廃校の学舎を都市と農村の交流拠点の道の駅に年商2.7億円の目標を半年で達成

平成27年12月。千葉県鋸南町で、その前年の3月に廃校になった小学校の校舎をそのまま転用した都市と農村の交流拠点の道の駅がオープンした。名称も廃校前のまま「保田小学校」。里山の景観のなかにある教室や体育館。「郷愁を感じる」と人気を呼び、休日はいつも駐車場が満杯になるほどの盛況に。年間売上高2億7,000万円の目標を、わずか半年間で達成した。

廃校という人口減少を象徴するできごとを“逆転の発想”で地域活性化につなげた取り組みは、どのようにして実現できたのか。町長の白石氏に聞いた。


「どうにかせんといかん」危機感をもつ住民から出たアイデア

全国に「変わりダネ」と評判の道の駅は多いですが、廃校になった小学校の校舎を転用するケースはまれだと思います。
どこからそんなアイデアが生まれたのですか。

もとは住民の発案なんです。1930年(昭和5年)に約1万3,000人だった町の人口が、いまでは8,000人ほど。2060年になると2,700人まで減ってしまうと予測されています。「どうにかせんといかん」。そういう想いは行政だけでなく、住民の方々にも共有されていました。

とはいえ、町は平地に乏しく、ただでさえ後継者難が深刻化する農業の規模を拡大させるのは難しい。山がちで平地が少ないので、大きな工場を誘致するとか、多くのIT企業に進出してもらうのも非現実的です。

そんななかで地域を元気にするにはどうしたらいいのか。平成22年に町の総合計画を策定するときに設けた策定懇話会で話し合っていたとき、住民の代表から出たアイデアがきっかけになったのです。

鋸南町 町長
白石 治和(しらいし はるかず)氏

どんな案だったのでしょう。またそれに関わる予算の手当はどうしたのですか。

小規模でも構わないので、町の特産品の野菜や花を直売できる場をつくる。それによって農家の経営を安定化し、町に観光客を呼び込むような情報発信の場にしたい。また、コーヒーショップやレストランを設けて、町外からの来訪者にくつろいでもらうと同時に、住民どうしの交流の場にする。そして子どもたちが安心して遊べる場もつくる。そこに雇用も生まれる。住民と町外からの来訪者、そして住民どうしが交流する施設をつくろう。また、「道の駅」は知名度があるから「道の駅にしたらいいのでは」。そんな案でした。

それを実現するプロジェクトとして、廃校を新たなコミュニティの核となる施設として再生することにしました。農林水産物の販売や6次産業化を通じた農林漁家の経営安定や観光情報などを発信し、都市と農村の交流活性化の拠点を整備する計画です。この計画で、約13億円の事業費のうち、農林水産省さんより約3億5,000万円の補助をいただきました。

交流施設の構想が先にあり、道の駅として実現することが後で決まったわけですね。
その施設に廃校舎を転用することになった理由を教えてください。

ちょうど同時期に、町に2つしかない小学校を統廃合する話が持ち上がったのです。

1つは住宅地のなかにあり、もう1つの保田小学校は高速道路のインターチェンジからすぐ近くの県道沿いという、交通の要所に位置していた。「それならば、保田小学校を都市交流施設・道の駅にしようじゃないか」ということになったわけです。

校舎を取り壊して、施設を新たにつくるのが一般的だと思います。

実際、議会から「商業施設にするのであれば、校舎を取り壊して使い勝手の良いように整備した方が良いのでは」というような意見も1つの案として出ていましたよ。でも、私は「それは違う」と。本当に真剣に考えてそんな意見を言っているのか疑問でした。保田小学校は残念ながら廃校にせざるをえませんでしたが、126年の歴史ある学校です。じつは私自身も卒業生。私が通ったころは木造校舎でトイレがくみ取り式でしたが、思い出深いものがあります。

建物をそのまま転用することで、「そんな歴史を感じてもらえる場所にできるのでは」と考えたのです。実際、トイレはそのまま使えるし、グラウンドは広場や駐車場になる。体育館は地元産品の直売所に。音楽室はミニコンサート会場として貸し出し。教室は来訪者の宿泊所に。もともと保田小学校は災害時の避難所に指定されていて、道の駅になったいまも避難所としての利用が想定されていますが、教室はそのまま使えます。

取り壊しや新規建設のコストを削減するのが主目的ではないのでしょうか。


直売所に転用した体育館

いいえ。じつは、新規建設するのと、そんなにコストは変わらないんです。古い施設を新たな利用目的にあわせてリノベーションするのに、コストがかなりかかるからです。たとえば直売所に転用した体育館。建物の外観は変えず、外壁を半透明のポリカーボネイトに取り替え、鉄骨を補強したうえに防食処理を施しましたから、かなりコストをかけています。

