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柔道人に学ぶ

柔道は人をつくり、人を育てる。金メダルよりも大切なこと

柔道人 山下 泰裕

現役時代は国内だけでなく世界でも「最強」の名を欲しいままにし、引退後は柔道界の発展に力を注いできた山下泰裕氏。小学校時代からの柔道への取り組み、とりわけロサンゼルス五輪無差別級決勝戦での名勝負を振り返っていただくと共に、これまで教えを乞うた指導者・恩師の話を伺った。

小さいころから柔道一直線だった

山下 泰裕

私は過去を振り返るのがあまり好きではありません。人間は死ぬまで勉強、死ぬまで成長できるはずで、人生のステージは次々と新しくなっていくものだと考えています。実際、私の人生も現役よりも引退後のほうがずっと長くなっています。いまの私が何をしていて、何を考えているのか、それをぜひ聞いて欲しいと思います。

とはいえ、そういう現在の私を形づくっているのは、これまでの経験の積み重ねであり、そこで出会った指導者のおかげだと思います。師範、先生、指導者と呼ばれる人々からどんな薫陶を受けてきたのか、少しお話しようと思います。

私の柔道人生は小学校時代から始まりますが、本格的に柔道にのめりこむようになったのは、熊本市立藤園中学校で白石礼介先生という良き指導者に出会ってからです。

白石先生には大きな目標を持つことを教えられました。ただ、それが「高校1年生でインターハイ優勝」「高校3年生で全日本柔道選手権大会出場」というのですから、並大抵の練習では実現できません。先生の指導は、体重や力に頼って相手を投げ飛ばすのではなく、動いて、足を使い、相手を崩してから投げる柔道でした。「将来おまえが戦うのは、必ずおまえよりも体格的に大きな選手だ。現時点での体格を生かして自分より小さい相手を投げる柔道をしていては、いずれ行き詰まる」という、私の将来を見すえての指導だったのです。私が自分より体の大きい外国人選手に生涯一度も負けなかったのは、そのおかげもあったのだと思います。

柔道だけでなく、人生のチャンピオンになれ

山下 泰裕

高校は、白石先生が新たに柔道部監督に就任された九州学院高校に進みますが、途中から佐藤宣践先生(現在・横浜桐蔭大学学長)に誘われて、東海大学付属相模高等学校に転校します。佐藤先生にはその後もずっとお世話になっており、もう一人の生涯の恩師といえる方です。「おまえほどのすごい才能をもった柔道選手はこれまで何人もいた。しかし、順調に成長した者は数少ない。周囲にチヤホヤされて天狗になってしまうからだ」「ケガで潰れていく選手も多い。ケガをしないためには、日頃からの体力トレーニングや体調管理が重要だ」「勝負に次はない。目の前に来た数少ないチャンスを逃さないよう、しっかりと準備をしておきなさい」──こうした佐藤先生の言葉は今でもよく思い出します。

この二人の指導者に共通することですが、柔道のチャンピオンを目指すだけでなく、人生のチャンピオンになることが大切だとよく言われました。どんな練習でも常に真剣勝負の心構えが大切なこと、相手への敬意を失わず礼節を重んじることなど、道場で学んだすべては、家庭でも学校でも、さらには職場でも貫かなければならないと。この教えは今も生きていますし、後輩たちにも必ず伝えています。

ロス五輪と松前先生の教え

山下 泰裕

1980年のモスクワ五輪に出場できなかったのは大変悔しいことでしたが、このとき東海大学の創始者・松前重義先生(当時・国際柔道連盟会長)のモスクワ訪問団の一員に抜擢され、旧ソ連の要人たちとの会談の場にも同席させてもらうという得がたい体験をすることができました。

「山下は将来、海外諸国との交流で大事な場面に出ていくことがあるだろう。そのためには若いときから場慣れしておいたほうがよい」という松前先生の配慮があったのです。実際、その後の私は国際柔道の場で発言することも多くなり、モスクワでの体験は役立つことになります。

ロス五輪の決勝戦でのモハメド・ラシュワン選手(エジプト)との闘いは今も語り継がれていて、インタビューでもよく聞かれます。

みなさん関心があるのは、「あのとき、ラシュワン選手はケガをした私の右足を本当に攻めなかったのか」ということでしょう。

彼は私の右足を攻撃しなかったわけではないのです。しかし、全体としては正々堂々とした闘いぶりでした。私に敗れた後のインタビューで海外記者に「なぜ相手の弱点を攻めなかったのか」と問われて、「私にも柔道の精神、アラブの心がある」と彼は答えました。日本で生まれた柔道が、その気高い精神性で世界の人々の心をつかんでいることを示すよい例だと思います。

