サイト内の現在位置

デジタルで拓く新しい「働き方」のかたち
~HRテック活用とEBPMの先にあるもの~

シンギュラリティ前夜に描くDX戦略の核心 [第5回]

2026年5月

読者の皆さんは、最近ニュースやメディアで「HRテック(HRTech)」という言葉をよく耳にしませんか。この「HRテック」とは、「Human Resource(人材管理)」と「Technology(技術)」を組み合わせた造語で、簡単にいうと、人事の領域に最先端のITテクノロジーを取り入れようという動きの総称です。

既に、民間企業で導入が進んでいる「HRテック」ですが、いま行政の分野でも大きな注目を集めています。日本全体の人口が減少していく中での働き手の確保、「DX」の波、そして多様化する働き方、こうした課題に直面している地方自治体にとって、「HRテック」は救世主になる可能性を秘めています。

いま、なぜ行政分野で「HRテック」が注目されているのでしょうか。実は、自治体などの公共分野では、職員は3〜5年周期で全く異なる部署へ異動することが一般的で、民間企業以上に「人材の最適配置」への対応という課題を抱えています。

数年おきに行われる人事異動「ジョブローテーション」の際、これまでは膨大な職員名簿を前に、手作業でパズルのように配置を決めていましたが、ここに「HRテック」を導入すると、職員一人ひとりの「これまでの経歴」「取得資格」「本人の希望」「性格適性」などをAIが照合し、最適な異動案を最短で作成できるようになります。

そして、最近では、DX推進のためにIT専門職を公募する自治体も増えてきましたが、その一方で、行政の現場と専門スキルのミスマッチが起こることも少なくありません。

しかし、その現場に「AIマッチング」を導入することで、採用する側が求める要件と応募者が持つスキルの適合度を客観的に判断し、定着率を高めることが可能になります。

タレントマネジメントで実現する「適材適所」

職員一人ひとりが持つ「才能(タレント)」をパズルのピースに例えると、これまでは箱の中に乱雑に入っているピースの中で、誰がどんな「特性(スキルや経験)」を持っているのか雑然として見えにくい状況でした。

しかし、そこに「タレントマネジメント」の手法を取り入れることで、職員のスキルや経験、今後のキャリア希望などを一元的に「見える化」することが可能になります。

「HRテック」の利活用によって、職員の適性を深く分析し、職員一人ひとりが輝ける最適なポジションに配置する。そして、職員の潜在能力を最大限引き出すことで、結果として組織全体のパフォーマンス向上に繋がっていくと思われます。

「HRテック」がもたらすもう一つの大きな変革は、「業務効率の向上」と「戦略的業務の推進」です。労務管理や勤怠、給与計算といった日常業務が自動化されることで、人事課などの部門はより創造的でクリエイティブな施策策定が可能になります。

勘と経験の世界からロジックモデルの活用へ

「EBPM(Evidence-Based Policy Making)」という言葉がありますが、端的な意味は「根拠に基づく政策立案」になります。「そんなの当たり前では?」と思われるかもしれませんが、これまでの行政では、過去の慣例や時流の雰囲気、あるいは声の大きい人の意見で物事が決まってしまうことも少なくありませんでした。

いま、この「EBPM」の考え方を、地域住民へ向けた「外向けの政策」だけではなく、自治体内部へ向けた「組織の運営」、「人事や働き方」に取り入れる動きが加速しています。それが「HRテック」によるロジックモデルの活用です。

これまでの自治体人事は、いわば「名人芸」の世界でした。「Aさんはあの部署で苦労したから、次はここがいいだろう」「B課長は厳しいけど育てるのが上手いから、新人は彼の下へ」。こうしたベテランの経験値は尊いものですが、組織が巨大化し、課題が複雑になる中で、人間の記憶力や直感だけでは限界が来ているのも事実です。

例えば、若手職員の離職が増えているとします。これまでは「最近の若者は」という抽象的な議論で終わらせがちでしたが、「HRテック」でデータを分析すれば、「入庁3年目で、残業が月40時間を超える月が半年続くと、「エンゲージメント(貢献意欲)」が急激に下がる」といった明確なエビデンスが見えてきます。

このように「EBPM」の考え方を取り入れることで、「この施策を打てば、こういう結果が出るはずだ」という論理「ロジックモデル」によって、人事施策を評価することが可能になります。

そして、「eラーニングを導入する(投入)」→「職員のITスキルの向上(成果)」→「窓口の処理時間が10%短縮される(波及効果)」など、流れをデータで可視化することで、その施策が本当に有効であったのか「見える化」できるようになります。

自治体にも「人的資本経営」を

いま、民間企業で大きなトレンドになっているのが「人的資本経営」です。これは人を「コスト(費用)」ではなく、価値を生む「資本」として捉える考え方ですが、この流れが「行財政改革」の文脈においても重要視されはじめています。

