未来の図書館研究所第6回シンポジウム「図書館とポスト真実」
図書館つれづれ [第94回]
2022年3月

執筆者:ライブラリーコーディネーター
    高野 一枝(たかの かずえ)氏

はじめに

2021年11月に開催された未来の図書館研究所(注1)主催のシンポジウムを受講しました。「ポスト真実(post-truth)」とは、2016年の英国のEU離脱とアメリカのヒラリークリントンvsトランプの大統領選の頃に盛んに使われていた言葉で、客観的な事実よりも個人的な信条や感情に左右される、平たくいうと「事実を無視して自分の思い込みで解釈する」状況をいうのだそうです。その「ポスト真実」が図書館の役割とどう関わっていくのか、今回はそんなシンポジウムの報告です。とはいえ政治は疎くて、私が理解できた範囲であることを先にお断りしておきます。

図書館とポスト真実:永田治樹氏(未来の図書館 研究所 所長)(コーディネーター)

昔も「デマ」はありました。でも、インターネットの時代になって、故意に曲げられた情報(フェイクニュース)が拡散しています。フェイクニュースは正確な情報の伝播を阻害し人々の認識をゆがめ、図書館が果たす情報アクセスの提供や情報リテラシー支援と真逆な姿勢を意味します。とはいえ、図書館が対応できているかといえば、インターネットのフィルタリングも公平な情報収集には課題とのこと。館内で提供する端末にはインターネットのフィルタリングは当たり前だと思っていた私は衝撃を受けました。フェイクニュースの払拭は難しいと問題提起をして、次へつなげました。

フェイクニュースはなぜ拡散するのか?:笹原和俊氏(東京工業大学 准教授)(パネリスト)

偽ニュースのほうが早く遠くまでたくさん伝わるのは、ビックリ度が高く目に留まり、特に話題になる政治などの嘘が伝わりやすいとのこと。コロナ下でのインフォデミックとは、確かな情報と不確かな情報が混在する情報過多の状況下で、間違った意思決定や不安や恐怖を増幅し差別を助長する二次被害をいいます。5G電波がコロナを拡散させているという5G陰謀論は実はほんの一握りの人によって拡散されていて、ほかにもbotによる拡散例、注意喚起がフェイクになった事例など、それぞれの特徴が示されました。

誰もが持っている認知バイアス(癖)には、直感、経験、思い込みなどがあります。繰り返し報道されて情報は強化され、自分に合わない情報は無視する傾向があります。間違っている人を説得しようとすればするほど相手は強化し、感情的な言葉(安心・信頼・暴力・憎悪)が伝染しやすいというのも人の心理として面白かったです。

情報環境の要因としてソーシャルメディアを挙げました。本来は多様な機会を創造するプラットフォームの役割がある一方で、私たちは、見たいものだけ見て、つながりたい人だけとつながっています。エコーチェンバーとは似た者同士がつながった閉じた環境をいい、フェイクニュースの温床になるリスクを持っていて、社会的つながりが閉塞的であるほど加速されていきます。フィルターバブルとは、ユーザーの個人情報を学習したアルゴリズムによって、その人にとって関心がありそうな情報ばかりがやってくる情報環境のことをいい、実験でツイートを50回分析すると、男女・年齢・デジタルネイティブなどの個人属性も8割がわかったとのこと。SNSを友人が拒むのも理解できました。

虚偽情報は環境問題として捉え、異質なつながりを意識し、メディアに対する知識や物事を分析して最適な判断をするメディアリテラシーの重要性を説かれました。メディアリテラシーの高い人ほど偽ニュースに騙されにくいそうです。

ニュースが「作られる」現場から:伊藤智永氏(毎日新聞 専門記者)

主に政治担当の記者歴30余年の伊藤氏が、「客観的事実は報道の大前提だが、何を持って客観的というのか?それは事実なのか?」と投げかけて、体験談をもとに、ジュネーブ特派員時代の3つの取材ニュースの裏側の真実が語られました。

