労働法専門弁護士が回答! 労務管理担当者が知っておくべきFAQ集(第38回)
月30時間の残業でも慰謝料が発生することはありますか?
2021年7月
Q. 月30時間の残業でも慰謝料が発生することはありますか?
月30〜50時間程度の時間外労働をしていて、精神疾患の発症はなかったのに、慰謝料の支払いを命じた裁判例があると聞きました。この時間数で慰謝料が認められてしまうというのは、企業の労務管理に大きな影響があると思います。
A. そのような判決がありますが射程は限られます
(1)どのような判決か
令和2年6月10日、東京地裁は、時間外労働は月30〜50時間程度であり、時間外労働により心身の不調を来したと認めるに足りる医学的証拠は乏しいという事案について、安全配慮義務違反に基づく慰謝料10万円の支払いを会社に命じました(東京地判令2.6.10労働経済速報2432号3頁)。
一般に、過労死ラインは月80時間残業とされる中、月30〜50時間という時間数で、しかも精神疾患の発症は認められなかったのに、安全配慮義務違反による慰謝料を命じたというのは、異例の判決のように思われます。
月30~50時間という時間数は、三六協定(時間外労働の上限規制)の原則的上限である月45時間に満たないか、それを少し上回る程度の残業時間です。普通は社員の健康に害を及ぼす水準とはいえません。
(2)長時間労働というよりマタハラ事案
では、東京地裁は、なぜこの事案で慰謝料支払いを命じたのでしょうか。
実は、この事件の原告は、子の養育のための短時間勤務制度(勤務時間を6時間に短縮するもの)の適用を受けていました。そのため、朝9時から仕事を始め、夕方の16時には退社する働き方でした。
ところが、実際には、帰宅後の19時や20時を過ぎてから、遅いときには23時頃になってから、電話等で業務報告を求められることが頻繁にありました。結果、時間外労働(1日8時間超過分と週40時間超過分の合計)は月30〜50時間になっていました。
このように、同判決は、育児短時間勤務の適用を受けながら、その制度利用を阻害するような残業を命じたことを安全配慮義務違反とした裁判例と見るべきものです。長時間労働というよりはマタハラ事案といえます。
時短ではない通常の働き方の社員に月30〜50時間の残業を命じることで慰謝料が生じるとは思われません。ただし、別の裁判例で、2年以上にわたり月100時間以上の時間外労働(多い月は150時間)をさせていたという事案について、精神疾患の発症がなくても慰謝料30万円の支払いを命じたものがあるため(長崎地裁大村支判令元.9.26労働経済速報2402号2頁)、過労死ラインを超える残業には注意が必要です。
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筆者プロフィール
橘 大樹(たちばな ひろき)
石嵜・山中総合法律事務所 パートナー弁護士
専門分野 労働法(企業側)
慶応義塾大学法学部法律学科、一橋大学法科大学院卒業。司法試験合格後、司法修習を経て弁護士登録(第一東京弁護士会)、石嵜・山中総合法律事務所に入所。労働法を専門分野として、訴訟、労働審判、団体交渉などの紛争対応、顧問企業からの法律相談、労務DD、労基署対応などを行う。
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