茂木町まちなか文化交流館<ふみの森もてぎ>
図書館つれづれ [第41回]
2017年10月

執筆者:ライブラリーコーディネーター
    高野 一枝(たかの かずえ)氏

はじめに

2016年7月16日に開館した栃木県茂木町のまちなか文化交流館<ふみの森もてぎ>(注1)(以下、ふみの森もてぎ)で、開館1周年記念に柳田邦男氏の講演会があると聞き、友達と一緒に伺ってきました。今回は、講演会のお話や茂木町について紹介します。

1. 柳田邦男氏講演会『こころ豊かに生きる~「ふみの森」は自分探しの宝島』

講演会の前に図書館見学をしようと、開演の1時間以上前に図書館へ到着したのですが、会場のホール前には既にたくさんの方々が立ち並び入場の行列を作っていました。私たちも急きょ予定を変更し、行列に加わって待ちました。ご高齢の方も多く、町の方々の図書館への期待が伝わってきました。

柳田邦男氏は鹿沼市の出身で、氏の父親は茂木町出身という導入から始まり、前半は、絵本の力で人生の本質に触れ、自己否定から自己肯定へ180度転換された方々の話でした。その中から、私の一番印象に残った藤野高明氏のことを紹介します。

藤野氏は、1938年福岡市生まれ。小学校2年生の時に不発弾爆発により両眼両手首を失い、以降就学を認められない日々の中、18歳の時に人生を決めた1冊の本に出会います。入院先の看護師が読んでくれた北条民雄著の「いのちの初夜」でした。自分も本が読みたい、勉強がしたい、友達が欲しい!その想いが生きる力になりました。20歳で盲学校中等部2年に編入。目も見えず手もなくどうやって本を読むのかと思ったら、なんと舌で点字を読むのです。

その後、自分の障害を隠して日本大学の通信教育部に入学しました。スクーリングで障害を知った大学の担当者は驚き、あきらめるように説得しました。友達の支えもあり必死の思いで踏みとどまり、舌読で6年かけて教師の資格を取得しました。そして、大阪市立盲学校に1972年に非常勤講師として採用され、翌年正規教諭として迎えられました。著書「未来につなぐいのち」には、「点字の獲得は光の獲得でした」で始まり、未来を生きる若者たちに贈る励ましのメッセージが書かれています。その他のお話も、本は時代を超えて多くの人生を支えてくれる、感銘深いお話でした。

後半は、情報環境が激変する今の時代への警鐘と、読み聞かせの新しい意味を問いかけました。現在の携帯ネット社会は、無自覚で依存症に陥りやすい、便利で簡単で楽しくて役立つゆえに頼り過ぎなど、負の側面を指摘されました。そして、生身の人間と話せない人がいるなど人間形成にゆがみが生じていることや、SNSでの匿名投稿にはモラル消失も懸念されました。

特に、母乳を飲ませながら携帯をさわる母親の姿には、子どもの基本的信頼関係の構築に影響するのではと危惧され、赤ちゃんへの絵本の読み聞かせのすばらしさを強調されました。言葉を発達させ、文脈を理解する力は、受容や共感協働を生み、人間関係の理解力育成に繋がるといいます。

親が肉声で豊かな感情表現でおこなう読み聞かせは、肌のぬくもりを感じながら、感情を共有したリアルな世界での親と子の貴重なふれあいの時間です。赤ちゃんへの読み聞かせは、親が100%自分を向いてくれている基本的信頼関係の構築時間となり、子どもの発育に大きな影響を与えると話されました。

柳田氏は、絵本は人生に3度遭遇するといいます。最初は赤ちゃんの時に両親から。2度目は大人になって我が子へ。3度目は自分の人生を回想する成熟の時。80歳代とは思えないほど熱のこもった、予定時間をはるかに超えた150分ノンストップのお話でした。

2. ふみの森もてぎ

公民館図書室「まちかど図書館」が手狭になり、こどもの勉強する場所の確保など時代の要請に沿った新しい図書館構想が起きたのは5年前でした。<ふみの森もてぎ>は、酒造蔵元跡地を中心に、文化の担い手となる生涯学習機能を備えた複合施設として、1年前にオープンしました。

開館1周年記念の講演会会場「ギャラリーふくろう」は、仕込み蔵だったところで、その棟札には弘化3年(1846年)と記されていたというほどに昔の面影を随所に感じることができます。柱の下半分が新材なのは、昭和61年の台風による豪雨で川が氾濫し町全体が水没するという大きな被害があり、その証を後世にも伝えようと、敢えて残したからだそうです。私たちが伺ったとき、「かえってきた島崎雲圃」の特別企画を展示していました。雲圃は近江商人の出の画家で、茂木町は、近江商人が発展させたまちなのです。

図書館をつくるにあたり町長は、自分が全面的に信頼できる人にお願いしたいと、茂木高校の先輩である関誠二氏に館長を要請しました。当時、横浜の金沢文庫で嘱託司書をしていた関氏は、町長の熱い想いを受け入れて、金沢文庫がお休みの日を利用して茂木を訪ねるようになります。そんなとき、NDC分類に限界を感じていた関氏は、配架が容易にできるカメレオンコードを北海道の幕別町が採用していることを知りました。

(ちなみに、カメレオンコードとは、シアン/マゼンダ/イエロー/ブラックを基本色とした画像でとらえる二次元カラーバーコードです。これに追加色として、グリーン/レッド/ブルー/オレンジが加わり桁数を増やすと、ほぼ無限大の情報量を確保し、物品管理や工事現場の動作管理などにも使用されています。)