自治体・企業などの組織において、最大の資産は労働者である「職員・社員」そのものです。「HRテック」を活用することで、職員や社員ひとり一人のスキル保有状況や健康状態など、組織全体の「人的資本」をリアルタイムに可視化することができます。

我が市には「DX」に強い職員が何人いて、国家資格などの専門的技能を持つ職員が何人在籍しているのか。そのような情報を的確に把握することができていれば、自然災害の発生時や新たな住民ニーズへの対応にも、データに基づいた「論理的布陣」で挑めるようになります。

「EBPM」と「HRテック」が組み合わさることで、勤怠データやパルスサーベイ(簡易的な意識調査)を「AI」で分析することで、「この部署は今、負荷が限界に近い」という予兆をキャッチするなど、手遅れになる前に人員を補充し業務を調整する、「データに基づく予防人事」が可能になります。

「あの職員はなぜこの部署に配置されているのか」という疑問に対しても、「AIマッチング」のスコアや適性検査の結果などのデータがあれば、客観的な説明が可能になり、公平性が強く求められる行政組織にとって強力な武器になります。

また、「3年経ったら異動」という機械的なローテーションではなく、「この職員は今の部署でこのスキルを習得したから、次はあの部署でその力を発揮してもらうのが一番効率的だ」という、個人の成長と組織のニーズを合致させた異動案を「AI」が作成する、ジョブローテーションの最適化が可能になります。

「HRテック」が下支えする組織文化の醸成へ

もちろん、すべてがスムーズにいくわけではありません。職員の中には「AI」や単なるデータで、自分の人生を決められたくないと感じる人たちや、「数字で人を判断するのか」という抵抗感など、いくつかの乗り超えるべき「壁」が存在しています。

「データは集めたけれど、使い方がわからない」では意味がありません。まずは、人事担当者や管理職がデータを読み解き、それをどうマネジメントに活用するかという「データリテラシー」を向上させる取り組みが必要になります。

そして、給与システム、勤怠管理、研修記録、マイナンバーなど、職員に関するデータをそれぞれの部署で「縦割り」に管理するのではなく、組織横断的な分析をできるようにする「データ基盤の整備」という、地味ですが最も重要な作業が求められます。

ここで大切なのは、「EBPM」はあくまで「人間がより良い判断をするための材料」であると周知すると同時に、「HRテック」は「冷たい選別」の道具ではなく、「温かいサポート」を実現する仕組みだという文化を醸成することではないでしょうか。

「HRテック」がもたらす変革

これまで見てきたように、「HRテック」は単なる「便利なITツール」の枠を超えて、多様化する私たちの働き方を根底から支える組織基盤になると思われます。

リモートワークの進展やワーケーションなど、働き方の選択肢が増える現代において、人事・労務IT支援サービスの存在は欠かせません。そして、その一方で単なる人材の「データ管理」ではなく、目的を明確にした「どんな組織にしたいか」という経営戦略と結びつけることが重要になります。

デジタル時代の人材管理は、システムで人を管理・監視するのではなく、テクノロジーの力で、一人ひとりの個性や強みを見つけ出し、スポットライトを当てるための仕組みづくりなのです。

組織の規模や業界、そして民間・行政の垣根を越えて「HRテック」の普及が進めば、誰もが自分らしく、自らが持つ特性を存分に発揮して働く社会が実現すると思われます。

デジタル技術に支えられた「人を大切にする組織づくり」が、これからの未来をより包摂的で、自由で、ワクワクするものへと進化させてくれるのではないでしょうか。

「HRテック」というエンジンに「EBPM」の地図を載せて

デジタル庁では、「データに基づいた適材適所」を推奨していますので、自治体においても、職員にどのような投資(研修など)を実施すれば、組織が強くなるのか論理的に分析するなどの取り組みが、今後はスタンダードになると考えられます。

「HRテック」や「EBPM」と聞くと、冷たい印象を持たれるかもしれませんが、これまで見てきたように、「HRテック」は単なる「便利なITツール」の枠を超えて、多様化する私たちの働き方を根底から支える組織基盤になると思われます。

「HRテック」によって、個人の小さな頑張りや、隠れた才能、そして悲鳴を上げている心、これらをテクノロジーで「可視化」し、エビデンスに基づいて適切にケアする、それこそが、究極の「人間中心のマネジメント」ではないでしょうか。

職員一人ひとりが、適材適所で、心身ともに健康に、最大限の力を発揮できる組織。そんな「論理的に正しい」組織運営が実現したとき、自治体はよりクリエイティブな組織になり、それが新たな住民サービスの創生に繋がると思われます。