日本新聞博物館
図書館つれづれ [第93回]
2022年2月

執筆者:ライブラリーコーディネーター
    高野 一枝(たかの かずえ)氏

はじめに

2021年10月、東京都府中市立図書館開館60周年記念講演会『日本における新聞の誕生から戦後の再出発まで』という、私にはちょっと縁遠い講演会を聴きに行ってきました。図書館の講座では日本新聞博物館の常設展示を紹介するにとどまりましたが、後日、友人を誘って訪ねてきました。今回は、日本新聞博物館の紹介です。

日本新聞博物館

ニュースパーク(日本新聞博物館:注1)は、日刊新聞発祥の地である横浜で2000年に開館した、日本新聞協会が運営する情報と新聞の博物館です。2016,2019年の改修を経て今の姿になりました。みなとみらい線日本大通り駅に直結する場所で、周囲には横浜三塔の1つである横浜市開港記念会館やシルク博物館など見どころ満載の立地条件にあります。新聞を取り巻く環境も変化し新聞の販売数も落ちていく中、歴史と現代の両面から新聞・ジャーナリズムの役割を学べる施設とし、教育連携や地域連携を重視しています。

博物館の中に入ると、1997年まで実際に静岡新聞社で使われていた巨大なVBW型新聞オフセット輪転機が迎えてくれました。2階には、企画展示室とカフェがあります。伺ったときは、「ペンを止めるな」という神奈川新聞130年の歩みの企画展示をやっていました。素敵なカフェは残念ながら当日はお休みでした。

3階には、多目的ルームと、あとで述べる常設展示室と、新聞閲覧室があります。新聞閲覧室は、全国の新聞約130紙を1週間分配架しており圧巻でした。

もちろん自由に読むこともできるし、記事データベースも無料で閲覧できます。ちょうど手袋をはめ配架作業をされていました。全てを入れ替えるのに1時間半ほどかかるのだそうです。

常設展示室

3階の常設展示室は、大きく3つのゾーンに分かれています。

1)「新聞の歩み」ゾーン

府中市立図書館での講演は、このゾーンに即して、日本における新聞の誕生から太平洋戦争後の再出発までをとりあげ、「新聞の歴史を学ぶことで、メディアが社会においてどんな役割を担ってきたか、民主主義において言論の自由がいかに大切かを改めて考えるきっかけになるのでは」と、話されていました。

新聞の誕生は、開港により居留地の外国人の外国語新聞を和訳した和紙に片面刷りして綴じたもので、冊子型新聞と言われる翻訳新聞でした。横浜で誕生した日本初の日本語による日刊新聞は、明治3年に発行された横浜毎日新聞で、洋紙1枚・両面刷りの紙面が画期的だったそうです。船の到着時間や、生糸の値段など貿易商人の役に立つ情報を入れたこの新聞が生まれたことから、横浜は「日刊新聞発刊の地」とされています。

戊辰戦争期は、佐幕派や新政府などが各々で新聞を発行していたのだそうな。明治時代になると、近代化を進めるため「国民の教化」に新聞が採用されていきます。同時に各地でも、現在の山梨日日新聞や、信濃毎日新聞につながる地方新聞がスタートします。当時は冊子体の新聞でした。

新聞に見出しが採用され始めたのは明治10年代。どうしたら読者に読みやすくなるか試行錯誤の末に生まれたのだそうです。新聞には、難しい漢文調で政治の主張を展開した大新聞と、市井の情報や娯楽を扱う小新聞がありました。報知新聞は大新聞としてスタート、朝日新聞や読売新聞は小新聞としてスタートしたのも興味深いです。

ド派手なイケメンの新聞売りの写真も残っていて、黒塗りの新聞箱をかつぎ、鈴を鳴らして売り歩く姿は、当時は花形だったのかもしれません。

関東大震災の記事が関西の新聞で多いのは、東京の新聞社が大きな打撃を受け新聞が発行できなかったからでした。大阪に本拠を持つ新聞社は立て直しも早く、その後の新聞社の明暗に大きく左右したそうです。大正時代には既に点字毎日が発売され、目の不自由な人の教科書にも活かされていたそうです。今のように騒がなくても、バリアフリー精神は芽生えていたのですね。

日清・日露戦争では多くの号外が無料(地域により有料)で配布され、新聞社に対する認知度や読者の増加につながって新聞の経営を発展させました。日本の産業の発展もあって、新聞に商業広告が生まれます。新聞の販売促進のための双六などの新聞付録もありました。

日中戦争・太平洋戦争下では、製紙会社、配信社、最後には新聞社が一本化され、言論統制が強まっていきます。中でも、天皇に関わる記事の統制は特に厳しく校閲部の創設につながりました。戦線の状況は曲げられて報道され、その頃の新聞記者の心中はどんな思いだったのでしょう。

戦後の新聞は民主主義のメディアとして再出発するものの、今度はGHQによる言論の規制が行われ、1951年の用紙統制解除で、ようやく新聞は大きく発展していきます。

新聞社や通信社の屋上には1960年頃まで鳩舎があったそうで、伝書鳩も展示されていました。さすがに1羽ではなく数羽飛ばしていたようですが、鳩は本当に伝達手段で使われていたのですね。その鳩が、半世紀後には目に見えないアナログに変貌しているのですから凄い変化です。

2)「情報社会と新聞」ゾーン

インターネットの世界になって情報量は莫大に増加した一方で、間違った情報や不確かな情報もあふれています。子どもたちの情報リテラシーはどこで身につければよいのか気になっていましたが、ここにありました。このゾーンは、学校の校外学習を意識した展示になっています。情報タイムトラベルの入口はパピルスや木簡に羊皮紙などの古来の情報伝達手段が紹介され、トンネルが現代に近づくにつれ情報量が爆発的に増えていることを、映像や音で体感することができます。フェイクニュースは、いとも簡単に生まれていきます。だからこそ、本物の情報を見抜く力が必要とされます。確かな情報を届けるために、優れた新聞記者には、新聞協会から賞が贈られています。

3)「新聞を知ろう」ゾーン

新聞が読者に届くまでどれだけの人が関わっているのでしょう? 取材や編集はもちろんですが、広告、印刷、物流、配達など実に数多くの産業が関わって新聞は作られています。このコーナーでは、記事を書くときの心得や編集の様子など、新聞社の日々の仕事を体験型で展示して解説しています。同行した友人に新聞社に詳しい人がいて、「そうそう、机の上は山積だった」などと話してくれました。愉しく学ぶ仕掛けがたくさんあって、取材体験ゲーム「横浜タイムトラベル」は横浜港周辺の街並みを再現したジオラマでした。タブレットをかざすと過去にタイムスリップし新聞記者を体験できる、とても人気のコーナーだそうです。

帰りには、写真を撮っていただき、写真入りの新聞をお土産にいただきました。

同行した友人の感想も記載しておきます。

前から訪ねてみたいと思っていた博物館、学芸員の方に案内していただきながら見学することができて有難かったです。明治初期、新聞ができた頃の展示にわくわく。日本で最初の新聞には、商人の役に立つ情報が書かれていたり、庶民向けの小新聞が生き残って今の大新聞につながっていたり、もともと新聞は庶民に目を向けたものだったのですね。これからの、新聞の進化にも期待しています。

情報伝達の手段は鳩からアナログに変わり、情報媒体は紙からデジタルへと変わりつつあります。新聞は今後、どんなかたちで生き抜いていくのでしょうか。

図書館つれづれ

執筆者:ライブラリーコーディネーター
高野 一枝(たかの かずえ)氏

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