「押印廃止」のその先にあるもの
~「脱ハンコ」の可能性を考える~

新時代に向けた地域情報化政策の方向性 [第11回]
2020年12月

執筆者:NPO法人 地域情報化推進機構 副理事長
ITエバンジェリスト/公共システムアドバイザー
野村 靖仁(のむら やすひと)氏

菅内閣が発足して約2か月、前政権の政策を継承しつつ社会全体の「デジタル化」へ向けて、「やるべきことをスピード感を持って躊躇なく実行に移す」ことを目指す、施策の中で「脱ハンコ」が注目を集めています。

10月12日には、国土交通省が不動産売買の重要事項説明をオンラインでも可能にする方針を明らかにしました。また、14日には金融庁が、国内に1,600種類存在すると言われている金融機関の「書面限定」手続きを、2021年度にはデジタル化する方針を明らかにしました。

河野太郎行革担当相は10月16日の会見で、約1万5千の行政手続きのうち、「99.247%の手続きで押印を廃止できる」と宣言、「押印」を存続する方向で検討しているのは、1%未満の計111種類として、今後は婚姻届・離婚届、年末調整や確定申告においても「押印」が不要になると思われます。

このような動きを受けて、警察庁では自動車を購入する際に保管場所を確保していることを示す「車庫証明」や、道路工事を行う際に必要な「道路使用許可」など、警察へ申請する際に提出する315の申請書類の「押印」を廃止する方針を示しました。

そして、文部科学省では10月20日に各都道府県教育委員会等に向けて、「学校が保護者等に求める押印の見直し及び学校・保護者等間における連絡手段のデジタル化の推進について」という通知を発出しています。

この文科省の「通知」では、押印の効果について「押印があることで当該文書が保護者等によって作成されたことが一定程度『推測』されることにはなる」とする一方で、「特に保護者等に多用されているいわゆる『認印』による押印の場合には、その認印が保護者等のものであることを認印自体から立証することは事実上困難であり」とし、「押印の効果は限定的である」ことを示唆しています。

我が国の伝統とも言える「押印」文化

私たちは日常的なビジネスシーンの中で、役職の低い担当者から順に右から左へ「印鑑」を押すことで、組織的な合意を形成していきます。このように、私たちは仕事や日々の暮らし、ライフイベントなど、多くの場面で「印鑑」を所定の用紙に「押印」することによって、確認、合意、申請、承認などの意思を表してきました。

しかし、歴史を振り返ってみると「印鑑」を「押印」する行為が普及するまでは、戦国武将が用いた西洋のサインのように署名する「花押(かおう)」が、本人が作成した文書であることを認証する手段として使われてきました。

初期の段階では、実名を「楷書体」で自署していましたが、次第に「草書体」の崩し字を署名するようになり、実名2文字の部分を組み合わせて図案化したものが「花押」として認知され、自署の代用として貴族など上流階級で使われるようになります。

鎌倉時代から室町時代にかけて、公家や武家の間で「花押」が一般的に使われるようになり、戦国時代になると、実名だけではなく、自らの「志」や「思い」の象徴として「花押」を用いるようになり様式が多様化しています。

有名な例を挙げると、大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場する織田信長は、自らが天下を平定する意気込みを表すため、仁のある政治をする為政者の世に現れる聖獣「麒麟」にちなんだ「麟」の字を「花押」にしています。

江戸時代から幕末まで「花押」は庶民にも使用されていましたが、「花押」から「印鑑」へ変わったのは、明治6年(1873年)の「太政官布告」において、あらゆる証書に「花押」を用いることを禁止し、実印のない証書は裁判において証拠能力はないとされたことがきっかけです。

このような経過を経て、いまでは実生活において「花押」を使う機会はなくなりましたが、「花押」を「押印」と同様に本人認証として認める考え方も存在しています。その一例は、現在も政府の閣議決定した際の閣僚署名は、「花押」で行うことが慣例になっています。

我が国において究極の印は、天皇陛下が法律の公布文や条約の批准書などに押印される「御璽(ぎょじ)」であり、勲記に押印される「国璽(こくじ)」です。印鑑を押すという文化が変革を迫られている今こそ、日本の豊かな伝統や文化に支えられていることを再認識するべきではないでしょうか。

世界に目を向ければ、サインなどの「自筆署名」は最も普遍的に使われている個人認証の方式です。「脱ハンコ」の風潮が広がっている現在の状況から考えると、我が国の歴史・文化を継承し、通常のサイン・署名よりも格式が高い「花押」が再度、脚光を浴びるかもしれません。

