューに答える時、少し涙もまじっていたけれど、私は笑っていました。あれは、やれることはやった、全て出し切った、という爽やかな気持ちだったのです。

明日はもっと上手に跳べるようになるはずだ

元フリースタイルスキー女子モーグル日本代表 上村 愛子

そもそも私がスキーと出合ったのは、3歳の頃。スキーが面白くて、暗くなって親から呼ばれるまでずっと滑っているような子供でした。きっとのめり込むタイプなんでしょうね。その性格は今思えばアスリート向きだったのかもしれません。

小中学校時代のアルペンスキーではなかなか芽が出なかったのですが、モーグルに転向するとすぐに結果が出た。比較的新しい競技で、選手層が薄かったということもあったのでしょうが、自分に向いていたのだと思います。国内、国際大会でも上位に入賞できたので、達成感を得ることができました。勝てば嬉しい、負ければ悔しい。その両面を体験することができて、次第にモーグルにはまっていく自分がいました。

モーグルはコブを一つひとつ越えながら滑り降りてくる、いってみれば単純なスポーツですが、コブという目標が目の前にあるので、やってみると結構はまるんです。昨日越えられなかったコブを今日越えることができた。明日はもっと上手に跳べるようになるはずだ。一つひとつ着実に進歩している自分を実感することができました。

1998年の長野オリンピックの代表選手に選ばれた時は、自分でもびっくりしました。結果は7位でしたが、その結果は周囲の期待以上のものだったので、私としては気持ちが楽でした。これが、だんだん周囲の期待が大きくなる一方で、自分の結果がなかなか出ない時は苦しい。表向きは楽しそうに見えるかもしれないけれど、そのプレッシャーはかなりきついものでした。それでも、この競技をやめようと思わなかったのは、いつか世界一を取るんだ、という強い思いがあったからです。その過程でサポートしてくださる方々、コーチとの出会いも大きかったです。後編ではそんな話をしたいと思います。

「自分の頭で考えること」──ヤンネコーチとの出会い

元フリースタイルスキー女子モーグル日本代表 上村 愛子

私が20年間モーグルという競技を続けてこられたのは、自分なりに悩み、考えることが多かったからだと思います。若い頃は準備してもらって、私はただ滑るだけ、滑ることそれ自体が単に楽しいだけだったかもしれません。競技を続けていくうちに、モーグルの奥深さに触れることが多くなり、だからこそもっと続けたいと思うようになりました。例えば、モーグルは採点競技ですから、単に自分が良い滑りをすればいいというわけにはいきません。審査員の視点から見た技の見せどころのようなものを、だんだん理解できるようになりました。

2006年からは、フィンランド出身のヤンネ・ラハテラさんに指導してもらうことができました。ワールドカップ、世界選手権、オリンピックのモーグル3大大会を全て制した数少ない選手。私にとっても憧れの選手の一人でした。

自分で言うのもおかしいですが、どちらかというと器用なタイプで、コーチに言われたことは大体できていました。階段を上るように順調に上達していくのですが、ふと振り返ると実は穴だらけ。基本が足りていないなと思うことがよくありました。

ヤンネコーチの指導は、あくまでも基本をしっかり固めるというもの。私ができていないこと、十分ではないことだけを何度も何度も指摘されました。できていないことを克服するために、たくさんのヒントをいただきました。

「練習日記」をつけるようになったのも、ヤンネコーチの指導があったからです。コブをジャンプする時やエアーの姿勢を絵に描いて、どこができて、どこができないかを自分で毎日分析するようにしました。体の感覚だけではなく、頭でも理解することが重要だったのです。

ヤンネコーチがついた時、最初に私に言ってくれた言葉は今でも覚えています。「愛子、私の言う通りにやるのではなく、私の話を理解してくれることが大切なんだよ」

そして、「愛子、君は何をしたい?」といつも問いかけ、私が自分の言葉で答えることを求めていました。「選手とコーチは常に理解し合い、目標を共有することが大切なんだ」とも、よく言われましたね。

ビジネスの現場でも、コーチングの重要性はよく言われることだと思いますが、「互いが互いを理解する」というのは、まさにコーチングの原点。命令されるままに動くのではなく、自分の頭で考える習慣をつけない限り、スポーツでもビジネスでも、人は絶対に伸びないんじゃないかと思います。

言葉の真意を見抜く──若い選手のために私ができること

元フリースタイルスキー女子モーグル日本代表 上村 愛子

私も競技生活が長くなるにつれて、後輩たちの面倒を見る立場になってきました。とはいえ、選手時代は自分のことで精いっぱい。伸び悩んでいる選手が「どうしたらいいですかね」と聞いてきても、なかなか的確なアドバイスができない。「大丈夫だよ、あなたなら」みたいな答えしかできなかった。もちろんその子がコツコツやっているのを見ているからこそ、そういう励ましの言葉が出るんですけど、今なら彼女たちの言葉の裏側まで考えることができるようになったと思います。

現在はチームの若い選手たちにつきっきりで指導するということはしていませんが、後輩たちと日常的にメールなどで連絡を取っています。例えば、モーグルには伊藤みき選手という優秀な後輩がいて、メールなどでよく相談に乗っていますよ。

世界大会で確実に成績が出せる伊藤選手には、私が技術的にアドバイスできることはそう多くはないのですが、まだモーグルを本格的に始めたばかりで、右も左も分からないような若手には、私が何らかの道しるべを示したり、ヒントを提示したりすることはできると思います。

大会に負けて悔しがっている選手が、来年もまた滑りたいと思うか。モーグルでどこまで行きたいと思っているのか、それをまず聞きたい。そこで私が応援できることがあれば、できる限りのことをしてあげたいと思いますね。

ただその場合も、コーチや監督という目線からの指導ではなく、あくまでも“選手に近い存在”として、同じ目線でアドバイスができたらと思います。

生まれ変わってもスキーが好き。スキーができる環境を守りたい

引退後は、夫(アルペンスキー選手の皆川賢太郎氏)との結婚生活を楽しんでいます。2009年に結婚しましたが、選手時代は海外遠征などでお互いが忙しく、二人で家にいる時間が少なかったので。今は普通に「今日は遅くなるの?」とか「明日の予定は?」とか聞き合える生活。当たり前のことが楽しいですね。

私は四季のある日本という国に生まれて本当によかったと思います。もちろん、季節の中では冬が一番好き。ピンと張り詰めた冬の空気、一面銀世界の雪景色の中にいる自分が、子供の頃から好きでした。ただ、近年では温暖化などの影響で降雪の減少も心配されています。もっと多くの人に認知してもらって、スキー環境を守っていけるように自分が経験してきたことなどを発信していけたらと思います。

また、現役を引退した後も、もちろん一生スキーは続けるつもりですし、もし生まれ変わったとしても、スキー選手を目指したいなと思っているぐらいです。これからもずっと「雪の人」、雪にかかわる人であり続けたいですね。(談)

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元フリースタイルスキー女子モーグル日本代表
上村 愛子(うえむら・あいこ)

1979年生まれ。長野県白馬村で育つ。白馬高校時代にナショナルチーム入り。長野7位、ソルトレイクシティ6位、トリノ5位、バンクーバー4位、ソチ4位など5大会連続のオリンピック入賞に加え、ワールドカップ種目別年間優勝、世界選手権大会シングル・デュアルの2冠を達成するなど世界No.1の称号も手にした。2014年4月に現役を引退。2008年度紫綬褒章受章、2014年JOCスポーツ賞特別貢献賞を受賞。

(監修:日経BPコンサルティング)