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福島第一原子力発電所見学と周辺ツアー

図書館つれづれ [第148回]

2026年9月

はじめに

2011年3月11日の東日本大震災と原子力発電所事故の発生から15年。縁あって知人が企画・主催した福島第一原子力発電所見学を含むツアーに参加してきました。原発以外は、ほかにどんな場所を訪ねるのか知らされていなかった一泊二日の旅。今回は、原発事故で被害に遭った地域をつなぐように走っているロッコク(国道6号線)を北上し、15年の今昔を垣間見た報告です。福島は、火力発電のための石炭の採掘に始まり、現在の原子力発電所に至るまで、首都圏の電力供給(経済)と深い縁があることも気づかされました。

いわき万本桜といわき回廊美術館

福島県いわき市の実業家の志賀忠重氏と、中国福建省出身の世界的現代美術家である蔡國強氏。二人は、1980年代にいわきで出会い、数々の驚くべき「作品」を生み出してきました。そんな中、あの原発事故が起きました。負の遺産を背負わせてしまった未来の子どもたちに、できることはないかと生まれたのが「いわき万本桜プロジェクト」です。東日本大震災と原発事故の教訓を後世に伝える思いを込めた桜の木。1本ずつ250年かけて植え続ける目標は、中国で「永遠」を表す数字「99」にちなんだ9万9千本です。

そして、いわき万本桜プロジェクトと蔡氏の共同の下、「いわき回廊美術館」が2013年4月にオープンしました。高台にあるツリーブランコにツリーハウスや手作りのストーブ(通称トーマス君)など、遊び心満載です。約99mある回廊にはこの日、地元の小学校の子どもたちの作品が展示されていました。

里山の地面に沿って蛇状に長く回廊の壁面には龍の絵が描かれていて、回廊の途中には、オルガンや本が置かれ、ゆっくりと寛げる空間もありました。蔡氏が世界に羽ばたくきっかけとなった砂浜に埋もれた木造船を掘り出した作品が、桜と菜の花に囲まれて鎮座していました。尚、志賀氏と蔡氏の活躍は、川内有緒著『空をゆく巨人』で紹介されています。

いわき万本桜
https://www.mansaku99.com/

福島第一原子力発電所見学

集合場所である富岡町の東京電力廃炉資料館に30名ほどが11時半に集合しました。最初に担当者から反省とお詫びがあり、現在の状況やビデオでの説明がありました。その後、各自通行証と借用したベストのポケットに放射能測定器を入れ、バスで福島第一原子力発電所の構内を移動しながら説明を受けました。途中、建物には入りませんが、バスから降りることもできました。発電所内の作業ゾーンは以下の3つに分かれていて、東京電力ほか多くの協力会社を含め、1日4,000人ほどが働いているそうです。

  • グリーンゾーン: 96%は、簡易マスクと一般作業服で作業するエリア
    私たちが見た作業の方は、ほとんど一般作業服でした。
  • イエローゾーン: 防護服と全面または半面マスクで作業するエリア
    人は見かけましたが、私たちは中には入っていません。
  • レッドゾーン : 防護服とフード付き上着と全面マスクで作業するエリア
    事故当初、皆さんが危険と背中合わせで作業していたのを実感しました。

原子炉内部で核燃料が高温になり、溶けた燃料が周囲の金属やコンクリートなどと混ざり固形物になったものを「燃料デブリ」というのだそうです。その場所や分布の把握は重要な課題ですが、人は立ち入ることができません。そこで活躍するのがロボット。調査から試験的な取り出しまで、環境や目的に応じて遠隔操作ロボットが活躍しています。

事故発生から廃炉目標までの長いロードマップの説明に、未来に至るまで大きな負の遺産を抱えているということを改めて思いました。

廃炉の進捗状況については、日々変わっているので以下を参照ください。

・東京電力ホールディングス 廃炉プロジェクト
https://www.tepco.co.jp/decommission/
※廃炉作業の状況やバーチャルツアー、処理水ポータルサイト、燃料デブリポータルサイトを参照いただけます。

・経済産業省 廃炉・汚染水・処理水対策ポータルサイト
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/
※汚染水対策、ALPS処理水の処分などを参照いただけます。

私たちは、X線など医療目的で受ける放射線のほかに、大地や宇宙、食べ物や呼吸によっても放射線を受けています。放射能は時間と共にだんだん減っていくものなので、基準値を設けるのも難しく、一概に悪の根源とはいえない事情があります。

廃炉資料館では、当時の記録・反省ゾーンや廃炉現場のゾーンのほかに、原子力情報を公開するコーナーやコミュニケーションスペースが設けられていました。

日本はエネルギー資源を持たない国。でも、原発には反対の声があります。ここで作られていた電力により、関東圏の私たちは今まで恩恵を受けていました。原発反対の声を上げるのは簡単です。しかし、かつてのように夜は電気を使わずに就寝し、正月や深夜の営業をやめる経済に戻れるのか。AIはこれからも進化を続けるにつれて、より多くの電力を消費するようになります。私ごときで答えが出るわけではないけれど、何ができるかを考え続けなければと思った原発見学でした。

震災遺構・浪江町立請戸小学校

請戸小学校が位置する浪江町請戸地区では、津波による死者が127名、行方不明者27人と多くの犠牲者が出ました。海から約300mに位置する請戸小学校でも、誰も経験したことのない長い揺れに襲われました。震災遺構の小学校は、震災の記憶・教訓を伝え「防災意識の向上」を目的とし、2021年10月に一般公開されました。校舎のパネルを順番に辿っていくと、当時の避難の様子がわかる仕組みになっていました。

3月11日当日は2年生から6年生が校内に残っていました。震災の翌日には卒業式が予定されており、5年生が体育館で準備をしていました。体力のない1年生がいなかったのも、集団避難には幸運でした。以下、ドラマの一部始終です。

地震発生!