コロナ禍による変化と「脱ハンコ」

コロナ禍によって変化した身近な例では、宅配便の受け取り方法の変化が挙げられます。これまでは、宅配便で届いた荷物を受け取る際、受領印として100均ショップで買ったスタンプ式の「認印」を押していましたが、それを見直すきっかけになったのが、「巣ごもり」とも言われた自宅待機による、Amazon・楽天など「ネット通販」の増加です。

「ネット通販」の集荷量が増大することで再配達などの負担が増加し、その対応に苦慮した宅配事業者が玄関先への「置き配」を導入しなければ、我々が「押印」するという行為を見直すことはなかったかもしれません。

新型コロナウイルスの感染拡大は、様々な局面において、我々の生活シーン全般に大きなインパクトを与えました。「三密」回避が叫ばれる中で、在宅勤務やテレワーク・リモートワークが当たり前になり、旧来の「紙媒体」をベースにした「押印」など、様々な事務処理にどのように対応するかが課題になりました。

このような状況で紙への「押印」が続けば、テレワークなど新たな時代に即応した働き方を推進することは難しくなり、競争力の低下を招く恐れがあります。いまこそ、既存業務のやり方や仕組みを見直す「業務プロセスの改革」が必要ではないでしょうか。

「脱ハンコ」に象徴される「デジタル化」への大きな潮流は、単に手続きの簡素化によって時間とコストを削減するレベルを超えて、「DX(デジタルトランスフォーメーション)」によって、社会全体が本質的に変化することで、私たちの生活やビジネスそのものが「質的に向上」することを目指していると思われます。

「脱ハンコ」のメリットは、「生産性向上」への貢献ではないでしょうか。以前、テレワークしながら「押印」するだけのために出社する、本末転倒な状況が問題になりました。働き方を見直し「押印」を廃止することで、「ハンコ」を押す行為に付帯する、移動や待ち時間、「押印」後の書類提出と管理などの無駄な時間を削減することが可能になります。

もちろん、無駄な時間が短縮されただけでは、生産性が向上することにはなりません。「脱ハンコ」を契機に、日常の書類作成、承認依頼から決裁までの業務プロセスやワークフローを見直すことで、短期的には無駄な事務処理をなくし、中長期的には有益な時間を生み出すことで、新たな時代に対応した働き方の実現に繋げることができるのです。

しかし、今回の「脱ハンコ」の勢いに乗って、「押印」する行為そのものが消滅するとは考えられません。なぜなら、いまの「押印廃止」への流れは、各種の申請届出等の行政手続きや一般企業の契約締結などの際に必要な「ハンコ」を廃止することで、ネットワーク上で可能になる事象を増やし、事業効率や生産性を高めることに狙いがあるからです。

「脱ハンコ」の向こう側にあるもの

「印鑑」には歴史的背景や重み、威厳、風格など、文化的な趣に加えて、書面の「押印」を見るだけで、誰もが直感的に「決済」されていることを認識できる、視認性の高さがあります。

今後は、事業者が企業間で交わす「取引基本契約」など重要度が高い反面、機会が頻繁ではない契約では、代表印を「押印」した契約を締結し、頻度が高い恒常的な個別契約については、ネット上での決済を用いるなど、活用シーンを振り分けることが考えられます。

現在、国の法令で押印が必要と定められた手続きは年1万件以上あると言われていますが、その多くは認印を押すだけのものであり、実質的に本人認証の機能を果たしているとは言い難い状況です。これを廃止して手続きのオンライン化を進めることは、官民の事務コストを低減し、働き方を効率化するためにも有益になると思われます。

現行の多くの業務は、紙の上に手書きされた文字を介して記録や判断を行うことを前提とした時代に設計され、ICTが発達してもその根本部分は変わっていません。しかし一方では、ネット・ショッピングやオンライン・バンキングなどの分野を中心に、電子的な決済サービスが日常的に行われ、ICTを活用したサービスが提供されています。

「デジタル化」の本質は、単なる手続きのオンライン化に留まるのではなく、様々な生活支援サービスの手続きや申請受付をはじめ、審査や決裁、書類の保存業務など、バックオフィス業務も含めた一連の業務を、エンドツーエンドで、デジタル処理に切り替えていくことが必要です。

かつて戦国武将が用いた「花押」が、個人認証する手段として重用されたように、これからの「デジタル化」された社会では、ネットワーク上で個人を認証する「公的個人認証」やバイオメトリクス認証等の仕組みがより重要性を増すと思われます。

新時代に向けた地域情報化政策の方向性

執筆者:NPO法人 地域情報化推進機構 副理事長
ITエバンジェリスト/公共システムアドバイザー
野村 靖仁(のむら やすひと)氏

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