幕別町図書館のカメレオンコード導入に携わった「図書館と地域をむすぶ協議会」の太田剛氏に連絡を取り、図書館建設準備段階からの関係各社とのコーディネートや、開館に向けた町民向けイベント開催など、一貫して協力と支援をお願いしました。

<ふみの森もてぎ>の資料は、バーコードを使用せずに、カメレオンコードのみの運用です。不安はなかったのかとお聞きしたら、旧図書室時代にシステム化されていなかったから二重管理は考えることもなかったそうです。配架はNDC分類に頼らず、茂木独自の分類法で行っています。カメラ入力で複数のバーコードが同時に読めるから、簡単に特集などの棚の配架を変えることができるのです。

カメレオンコードはICのような盗難制御機能はありませんが、ICに比べ安価であること、曝書期間の短縮などに効果があります。但し、カメレオンコードを利用する場合は、現行システムとの連携が必要になります。皆さんの興味・関心も一番高く、自分の図書館に照らし合わせた具体的な質問がたくさん出ました。

本の装備は幕別町と同じく福祉施設にお願いし、障がい者の雇用創出になっています。開館前のイベントでは、旧「まちかど図書館」から<ふみの森もてぎ>へ350人が手渡しで2000冊の本を1冊1冊リレーした引越大作戦を行いました。これらの活動をとおして、図書館のサポート組織もでき、今では100名を超えるボランティア「ふみの森の仲間たち こだまの会」が図書館を支えています。

こだまの会のメンバーには、書架整理などをしてくれる個人会員と、企業などを含む5つの団体会員がいます。中でも茂木高校生の存在は逸品です。高校との連携は開館準備室時代からずっと考えていたそうです。夏休みは、小中学生を対象に勉強を教える学習支援ボランティアもしてくれるとのこと。最初は引っ込み思案だった子どもたちが、帰る頃には仲良くなって、「また来たい」と帰っていく姿を想像するだけで、ほほえましくなります。

図書館内は、茂木町で育ったスギやヒノキがふんだんに使われた、木の香り漂う落ち着いた空間でした。学習机は72席用意、何故だか2階のキャレルから埋まっていくとか。2階から見下ろすと、書架は<ふみの森もてぎ>のロゴマークという心憎い演出もありました。保育園が民営化されたため異動してきた元保育士の職員が、可愛いPOPを随所に手がけています。<ふみの森もてぎ>は複合施設です。利用者の年齢層は幅広く、若い方々との交流もあり、複合施設だからこその「世代を超えた交流」などのメリットも活かされているとのことでした。

書架整理からWebからシステムまで何役もこなす小峰久美子司書に、これからの課題をお聞きしました。図書館としての基盤がないため、システム運用も配架もまだ手探り状態とのことでしたが、館長がいつも言っている「ほかの図書館よりも手間をかけ、知恵を絞って業務にあたること、職員が日々努力をし、魅力ある棚づくりを常に模索して行くことが大事」という言葉を教えてくれました。

3. もてぎの魅力

見学のあと、皆さんからお話を聴くことができました。<ふみの森もてぎ>立ち上げ時の総括責任者であった木村茂課長は、平成8年に完成した「道の駅もてぎ」も立ち上げた方です。栃木県下第1号の道の駅は、バイパスが切れている場所に「道のない道の駅」として誕生しました。

元々は昭和61年の水害で水田が被害を受け、その跡地の再開発にと計画したものです。作ると決めてからは主体的に動きました。町で作る道の駅は行政の仕事ですが、作るからには商売として採算が取れないといけません。そのため当初は、トイレを建物の奥にとの意見もありましたが真っ向から反対し、利用者の利便性を考えて、道の駅の正面にトイレを準備しました。2,000m2の花壇の花を用意するため、地元農家に声をかけ「花を作ってオランダへ行こう」を合言葉にドリームフラワーと言う組織を作り、2年後にはオランダへ視察旅行にも行きました。花の代金は、地元の農家の収入となり、農業支援にもつながりました。

私たちが宿泊した宿泊施設「NAGOMI」は、かつて児童が通った小学校跡地にありました。隣接している木造校舎は、昭和9年に建てられた姿そのままに、昭和30年代の暮らしを詰め込んだ、「昭和ふるさと館」として利用されています。その日は空手クラブの子どもたちが合宿をしていました。都市と農村の交流を目的に、様々な体験プログラムを行っている「たかばたけグリーンツーリズム協議会」は、茂木町を知ってもらう、感じてもらう、大好きになってもらうための、様々な取り組みをしています。

例えば、イチゴ狩り、棚田米の田植えや稲刈り体験、お茶作り、川遊び体験学習、里山体験学習、廃校トライアスロン、ゼミ合宿受入れ農家民泊受入れetc。宿泊した翌朝は、商工課課長で会員の小林正徳氏の提案で、夏野菜収穫を体験させてもらいました。もちろん新鮮な野菜はそのままお土産になりました。茂木町初の女性課長の小林裕子氏とは、女性の社会進出の話で盛り上がりました。茂木のまちには、横並びの金太郎飴には興味がなく、個性的で魅力的な資質を好む風土があるようです。

ツーリングで茂木町に通う友達から、「もてぎへ行くの?何もない田舎だよ~」と言われて伺った茂木町でしたが、ホスピタリティあふれた熱い想いを原動力に、町の活性化に挑む素敵な方々に出会えた町でした。

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