校長先生は「津波がくる。みんなで近くの大平山まで逃げるよ」と、教室に戻るのもやめて全員が1.6キロ先の山まで走ります。

男の子が「山の入り口はこっちだよ! 前に野球の練習で来たことある」といってみんなを先導します。

学校には教頭先生だけが残りました。

子どもを迎えに学校に来てしまう保護者がいるはず。

「みんな全員山へ逃げたから、はやく避難を」と伝えるために。

15:25 教頭先生も車に乗り山へ

先に山に着いていた校長、先生、生徒たち。教室に上着を置いたままで寒くて震えます。

「日が暮れる前にみんなで市役所にいこう」と下山。

途中、子どもたちを大型トラックの荷台に乗せてくれる人が現れ、全員(93名)無事に避難しました。

これが3.11に請戸小学校で起きたことです。この時の様子は、絵本や冊子になっています。

震災の避難で明暗を分けたのは、とっさの判断力。私が小さい頃は「地震が起きたら机の下に潜れ」と教わりました。でも、いつもそれが正解とは限らない。いつ、どこでどういう災害に遭うかもわかりません。また大勢がとった行動が正解とも限らない。大事なのは、「ちゃんと自分で考えて逃げること」。万一のために、家族で緊急時の落ち合い場所を確認しておくのは大事なことだと改めて思いました。

震災遺構・浪江町立請戸小学校
https://namie-ukedo.com/

南相馬市小高区のおれたちの伝承館

2023年7月、東日本大震災と原発事故を伝える手作りの美術館「おれたちの伝承館」が開設しました。東日本大震災の原発事故の最大の災禍は、「もやい」の分断にあると考える写真家の中筋純氏が、通称「おれ伝」の館長です。「もやい」とは、荒縄の強い結びのこと。それが転じて協同作業、さらには人々の結びつきや繫がりも意味する言葉だそうです。

2017年7月、東京の練馬区美術館で「もやい展」は産声を上げました。そして福島のその後を、ポスト原発事故へのいろんな思いや記憶を交錯させ、様々な方法で表現した空間として、未来へとつなぐ新たな価値観創出「おれたちの伝承館」となっていったようです。

館内には、絵画や彫刻などのアート約100点を展示。なかでも、1階から2階にかけて、ちょっとゾクッとする安藤栄作氏の彫刻「鳳凰」。日本画家の山内若内氏の天井画「命煌めき」は圧巻。牛舎の中で白骨化した牛。牛が生きるために食べた柱のくびれを再現しようとみんなで木を削った作品など、見学者はそれぞれの思いで見入っていました。

私が気になったのは、「おれ伝文庫」という本の部屋。500冊ほどの本は全て寄贈本だそうです。かつて広島県福山市で司書教諭をされていた方によるテーマ配架(あるテーマで集められた本棚)です。大きな図書館では所蔵はしていても、これだけ大掛かりなテーマ配架はできないでしょう。記録し伝える媒体として本がありました。

おれたちの伝承館
https://suzyj1966.wixsite.com/moyai

飯館村の図図倉庫

飯館村は福島県の北東部、浜通りと中通りを隔てる阿武隈山中に位置しています。冷害と飢饉に見舞われてきた厳しい環境から、古来、外部からの入植者を積極的に受け入れてきた地域です。しかし、原発事故により北西の風に乗って飯館村に放射性物資が飛散し、全村民6,000人が避難を余儀なくされました。2011年6月、村内外の有志が集まって「ふくしま再生の会」が生まれます。被害を収束させるために、村民と協働しながら自分たちで調査・実験を行う有機的な集まりです。2017年には大部分の避難指示が解除され、2021年から村に移住してきた若者により旧コメリ建屋を改修するプロジェクトが始動しました。それが、福島の再生と、未来の環境のために、みずから考え行動する「図図倉庫」です。「図図」は「ずっと」と読みます。「図」の文字には、「工夫して努力する」とか「目的のために工夫する」という意味があるのだそうな。

空間づくりには、「現地で、継続して、協働して」の考えが反映されています。天井にはもみ殻が断熱材として使われ、電気の配線などプロでなければできないこと以外は、壁塗りから全てDIY。仮設住宅を解体した撤去材や廃校になった小学校の廃材は、壁や窓枠として再利用しています。ここは研究者などのシェアオフィスとしても活用され、分野・地域・世代の垣根を超え、村民と科学者が集い、実験や研究の場として使われています。村民も協力して農地や土壌の放射能を計測し、除染実験や産業の再生も試みています。

科学者や研究者が飯館へ集まるのは、昔から外部の人を拒まないこの土地のDNAによるものなのか。お父様が物理学者という「図図倉庫」代表の矢野淳さんは若い女性。常設展示「環境世界を旅する」では、地球が生まれる前から現在の飯館村の様子や、放射線/放射能/放射性物質の違いや、放射能の実験など、わかりやすく説明してくれました。

「つながりを再生する」がキーワードですが、地球に存在するものの「循環」も大きなテーマだと感じました。

見学ツアーを終えて

ロッコク沿いに住む人々の間でも、放射能に対する反応は様々です。柿一つ食べるのも疑ってかかる人。ダイジョウブだと言われれば何も疑問に思わない人。正解がどれかは誰にもいえない。この地域の方は、そんな現実を突き付けられて毎日を過ごしているということ、記録に残し後世に伝えることの大事さを、私はこころに留めておきます。