ユーザー体験とオブザーバビリティ ~本当に使われ続けるサービスの裏側~

従来のシステム開発では、「機能を実装すること」が主な目標とされてきました。
しかし、デジタルツールが真に価値を生むのは、日常的に使われ続けるときです。
本コラムでは、ユーザー行動の観測と継続的改善がもたらす「使われ続けるサービス」の実現方法を解説します。

本田 啓(ほんだ ひろし)
NECネクサソリューションズ株式会社
SI戦略推進統括部
ディレクター

民需のお客様を中心に、プロジェクトマネージャーとして、ERPシステムをはじめ、情報系システムやインフラ構築、事務所移転、事業/会社統合などは幅広くITでの課題解決を提供してきました。この数年は、DXのキーワードで全社を牽引すべく、技術部隊の立上げから社内DX、人材育成などの領域への支援等を担当しています。

本田 啓(ほんだ ひろし)

1. SNSが世界を変えた本当の理由

私たちの生活に欠かせない存在となったSNS。Facebook、Twitter(現X)、Instagram、TikTokなど、これらのプラットフォームが世界中で何十億人ものユーザーを獲得し、社会インフラとも言える存在になった理由は、単に「便利だから」だけではありません。その成功の裏側には、徹底したユーザー行動の観測と、それに基づくサービス改善という仕組みが存在します。
「いいね」ボタンひとつをとっても、それは単なる共感の表現ツールではありません。誰が、いつ、どのコンテンツに反応したのか。その後どのような行動をとったのか。シェアされたコンテンツはどこまで拡散したのか。インプレッション数はどう推移したのか。これらすべてが詳細に記録され、分析され、次のユーザー体験の改善に活かされています。つまり、SNSの成功は「オブザーバビリティ(可観測性)」と「データドリブン」という、現代のデジタルサービスにおける二つの重要な概念の実践例なのです。
ユーザーが「使い続けたい」と感じるサービスは、偶然生まれるものではありません。ユーザーの行動を正確に観測し、そのデータから本質的なニーズを読み取り、継続的に改善を重ねることで初めて実現されるのです。

2. 企業アプリケーションにも広がるオブザーバビリティの波

近年、このような考え方は、SNSのような消費者向けサービスだけでなく、企業内で利用されるアプリケーションにも広がりつつあります。従来の企業システムでは、「機能が実装されているか」「エラーなく動作するか」といった技術的な観点が重視されてきました。しかし、それだけでは不十分であることが明らかになってきています。
システムが正常に動作していても、実際には誰も使っていない。導入当初は使われていたが、次第に利用者が減少していく。こうした事例は枚挙にいとまがありません。特にDX推進の文脈では、「デジタルツールを導入したが定着しない」という課題が多くの企業で共通の悩みとなっています。
この問題の本質は、「作ること」と「使われ続けること」の間に大きなギャップがあることです。そして、このギャップを埋めるために必要なのが、ユーザー行動のオブザーバビリティなのです。どの機能が使われているのか、どこでユーザーが躓いているのか、どのような使い方が成果につながっているのか。これらを可視化し、データに基づいて改善を重ねることで、初めて「使われ続ける企業システム」が実現します。

3. 生成AIツールで実践する「使われ続ける」仕組み

当社では現在、複数の生成AIモデルを選択でき、プロンプトをテンプレートとして保存・再利用できる社内向けツールを運用しています。このツールにおいて、オブザーバビリティの考え方を積極的に取り入れています。生成AIは今や多くの企業が注目する技術ですが、ツールを導入しただけでは意味がありません。社員が日常的に使い続け、その活用スキルを高めていくことで、初めて組織全体の生産性向上につながります。
私たちがこのツールで目指しているのは、単に「生成AIを使える環境を提供すること」ではなく、「社員が当たり前のように使い続けたいと思える体験を提供すること」です。そして、その継続的な利用を通じて、生成AIを効果的に活用できる人材を育成することが、このツールの真の目的だと考えています。
具体的には、まず基本的な観測項目として、ログイン頻度、実行回数、使われたプロンプトテンプレート、選択された生成AIモデルなどを記録しています。これらのデータから、どの機能が頻繁に使われているのか、どのテンプレートが実務に役立っているのかが見えてきます。
さらに現在、より深いユーザー体験の理解のために、追加の観測項目を導入しようとしています。たとえば、過去の履歴をどれくらいの頻度で再活用しているか。一つの問いかけで終わらず、追加のチャットを何回行っているか、そしてその追加チャットはどのような傾向があるのか。あるいは、会話をクリアする頻度はどうか。
これらの指標は、単なる利用状況の把握にとどまりません。あるプロンプトテンプレートや一連のやり取りが、ユーザーにとってどれだけの価値を持っているかを測る重要な手がかりとなります。履歴を何度も参照するということは、そこに価値ある情報が生成されたということです。追加チャットが多いということは、より深い探求や精緻化が行われているということです。

4. データから生まれる継続的な改善サイクル

これらの観測データを分析することで、私たちは継続的な改善を進めています。たとえば、特定のプロンプトテンプレートの利用頻度が高く、かつ追加チャットや履歴の再活用も多い場合、そのテンプレートは実務において高い価値を提供していると判断できます。そうしたテンプレートを参考に、類似の業務領域で使える新しいテンプレートを拡充していきます。
逆に、利用頻度は高いものの、追加チャットが少なく、履歴の再活用もほとんどない場合は、初回の出力で満足できる結果が得られていない可能性があります。この場合は、テンプレート自体の改善や、より効果的な使い方のガイダンスが必要かもしれません。
また、UIとしての導線の改善も重要なテーマです。ユーザーがどのような順序で機能を使っているのか、どこで操作に迷っているのか。こうした行動パターンを分析することで、より直感的で使いやすいインターフェースへと進化させることができます。
このように、オブザーバビリティに基づくデータドリブンなアプローチは、単なる技術的な監視ではありません。ユーザーの真のニーズを理解し、継続的に価値を提供し続けるための、経営的な取り組みなのです。

5. 本当の価値は「使われ続けること」にある

DX推進において、多くの企業が陥りがちな罠があります。それは、「導入すること」自体が目的化してしまうことです。最新のツールを導入した、システムを刷新した、という事実だけでは、何の価値も生み出しません。本当の価値は、それらが日常的に使われ、業務プロセスに組み込まれ、組織の能力として定着したときに初めて生まれます。
そのためには、ユーザー体験を中心に据えた設計と、継続的な改善のサイクルが不可欠です。オブザーバビリティは、そのための強力な武器となります。ユーザーの行動を観測し、データから学び、改善を重ねる。この地道なプロセスの積み重ねが、SNSが世界を変えたように、企業のデジタルツールを「本当に使われ続けるサービス」へと進化させるのです。
組織の規模に関わらず、この考え方は十分に適用可能です。大規模なシステムでなくても、ユーザーの行動を観測し、フィードバックを得て、改善を重ねることはできます。むしろ、意思決定が迅速な組織であればあるほど、素早い改善サイクルを回しやすいという利点もあります。
DXの成功は、技術の導入ではなく、人々の行動変容にあります。そして、その行動変容を促すのは、使い続けたいと思わせるユーザー体験です。オブザーバビリティとデータドリブンのアプローチは、その実現のための確かな道筋を示してくれるのです。

2026年3月