2009年の新型インフルエンザ

WHO警戒水準の引き上げ、オバマ米大統領の非常事態宣言のパンデミックも、当事者でない日本ではあまり話題になりませんでした。そのパンデミックそのものが、タミフルを開発した製薬会社のフェイク疑惑があがり、検証をするも今も疑惑のままとの話。

ギリシャの経済危機(2009年)

日本では観光に胡座をかいた怠け者イメージを「ギリシャ化」と報道されていました。それはでたらめの蔑視した造語だそうです。ギリシャは移民が多く経済的に貧しくて、歴史的経緯や地理的背景は日本における「沖縄」に近い存在だと説明してくれました。

アラブの春(2010~2012年)

チュニジアに始まりエジプト革命、シリアの内戦など、SNSが起こしたアラブの独裁体制のドミノ現象。独裁体制を倒すSNSの威力を目の当たりにしたそうです。でも、SNSに掲載されている動画は果たして真実なのか? 記者は、実際に現場の人の伝手を頼りに取材し、それが真実かどうかの裏付けを取って記事にします。SNSは30年以上続いた独裁政治を倒しはしたものの、民主主義を理解している人は知識人を除いてほとんどおらず、 “アラブの春”の底の浅さを感じたそうです。

「政治には嘘がつきもの」で、いかに上手な嘘をつくのかはむしろ政治の本質。宣伝も嘘とはいえないまでも歪曲した手段で、ストーリー化も大事な手段だと話されました。「客観的事実はあるのか?」との問いの辺りから私の頭はかなり混乱して、難しい政治の裏側を垣間見るにとどまりました。

質問とのやりとりの中で

このシンポジウムはZoomとYouTubeとで開催されていて、Zoomの皆さんからは多岐にわたる質問があり、活発な意見交換がありました。私は政治的な話題は苦手で、皆さんには断片的なキーワードを伝えるレベルにとどまります。

義務教育現場については、デジタルツールと同時に情報リテラシー教育の必要性と先生の再教育を説いたものの、具体的内容の言及までは至りませんでした。伊藤氏の「新聞はもう長くない」との衝撃発言から、ニュースの作られる現場のメディア教育の内情を聴きました。SNSはコストがかからないし共有するのもコストがかからないから、フェイクニュースの温存になること。偽動画や偽画像が簡単に作れる時代になり、動画や画像が根拠として使えなくなっていること等々。

情報リテラシーの図書館の役割として、ワイズマン監督『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を話題にしました。日本の図書館にあれだけの機能を求めるのは無理だとわかっているものの、社会に開かれた新しい図書館はあります。知識の知は最後のよりどころ、その蓄積の社会的インフラが図書館で、一般社会に近くて拠点になるのは図書館しかないのではないか。今のネット社会に図書館が浮き足立って合わせすぎていないかと警鐘を鳴らしました。こんなメディア状況になっても、記者は図書館を使い倒しています。校閲と編集の作業を通した文字情報はなくならないし、図書館はこんなメディア状況だからこそ頑固に守っていくのが大事と話されました。さらに、図書館が過度に政治の中立性みたいところに神経質になり過ぎないほうがいいという話もありました。

シンポジウムは、図書館が今後どうなっていくのか見守っていきたいと結びました。

シンポジウムを聴き終えて

友人は、「パネリストの2人とも公共図書館はよく使っていて、書籍は校正・校閲が徹底されているので、コンテンツへの信頼度が担保されているという発言に、図書館に関わるものとして襟を正したくなる気持ちになりました。」と感想をくれました。

政治に疎い私は、初めて聞く言葉のオンパレードに始終唖然としていました。説明されて「なるほど」と思うより、「そうなんだ」と思うほうが多かったかもしれません。

いずれにせよ、苦手だと逃げていては聴けなかった話で、シンポジウムの中で話されていた、間口を広げて客観的つながりを持つことの大切さを認識しました。

図書館つれづれ

執筆者:ライブラリーコーディネーター
高野 一枝(たかの かずえ)氏

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