情シス奮闘記 中堅企業編
第1回 テーマ「中堅企業のクラウド移行」
2019年1月
中堅企業のクラウド移行 情シス担当役員は何を悩んでいるのか
クラウド、IoT、AIなど目まぐるしく動く技術を活用して、業務改善を進め、ひいては企業価値を高めるためには、情報システム部門の役割が今ほど重要な時はない。ところが、社内のITに関わる業務をほとんど一人でこなさなくてはならない企業が多く存在している。むしろ、ITコスト削減のあおりを受けて、少人数化が進む企業もある。そんな孤立無援の情シス担当者の悩みに寄り添いながら、いかにしたら効率的に業務改善を進めることができるのか。連載では今回より、従業員500人規模の製造業企業「ライゾウ社」を仮想モデルにして、情シス担当役員と情シス担当者の奮闘を描いていく。そして、今回の主役は情シス担当役員である高橋博だ。
登場人物
- ライゾウ社:社員500人程度の電子部品製造業。年商500億円。拠点は国内に8つ、海外に2つある。
- 高橋 博:情報システム部門を統括する役員。経営者目線でITを活用し、いかに「経営課題」を解決するか苦心している。
- 本田 遥:役員の秘書で、高橋も担当。高橋のよき相談相手でもある。会社のジャズ研究会に所属。趣味はピアノ。
- 上野 紘司:情報システム部の課長。情シス部門は5人体制で基本仕事は1人で行っている。本田と同じくジャズ研究会に所属。サックスが趣味。
*文中の氏名・社名はいずれも実在するものではありません
情シス部門に迫られるコスト削減の要請にどう応えるか
ライゾウ社は、電子部品製造業がメインの中堅企業だ。大手コンピュータメーカーとの取引がメインだが、資本関係はなく最近は中国や台湾のメーカーとの取引も増えている。下町の町工場から発展して、拠点は国内に8つ、海外に2つ展開するまで成長してきた。グローバルで戦いつつも、何とか利益を上げてこられたのは、1990年代から熱心に取り組み始めた、ITを駆使した経営合理化が功を奏したのだと、ライゾウ社の役員であり、情報システム部門を統括する高橋博は自負している。先見の明があったのだと。
そんなライゾウ社だが、けっして安穏とはしていられない。ライバル社との競争に打ち勝つために、経営革新は焦眉の課題になりつつある。その戦略を打ち出すための経営会議では常に「売上拡大」と「コスト削減」が議題に上る。つい最近も社長から「高橋さん、情報システム部門ではコスト削減はどうなっているの」と質問があった。高橋はこれまでもハードウェア、ソフトウェアの導入では可能な限り、コストダウンを図ってきたつもりだ。しかし、社長の目にはまだまだ甘いと映っているらしい。
「当社はハードウェアやソフトウェアを自前で抱えていますから、どうしてもコストがかかります。サーバ運用のためにシステム部門の要員を張り付けなければなりませんし……」
「そのあたり、何か抜本的な解決方法はないのかね」
社長の視線が一瞬、厳しくなるのがわかり、高橋は内心冷や汗をかく思いだった。
(確かに社長の言うこともわかる。他部門が必死でコスト削減に動いている中で、情シス部門だけが手をこまぬいているわけにはいかない)
高橋に算段がないわけではなかった。彼の脳裏をよぎっていたのは、「クラウド」という言葉だった。
オンプレミスでは環境の変化に対応できない?