恩師・松前重義先生は1991年に89歳でお亡くなりになりますが、その直前、私は病床に呼ばれました。「柔道というスポーツを通して世界の人々との友好を深め、世界平和に貢献することが、おまえの務めだ」と最後に先生は言葉を遺されました。

2006年に「特定非営利活動法人 柔道教育ソリダリティー」を設立したのも、松前先生の遺志を継ごうと私なりに考えてのことです。現在は、海外へリサイクルした柔道着や畳を無償で送る事業、指導者やボランティア学生を中国、イスラエル・パレスチナ、その他の柔道発展途上国に派遣する活動などを進め、柔道を通して日本の心を発信し、異文化交流に努めています。これからも松前先生が遺された言葉を胸に刻みながら、柔道の振興はもとより、柔道を通した教育・人づくり、国際交流などについて取り組んでいこうと考えています。

嘉納治五郎師範の言葉を胸に刻んで

選手・指導者を経て次の柔道人生のステージに進むにあたって、日本柔道の復興、国際交流、そして柔道を通した教育の3つに全力を注ごうと心に決めた私ですが、こうした指針を考えるにあたって大切にしたのが「柔道の創始者」、嘉納治五郎師範の言葉でした。中でも師範の晩年の言葉、「精力善用」と「自他共栄」は私の心に深く刻み込まれているものです。

「精力善用」とは、自分のエネルギーを良きことに使いなさい、ということ。「自他共栄」は、自分だけでなく他人も共に栄える世の中を、柔道を通じてつくっていこう、という呼びかけの言葉です。

私は2006年から2014年まで神奈川県体育協会会長を務めましたが、会長として最初に手がけた仕事が「いじめ防止活動」でした。いじめはフェアプレーの精神から最も外れた恥ずべき行為。つねづねフェアプレー精神を重んじるスポーツ選手はそれを見て見ぬふりをしてはいけない。率先していじめ防止活動の前面に立つべきだと考えました。

これが「精力善用」の一つの見本だとしたら、「自他共栄」の精神を反映したのが、特定非営利活動法人 柔道教育ソリダリティーの活動でしょう。「柔道・友情・平和」をミッションに掲げ、海外への柔道の普及・啓蒙に力を入れています。政治的には対立するイスラエルとパレスチナから、あるいは内戦で苦労したチェチェン共和国から中学生らを日本に招いて柔道を教える試みも続けています。

自分たちだけでなく、常に他人のことも考え、共に栄える世の中をつくろうという「自他共栄」の精神は、こうして国境を超えた国際交流にもつながっているのです。

人間教育を基本にすえた次世代リーダー育成

山下 泰裕

今、全日本柔道連盟副会長として、私にはもう一つの役目があります。それは次の柔道界をひっぱっていく次世代のリーダーを育てることです。新しい世代のリーダーが育たない限り、私の役目は終わらないのです。

次世代リーダーを育てることは、柔道界に限らず、一般の企業でも大変かつ重要なことでしょう。私の場合は、まず若手との信頼関係を構築して、話をよく聞くことから始めます。つねづね人に接するとき私は、自分にはない長所を相手に見出そうとしています。確かに若者には欠点もあるけれど、そればかりあげつらっていては、人は決して育たない。これは会社組織のリーダーと部下の関係でも同じことが言えるのではないかと思うのです。

ここで大切なのは、何のために若手を育てるかという視点です。

「勝つことは大事だが、決して目先の勝利だけを目的にしてはいけない。いっときの勝者ではなく、自分の人生における勝者になることこそが大切だ。その人の人生を豊かにするのでなければ、スポーツをする意味はない」──これは私が幼いときから恩師に言われ続けてきた言葉であり、私の柔道人としての根本にある考え方です。