それよりも、訪れる人に「なつかしさ」を感じてもらえる施設にしたい、というのが再利用の大きな目的でした。たとえば、二宮金次郎の像をそのまま残しました。窓から像が見える店の名は「cafe金次郎」。メニュー掲示に黒板を再利用しています。

道の駅のロゴも、もともとの小学校の校章をアレンジしており、校旗掲揚ポールも再利用し、そこに道の駅のロゴの描かれた旗を掲揚しています。

ユニークな発想ですね。

ええ。設計チームのなかには大学生もいて、若い発想で取り組んでくれたのがよかったのかもしれません。公開型プロポーザル方式で設計者を公募したところ、予想を超える37チームが参加。書類審査を通った6チームで競い合った結果、5つの大学と4つの設計事務所で構成されるN.A.S.A設計共同体というところに発注したんです。大学の先生が中心で、その研究室の学生もメンバーなんです。

テレビで取り上げられ町外から移住を希望してくる人も

町長の白石さん自身のこだわりが反映されていることはありますか。

「駐車場から施設まで、少し歩くようにしてほしい」と注文しました。利便性を考えると、施設のすぐ近くまで車で来て、歩かずに入れるようにしてしまいがち。でも、それでは周りの景色を眺められません。保田小学校は自然のなかにあり、山々の眺めが美しい。来訪者にはぜひ、それを楽しんでほしい。そんな想いから設計者に依頼して、実現してもらいました。

それから、施設の名称についてもこだわりました。もとのまま「保田小学校」にしたいと。住民の方から「名称を公募したほうがいい」という話も出ていたんですが、私なりのこだわりを貫きました。

結果、町外からの来訪者を呼ぶインパクトを与えるネーミングになったと思います。公募していたら、こんなにインパクトある名前にならなかったかもしれないでしょう。

これまでの成果を教えてください。

当初に立てた目標は「開業1年間で来場者数27万人、売上高2億7,000万円」でした。ところがオープンしてみると、毎月4万から5万人が来場し、5,000万円ぐらいの売上があった。わずか半年で目標売上を突破しました。土日は常に駐車場がいっぱいになる状態で、スペースの拡大を検討しなければならないほどの盛況です。

それから、行政関係やその他各種団体からの視察数が予想以上に多いですね。予約も含めて、既に150件を超えています。「ひっきりなしに来ている」という印象です。

順調ですね。高い実績をあげた要因はなんでしょう。

やはり、もの珍しさから「いちど行ってみよう」となるのが大きいと思います。廃校の再利用そのものが珍しいケース。メディアでも大きく取り上げてもらいました。関東の民放TV局はすべて取材してくれ、1局で何度も取り上げてくれたところもあります。

そうした報道で今回の取り組みを知った町外の方が、鋸南町への移住を検討してくれるケースも出てきています。たとえば神奈川県の横浜で教師をしていた人が、定年前に退職して、鋸南町で農業をやり始めています。自家消費以上の規模で農業をやりたいが、市場で流通させるほどの規模ではない。そんな人にとって、直売所に収穫物を持ち込む方法なら、自分のペースで作物を育てられるからです。移住定住の促進策にもつながっています。

今後のビジョンを聞かせてください。

もの珍しさから訪れた人をどうやってリピーターにするかが課題です。また、住民どうしの交流の場としての活用はまだまだ少ないと評価しています。都市交流施設・道の駅はこれで完成ではなく、どんどん進化していくもの。地元の人の知恵をどんどん入れて、よりよい施設をつくりあげていきたい。

今回、そもそものアイデアは住民の側から出てきましたが、そこからの推進は行政主導でやりました。今後は「住民の側が主体になってプロジェクトを進め、行政がその手助けをする」という体制で進めていきたいですね。

鋸南町

  • 人口:8,275人(平成28年9月1日現在)
  • 世帯数:3,710世帯(平成28年9月1日現在)
  • 予算規模:38億7,091万4,000円(平成28年度当初:一般会計)
  • 面積:45.19 km2
  • 概要
    千葉県の南部、東京湾に面する。古くから海上交通の要所として知られ、ヤマトタケルのために海に身を投げたオトタチバナヒメのなきがらが漂着したという伝説があり、平家との合戦に敗れた源頼朝が再起をはかって上陸した地である。江戸期には『見返り美人図』で名声を博した浮世絵師、菱川師宣を生んだ。横須賀港整備などに使われた良質の石材を切り出したために、山肌がのこぎりの歯状になっているので命名された「鋸山」の南に位置することが、町名の由来。