旅する図書館:向島百花園の御成座敷で、「江戸語り」
図書館つれづれ [第26回]
2016年7月

執筆者:ライブラリーアドバイザー
    高野 一枝(たかの かずえ)氏

旅する図書館の「江戸語り」のイベント

「旅する図書館(注1)」は、第19回でも紹介した、偶然集まった旅の道連れと作り上げる、本を通して会話や体験を楽しむコミュニティサロンです。知人がパートナーと組んで、月2回ほどイベントを主催している、まちライブラリーの一つのかたちといってもよいでしょう。今回は向島百花園に佇む御成座敷にて「江戸語り」のイベントでした。ちなみに、向島百花園(注2)は、江戸の町人文化が開花した文化・文政期に、骨董商を営んでいた佐原鞠塢(きくう)が、交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て造った花の咲く草木観賞を中心とした「民営の花園」で、唯一現代に残る江戸時代の花園です。

話は少し逸れますが、最近の私の朝は、Facebookで知り合った方が毎朝アップする野草の写真と「おはようございます」の一言から始まります。これがとても癒されます。久しぶりに植物に触れたい想いにかられていた矢先、このイベントを目にしました。時代小説や江戸の風俗についての本を糸口に語り合うのが趣旨のイベントですが、お庭を楽しむだけでも良いとのことで参加してきました。

江戸にちなんだ本を持ち寄り「江戸文化」を語る

とはいえ、全く本に目を通さないのも気が引けて、「江戸文化」のキーワードをもとに図書館で幾つか探してみました。本を読まない私には初めての試みで、今更ながら恥ずかしい!正直に告白すると、本を糸口に語る会は、何だか敷居が高くて今まで敬遠していたのです。

皆さんが持ち寄った本は、「江戸の暮らし大図鑑」、「地図で読み解く江戸・東京」、「歴史人」などの雑誌に始まり、司馬遼太郎や池波正太郎などの歴史小説、「北斎漫画を読む」や「江戸っ子は虫歯知らず」などの気を引くタイトルの本など様々です。地域やキーワードを特定した雑誌の特集記事は、とても威力を発揮するのだと改めて感じました。

今の学校で使われている小学校6年生の「社会」の教科書を持ってきた方もいます。私は教科書の中身の内容より、本の裏表紙の文語にまず驚かされました。書かれていたのは、「この教科書は、環境に優しい再生紙と植物油を使用しています。・・・・・1冊印刷するにあたり58Whのグリーン電力を使用しています。」に続き、「ユニバーサルデザインであること、無償で支給されているので大切に使いましょう」と書かれていました。社会環境がこれほど変わったのかと唖然としたのですが、皆さんはどう感じましたか?

慌てて出かけたため、「明治」以降の古地図を持参した方もいて、彼女は後日、「本所おけら長屋」、「地下鉄で読み解く江戸東京」、「江戸切り絵図散歩」、「剣客商売」などの本を紹介してくれました。「本所おけら長屋」はまさに墨田区が舞台で、様々な職業の老若男女がつつましく暮らす「本所おけら長屋」が舞台の笑いと涙の連作時代小説だそうです。

「廃都江戸の都市計画」や「江戸から東京~大都市TOKYOはいかにしてつくられたか」などの都市計画に観点を置いた本の話から、江戸から明治以降の東京の道路事情の話で盛り上がりました。関東大震災のあと東京の道路の区画整理に奔走した後藤新平が残したものに行幸通りがあります。皇居前の和田倉門交差点から東京駅前の東京駅中央口交差点までを結ぶ特例都道は、関東大震災後の震災復興事業によってできた道路と知りました。

政治家で医師であった後藤新平は、「人の生命と健康を守る」人間中心の機能をそなえた「都市づくり」をこのときすでに構想していたとか。ちなみに、後藤新平によって設立された市政専門図書館(注3)は、日比谷公園内の後藤・安田記念東京都市研究所の中にあります。門構えは厳ついけど、誰でも自由に入り閲覧やコピーできます。貴重資料満載の専門図書館です。

主催者の一人である岡島梓氏が「後藤新平」が大好きということで話が弾み、道路の話から以前彼女が勤めていた地下鉄の話になりました。新入社員の頃に覚えた、地下鉄の成り立ち順の言葉がこちら、「銀・丸・日・東・千・有・半・南・副(ぎんまるにっとうちーゆーはんなんふく)」。私は、「水・金・地・火・木・土・天・海・冥(すいきんちかもくどーてんかいめい)」を思い出してしまい、何だか懐かしい気持ちになりました。

本の紹介をしながら、あっちこっちに脱線して見えてきたことは、江戸は当時世界でも1,2を争う大都市だったにも関わらず、とても清潔な街だったこと。古紙回収にしても紙の種類ごとに回収されるリサイクル社会が確立していました。しかも、お上に頼った政策ではなく、基本は自治社会で、街を清掃する人は其々の自治で雇っていたそうです。今よりもずっとPublicな世界だったのです。

識字率もとても高く、民間の寺小屋が大きく貢献していました。日本の識字率が高いのは戦後の政策のお蔭と思っていたのですが、大きな勘違いでした。江戸時代の書物から、人々の暮らしぶりや文化の高さが伺えます。野菜売りの絵ひとつにしても、「豆売り」、「豆腐売り」「水売り」と、職業も随分と細分化されていて、それでいて生活が成り立っていたのだから、今よりずっと豊かな生活だったのかもしれません。

参加者の中には、ご先祖様が向島百花園の前のお座敷の持ち主という方がいて、江戸時代にタイムスリップしたかと思えば、この秋に公開される墨田区の北斎美術館の話まででて、とても楽しい時間を過ごすことができました。皆さんの博識に終始目を白黒させ、人と関わりながら知識を得る楽しみを味わいました。

帰りに、東向島駅近くで「寺島なす最中」を買いました。和菓子屋「一哲」のご主人の話によると、百花園界隈は、昔は寺島町という町名だったそうです。寺島町では昔「寺島茄子」という名産品があったのが戦災で失われていたそうです。近年、種が発見されて作られるようになったので、その茄子をアンに練りこんで「寺島なす最中」を作ったとのことでした。この最中をブログに載せたところ、数人の友だちから色々な情報が寄せられました。尾上菊五郎といえば寺島家。この辺りは尾上菊五郎家ゆかりの土地でもあるそうです。
そして、、、

「寺島図書館というのがついこの間まであって、町の予算や各町会の寄付、東京府七中校友会(現・都立隅田川高校=母校なの)の貢献で昭和5年だったかに設立。

書架以外の備品、閲覧用図書の購入、司書の雇用の費用を七中校友会が担ったと聞いてます。また、開設時に七中在校生の各家庭から本を寄贈したとか。

七中・七高は、俳優の加東大介(知っている人いるかな?)、アルフィーの坂埼幸之助、作家の宮部みゆきの母校。
舞伎の弁天小僧のセリフにも“寺島”はでてきますよね。」、、、

と、情報は止めどなく続きました。

次から次に芋づる式に、人を介した数だけ情報が増えていきます。人が集まると色々な視点で語られるのだと感心し、まちライブラリーの醍醐味がちょっとだけわかったような気がしました。江戸の文化を知ることができるのも、残された資料があればこそ。でも、今の時代は、セキュリティの観点から電話帳も個人情報も公開されません。Web情報は流れていき、私たちは後世にどんな形で文化を残せるのだろうと、そんなことを漠然と考えながら帰途につきました。

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高野 一枝(たかの かずえ)氏

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