一言でいえば人間教育こそがスポーツの究極の目的。能力が優れていれば人格はどうでもいいわけではないのです。企業では能力主義や成果主義で人を評価することが当たり前になっているようです。例えば営業成績の良い人がそうでない人より高く評価されるのは当然ですが、あまりにもそれを偏重すると、バランスを欠くことにはならないでしょうか。営業成績とは別に、その人の人格や見識、経験や知恵がもっと高く評価されることがあってもいいと思うのです。私は能力主義よりも人間主義が大切だと考えていて、柔道界の次世代リーダーを育てる上でも、ここにポイントを置いています。

こうした考え方は、全日本柔道連盟が2014年の4月から始めている「柔道MINDプロジェクト」にも貫かれています。これは柔道界の不適切指導事件を受けて取り組んだ「暴力根絶プロジェクト」がさらに発展したものですが、MINDは「精神」や「心」という意味であり、Manners(礼節)、Independence(自立)、Nobility(高潔)、Dignity(品格)の4つの徳目の頭文字をつなげたものでもあります。柔道を行う者はこれら4つのことを守ってこそ「柔道人」と呼ばれるに相応しいのだということを示しています。

これらのプロジェクトがあらためて柔道人の人としての心を呼び覚ましたのでしょうか。今年4月の熊本地震では柔道界も率先して募金活動に取り組みました。なにより嬉しかったのは、私が募金活動を言い出すよりも前に、全日本柔道連盟の男女の代表チーム監督や選手たちが募金の準備をしてくれていたことです。「山下先生が募金を必ずやると思って準備していた」という話を聞いたときは本当に泣きそうになりました。

リオ五輪柔道、こうして見ると百倍楽しい

いよいよリオデジャネイロ五輪が近づいてきました。柔道競技にもメダル獲得の期待が高まります。「日本は昔に比べて弱くなったのではないか」という人もいますが、決してそうではありません。柔道は他の競技に比べても、競技人口の世界への広がりは目をみはるものがあります。五輪でのメダル獲得国も地球全体に広がっています。その中で日本はメダルの最多獲得数を誇っています。世界スポーツとしての柔道にあって、日本柔道は世界に伍して立派に闘い続けているのです。

今回のリオ五輪でも男女14人の代表選手全員に金メダル獲得のチャンスがあります。もちろん世界のレベルも高くなっており、決して楽な闘いではありません。その意味で試合の観戦者、テレビの視聴者のみなさんはハラハラドキドキの試合が楽しめるはずです。

柔道を観戦者として楽しむポイントを少しだけお教えしましょう。まず、なんといっても組み手からの一本技こそ柔道の醍醐味です。それを奨励するために、組まない選手への反則ルール適用は年々厳しくなっています。選手と同様、国際審判にも試合ごとに上下するランキング制度があって、ランキング上位に入らないと五輪で試合を裁けないことになっています。審判の役割を知ると柔道はもっと面白くなると思いますよ。

競技を見ていれば気づくことですが、審判が使う「ハジメ!」「マテ!」などの用語はどんな大会でもすべて日本語。かつて、五輪を独占放映するアメリカのテレビ局の幹部に「審判の用語は英語の方がわかりやすい。選手も審判ももっと派手に動けば、アメリカでもっと視聴率を稼げる」と言われたことがあります。いかにもアメリカのメディア関係者の言いそうなことではあります。「それもそうですね」と一旦は答えたものの、部屋を出るとき、やはり違うなと私は呟いていました。

柔道への敬意を込めて、世界の人々が日本語を使って試合を行う。外国の方もそれを使ううちに、日本の文化や和の心に関心をもつようになります。あえてオーバーアクションはせず、勝っても負けても相手への礼節を保つ──これこそが本来の「柔」の道。その精神があったからこそ、柔道は世界に受け入れられ、世界の人に親しまれているのですから。

柔道のカタチはこれからも変わり続けることでしょう。しかし、その根本精神は変わってはならない。それをこれからも守り続けていこうと思います。(談)

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山下 泰裕(やました・やすひろ)

1957年熊本県生まれ。203連勝の記録を持ち、「史上最強の柔道人」と呼ばれた。全日本柔道選手権では9連覇の偉業を達成。1984年のロサンゼルス五輪では、右足を負傷しながらも勝ち抜き、金メダルに輝いた。同年、国民栄誉賞を受賞。現在、東海大学理事・副学長、全日本柔道連盟副会長・強化委員長、JOC理事・強化副本部長、特定非営利活動法人 柔道教育ソリダリティー理事長。

(監修:日経BPコンサルティング)