「ITはものすごいスピードで進歩しているからね。うちもボーっとしていると、すぐに時代遅れのシステムになってしまう」と、経営会議から戻り、役員室で語りかける相手は秘書の本田遙だ。
「高橋さんはどのあたりにメスを入れたほうがいいと考えているんですか」
本田はパソコンをいじりながら、ちらっと高橋のほうに目をやり、そう尋ねてくる。
「うちは在庫管理、生産管理から人事・財務管理までコンピュータで処理し始めたのは、このあたりの会社では比較的早いほうなんだ。そのために当時、オフコンと呼ばれたPCサーバを自社に置くなど、ずいぶんと投資を重ねてきた。社員500人規模の会社には珍しく、ERPなどのパッケージソフトウェア導入も先駆けたほうだと思うよ。こんなふうにサーバやソフトウェアを自社設備内に抱えて、それなりにうまく運用してきたつもりなんだがね…」
「でも、自前で抱えすぎると、小回りが効かないということってありますよね」
と本田は言う。まさに、問題の本質をズバリ突くような指摘だ。
「その通りだ。うちのような自社運用スタイル、最近はオンプレミスというんだけれど、そのままだと最近の技術革新の流れに対応しにくいこともあるんだ。ITは年々複雑になり、セキュリティ対策も刻々と変化するしね。それから地震や水害、大規模停電など近頃災害が増えているけれど、自社に全部を抱えていると、万一それがやられてしまったら業務全体が立ちゆかなくなる。そうでなくても、情シス部門は慢性的な人手不足。少ない人数でなんとかやりくりするためにも、何らかの手立てを打たなくちゃいけないと思っているんだよ」
「クラウドっていう、いい手があるじゃないですか」
本田がまた本質を突いてくる。彼女は最近、ITのこともよく勉強しているのだ。
「そうそう、本田さん、よく知っているね、クラウドなんていう言葉。ハードウェアもソフトウェアも事業者に預け、我々ユーザーはそれを使いたい分だけ、使いたいときに使う。初期コストや固定的な保守運用コストを低く抑えられるという利点があることは確かなんだ」
「私のような情シス担当ではない人間でも、スマホで写真を撮ったらそれが瞬時にクラウドに上がって、みんなで共有できるというようなサービスを利用しているくらいですから。クラウドという言葉自体はすっかり身近になってますよ」
人手不足の情シス部門。働き方改革の一環としてもクラウド化を検討
高橋がクラウドのことを考えるようになったのは、オンプレミスで使っている主要なサーバOSが古くなって、そろそろサポート期限が切れそうになっていたからでもあった。新しいOSにバージョンアップするにしても、またコストがかかる。それなら、いっそのこと、システムのクラウド化を考えた方が生産的かもしれない。
もう一つ、クラウド化を考えるきっかけになった事情があった。
「うちの情報システム部門ね、今は上野君を筆頭に5人体制で頑張ってくれているんだけれど、営業部門からシステムに詳しい人を一人回してくれないかと言われているんだよ」
「えっ、上野さん、ただでさえ、5人じゃ手が回らない。それぞれやることが一杯で、システム全体を見通せるのは1人だけ。とても不安だって言っていましたよ、この前」
「この前って、本田さん、上野君と親しいのかい?」
「いえ、たまたま会社の部活、ジャズ研究会が一緒だから。上野さんがサックスで、私がピアノ。で、先週の部活で上野さんが…」
本田がいつもの癖で趣味の話を饒舌に語り出しそうだったので、高橋はすぐに話を戻した。
「おっと、ごめんごめん、脱線したね。クラウドの話に戻そう。確かに、苦しい事情は担当役員としても理解しているつもりだ。ただ、今期の新製品拡販のために営業も手が足りないっていうんだよ。でも、万一、誰かが異動することになっても、残りのメンバーの残業時間が増えたりするのは避けたい。“働き方改革”はうちのような企業でも取り組まなくちゃいけない重要課題だからね。だから、人手が少なくても効率的にシステムを開発したり、運用するためにこそ、クラウドに切り替えるべきじゃないかと考えているんだ」
「ふーん、そうなんですか。でも、これでまた上野さんの宿題が増えそうですね」
「いや、彼は優秀だから何とか考えてくれると思う。クラウドも視野に入れて、ITシステムの抜本的な改革を検討してもらいたいと思っている。本田さん、来週早々にでもじっくり話したいからと言って、上野君の時間を確保しておいてもらえないかな」
「はい、かしこまりました!」
本田はそう言うと、さっそく上野にメールを送る準備を始めた。ジャズ研ではよく会っているが、社用でメールすることはめったにないので、少し緊張ぎみ。ただ上野の日頃の多忙さはよく聞いているだけに、彼の業務負担がまた増えはしないかと少し心配になっていた。